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小説『アントライオンズ Antlions 第3話』

七、
 
 僕はお父さんにも毎日、リアリティー・チェックということを教えてあげた。現実を見るんだ。これが現実的なのかどうか自分に問う。RC。お父さんはそれは面白い言葉だ。今度、RCというタイトルの曲を創ろう、とはしゃいでいる。
「お父さんって、貯金、いくらくらいあるの?」
「まあ、暫く仕事がなくても飲みには行けるくらいだな」
教えてくれた金額は、ウスバカゲロウの涙くらいだった。不景気で、夜逃げの仕事はちょくちょくあるらしく、日銭は入って来る。お父さんに渡すと、バンドのみんなで飲みに行っちゃうから、僕、というか海渡に預金通帳を渡すことにした。海渡のRCが始まった。
「あと三ヵ月もすれば、引っ越しはできるけど、収入が安定しないから、いつホームレスになるか分からない」
 海渡と僕はお父さんを連れて、例のファミレスに行った。お父さんの毛先はピンクに変身を遂げている。海渡はそのピンクの部分を見詰めながら、提案を始める。
「絶対、赤字にならないバンドを集めてライブをやりましょう。それぞれに固定ファンが付いているようなバンドを、全部で三つか四つ選んで。それで、それを、定期的にやっていきましょう」
「海渡、凄い。アントライオンズのプロデュースをするの?」
「そうじゃないだろ、これは航青の仕事だよ。僕のRCだと、航青にはもう物件というか案件があるんだから、今直ぐ音楽スタッフの学校へ行かなくても実地で学べると思うんだ」
僕が質問する。
「なに、物件って? なに、案件って?」
海渡は答える。
「アントライオンズのことだろ。もうプロデュースするバンドがあるんだから。バンドを集めたり、場所を決めたり、スタイリストもできるだろう?」
僕はいいことを思い出す。
「こないだライブでレコード会社の人に会って、その人はアントライオンズのファンだったらしくて、僕、その人にバンドを紹介してもらう。デビューちょい前くらいで、まだまだライブの経験を積みたいみたいな人」
「ほら、航青の方が僕より業界を知っている」
 海渡と二人でお父さんを見た。お父さんはメニューを広げたまま、舟を漕いでいる。僕はお父さんの髪のピンクのところを引っ張る。お父さんが目を覚ます。
「夜逃げって夜中だからな。不規則でいつも眠いんだ」
ウエイターさんが来て、海渡は取り敢えずみんなにコーヒーを持って来て、と頼む。海渡のRCが続く。
「絶対に赤字にならないライブを、どんどん仕掛けていきましょう。徐々に新しいファンも増えるはずです。ちなみに今、アントライオンズのウェブサイトってどうなっているの?」
僕はごそごそ携帯を出す。
「僕も最近観てなかったから、って言うより、観るのが怖かったから」
僕はコーヒーマグの中の深淵を覗く。お父さんはコーヒーを何口かすすって、ようやく頭が働き出した様子。
「それはな、今のマネージャーが創ったものだ」
僕と海渡はウエッブサイトをスクロールしていく。センス悪い。最低。
 海渡のRC。
「航青ならもっとずっといいのができるだろ? 新しいファンを開拓するのを目的とした」
僕もRCで考える。
「ファンを増やして、それからもっといいエージェントを探そう。いいレコード会社と契約して、お金が降って来るように」
お父さんが、お金が降って来る、という僕の言葉に反応する。
 
「じゃあ、俺はこれから新曲を書くから」
僕が聞く。
「なに、なに、どんな?」
「RC」
お父さんにこんなに早くRCのコンセプトが伝わるなんて。お父さんはファミレスのペーパーナプキンに、ウエイターさんからせしめたペンで書いていく。海渡は瞬きも忘れて覗き込む。僕だってお父さんが詩を書く現場を見るのは初めてだ。
 
 
RC、RC、
現実ってなに?
俺の右手の爪が俺の左手首を引っ掻く。
俺は風呂の中にいっぱいになった血に沈む。
学校の屋上に立つ。ここから飛べるかな。飛んだらどうなるのかな? 靴と靴下を脱いで、爪先が屋上の端に触る。
 
RC,RC,
反対の反対は賛成。
じゃあ現実の反対ってなに?
駅のホームのぎりぎりに立って、踏切のぎりぎりに立って、冷たい線路に横になって。
病院でもらった薬をお酒と一緒に全部飲もう。現実の反対に行けるはず。
 
RC,RC,
現実の反対は、涅槃、ニルヴァーナ。リアリティー・チェックをするとそこへ行ける。
俺が殺した天使と一緒に、屋上から頭を下に、両手両足を広げて飛ぶと、俺はそこに行ける。ニルヴァーナ。
血の池にうつぶせになって俺は沈む。涅槃は直ぐそこ。
 
 
「お父さん、これのどこがリアリティー・チェックなの?」
「だって、あれだろ? リアリティーをチェックするんだろ? それであの世に行けるんだろ?」
「全然違う」
僕は、違う違うと頭を振って、深い溜息を吐く。すると、海渡が完全に固まって、両の瞳だけがハートになってぐるぐる回っているのが見えた。海渡みたいな純真なティーンエイジャーを騙すんだったら、こんなんでいいのか。物騒な曲だ。自殺幇助になったら困るな。話題作りにはなるけど。レコード会社さんに相談してみよう。
 お父さんは、曲もさわりのところだけだけど、ハミングして、海渡のハートの瞳がますます回転の速度を上げる。お父さんの曲は、最近ラップの部分がどんどん多くなる。僕の頭に素朴な疑問がぶら下がった。
「お父さんの詩って、なんでゲイがテーマなの? そればっかりじゃないけど」
海渡が興味津々で身を乗り出す。
「俺、中学でギター始めただろ、その時から男が寄ってくるんだ。男子校でもないのに」
「お父さん、こんなに女好きなのに。そうだ、海渡ってそもそも女には興味ないの?」
「僕は中二で流歌さんのファンになってから、流歌さんしか知らないから」
「そもそも、お父さんのどこがいいの?」
海渡が顔をすっかりピンクにしてテーブルに伏せてしまったので、代わりにお父さんが答える。
「俺の、この夜逃げて鍛えた胸がいいんだろ?」
お父さんはTシャツの襟を広げて、いかがわしい胸毛を見せる。でも海渡は、顔を伏せたそのままの態勢で、首を振って違う違うをする。
「じゃあ、俺のこのアウトローでクールな顔がいいんだろ?」
海渡は、また違う違うをする。僕はクラス一の眉目秀麗、成績優秀の本心に興味深々だ。
「じゃあ、俺のセクシーな歌声がいいんだろ?」
海渡はようやくテーブルに伏せていた、まだピンクのままの顔を起こす。
「……流歌さん、ライブの時、僕達を指差して、君達! って話し掛けるでしょう? あれが痺れるんです」
お父さんは、え、そんなことが? と言って驚いている。僕も一緒に驚く。
「俺、そんなことやるか? 君達! ……そう言えばやるな。なるほど」
海渡は、「君達!」が、お父さんにとってかなり無意識であることを知って驚く。そして次の様な発言をする。
「太宰治がね、するんですよ。君達! って。僕はこう思うけど、君達はどう思いますか? って。はっきり言っているわけじゃないんだけど、そうやって読者に話し掛けるんです。そこがいいんです」
 
「じゃあ、次のライブではもっとそれをやろう」
お父さんは、「君達!」の練習をしている。海渡が、微妙な痺れるニュアンスを教えてあげている。
「君達! はね、流歌さんがね、歌っているところから歩いて来て、舞台の端っこで左手でマイクを持って、右手で僕達の方を指すんです。君達! って。それで、一番前の人がその手を握るんです。すると僕達は、ああ、いいな、僕も流歌さんの手を握りたいって、そう思う」
かなり微妙な細部が伴うんだな、と僕は感心する。
「そのお父さんの手を握るって、誰?」
海渡が答える。
「ファンクラブの一番偉い人」
僕は、その人のことはよく知らない。名前と顔しか。
「ファンクラブの奴、あいつだろ? あいつ、もう高校生じゃないぞ」
「そうそう、その人がいるから、僕達は上がれないんです」
「海渡はファンクラブじゃないの?」
「ファンクラブに入ってて、こんなところにいたら殺されるでしょう? 僕は身内だと思われているから」
「あいつ、不気味だよな。俺にもなにを考えているのかさっぱり分からない。手がいつも冷たいんだ。夏でも。爬虫類みたいに」
海渡はお父さんに一番痺れる君達! のやり方を教えている。僕はいいことを思い付く。
「君達! の写真を撮って、ウェブサイトの一番目立つところに載せよう」
「俺の写真? いつ? 今度のライブの時?」
海渡がこう言う。
「ライティングさえできれば、いつでもどこでも撮れますよ。早い方がいいでしょ」
 
 百匹のウスバカゲロウも撮影に参加し、色を添える。場所は僕達の家の縁側をステージに見立て、庭から撮影した。僕がスタイリングしたヘアと服で君達! をやらせた。海渡が、理想の君達! になるように微調整をする。手の角度とか表情とか。ちなみに手はかなり舞台側に出す。お父さんは跪こうとしたけど、あくまでも立っていながら手を思いっ切り出すのがいいらしい。それから表情は真面目に。なぜかは知らない。
 撮ったら、コンピューターで、僕と海渡で、色味や明るさを調整してみる。それを何度も繰り返したけど、なかなか上手くいかない。ウスバカゲロウのみなさんは、楽屋で待機している。楽屋とは、お祖父さんの自慢の盆栽だ。十鉢くらいが縁側の直ぐ下の庭に並べられている。海渡が提案してくれる。
「真正面じゃなくて、斜め前から撮りましょう」
お父さんは無理なポーズで腰が痛いと、のたまっている。そして畳に引っ繰り返る。……あれ、誰かの電話が鳴っている。その音はお父さんの電話だ。お父さんに、それ取って、と頼まれる。僕はきっと、今付き合っている女の人か、友達の引っ越し屋だろうと思う。
「お父さん、警察だって」
僕の声が震えている。お父さんはまだ、天井を向いたままで電話を受け取ったけど、電話の途中で飛び上がる。
「……大変なことになるぞ。撮影、早く片付けよう」
いきなり、きりっとなったお父さんは、一発でポーズを決める。ウスバカゲロウのみなさんも、きりっとポーズを決める。海渡がオーケーを出す。
 
 
八、
 
 お父さんはなかなか出て来なかった。僕は家出して、しょっちゅう警察のお世話にはなっているけど、勿論これはそんなんじゃない。お父さんは、霞が関にある警察庁の立派なビルの一室で、取り調べを受けている。夜遅くなって、僕と海渡は疲れ切っていた。大学教授の叔父さんが来てくれた。その人はお父さんの弟だ。
「弁護士を探した方がいいな。でもなにが起こったのか分からないようじゃ、弁護士の探しようもないな」
立派なスーツの叔父さんは言った。僕達は取調室のドアが見えるソファにいた。警察の人っぽい男の人が廊下のずっと奥の方から歩いて来る。その人の顔に天井に並ぶ灯が次々に映って、その人は段々大きくなって、やっと人間のサイズになると、僕達に話し掛けてきた。
「若月さん」
そう僕達に話し掛けた。警察の人は遠くで見るより、年を取って見える。動きがエネルギッシュだから、きっと遠くだと若く感じたんだと思う。
「私が頼んでこの件の担当にしてもらったんです」
刑事局の捜査第一課にいると自己紹介した。刑事さんだ。
 刑事さんは叔父さんにこう話し掛けた。
「貴方の父上は顔が広いから、いつも捜査に協力していただいて」
この人はお祖父さんを知っているんだ。人の繋がりって、なんて不思議なんだろう。僕はお父さんがどうなるのか、心配で、心配で。だけど、僕達は本当に疲れ切っていた。
「流歌さんは参考人で、任意同行されただけだから、事情聴取が終われば、今夜は家に帰れます」
逮捕とかされる訳じゃないんだ。よかった。僕達は自己紹介をした。海渡のことは、僕の同級生で、お父さんのファンだと、そのまんま言った。
 刑事さんは今度は僕と海渡を見て言った。
「お父さんのファンクラブの子達が亡くなったんです」
刑事さんは二人の名前を言った。海渡は二人共知っていた。僕は一人だけ知っていた。和樹(かずき)はファンクラブの会長だ。ここ数年それは変わらない。紅秋(こうしゅう)のことは海渡が知っていた。
「紅秋はまだ高一ですよ。どうして?」
「ショッキングなことだから、そのつもりで聞いてください」
刑事さんは、叔父さん、僕、海渡の順で座っている、海渡の隣に座った。
「二人は病院のビルの上から、一緒に飛び降りたんです」
僕は和樹のことはライブで少し話す程度。お父さんが言ってたみたいに、なにを考えているのか全く分からない。いつ会っても無表情だった。
 刑事さんがゆっくり、でもはっきり話してくれた。
「二人は天使の翼を背中に背負って、二人のジーンズのポケットには流歌さんの書いた詩が入っていた。『天使の翼』というタイトルの」
僕と海渡は、なにがどうなっているのか分からない。刑事さんが優しく言った。
「『天使の翼』という曲には天使を二百匹殺す、ということが書かれている」
僕が言った。
「でも、ただの詩ですよ。曲だって楽しい曲だし」
刑事さんが写真を見せてくれた。二人が背中に背負っていた翼の写真。先の部分に血痕がある。一気に本物の事件の匂いがしてきた。海渡が言った。
「これはファンクラブのみんなで作って、ライブの時、付けてたものですよ」
ちゃんと白い羽が貼ってあって、ライブで着るから、お互いにぶつからない様に、小さ目に作られている。
 叔父さんが刑事さんに聞いた。
「僕達、弁護士を探した方がいいんですよね?」
「そうですね。遺族がなんと言ってくるか予想がつかない」
海渡が言った。
「アントライオンズのファンは高校生が多くて、他のバンドみたいに打ち上げもないから、流歌さんも個人的に親しい子はいない筈です」
僕が続けた。
「それに、みんな大学生になると気持ちが安定するから、もうライブに来なくなる。でもそうすると新しい、高校生のファンがやって来る。入れ替わりが激しいんです」
絶対お父さんはその死んだ子達には、なにもしていない。僕は確信していた。
「お父さんのファンは男の人が多いけど、お父さんにはいつも彼女がいるし、僕のお母さんとも離婚した訳じゃないし」
刑事さんも混乱している様だ。さっきの写真が入った書類をばらばら弄ぶ。
「……遺族によく話を聞くから。飛び降りた理由はなんなのか」
一つだけ確かなことがあった。……あの二人はもう決して生き返らない。
 事情聴取の部屋から、人が出て来た。取り調べの人が二人いて、その後にお父さんが出て来た。さっき、ウエブサイト用の撮影で着ていた、能天気なレトロハワイアンのシャツを着ている。椰子の木とフラミンゴ。派手な海水色のパンツ。お父さんの疲れた目がもう少しで閉じそうだ。
 
 海渡はお父さんと僕のことが心配だから、家に泊まると言ってくれた。叔父さんは、お祖父さんの部屋で寝るつもり。僕が雨戸を閉めに行くと、盆栽にしがみ付いていた、ウスバカゲロウのみなさんが、部屋にふらふら入って来た。そのまま僕について僕の部屋にやって来た。僕のベッドの下に布団を敷いて、海渡はそこに寝た。ウスバカゲロウは『天使の翼』を小さな声で、スローバージョンで、口ずさんでいる。部屋の灯を消した。海渡の声が聞こえた。
「明日、この歌の意味をもう一回考えてみよう。どうしてあの子達がポケットに入れていたのか……」
 
 すっかり寝ていたら、お父さんの声が言った。
「航青、海渡、家を出るぞ。今、週刊誌から取材の電話があった」
丁度、僕のお気に入りの緑色の宇宙人から聞こえたから、宇宙人が喋っているみたいだった。あの女の人がゲーセンで取ってくれた宇宙人。僕は側にあった携帯の時間を見た。午前三時。
「航青、ちょっと外を見てみろ」
僕はこわごわ外を覗いた。いくつも人影がある。それが動いている。
「俺達が夜逃げする番だ」
お父さんは笑っているけど、声は緊張している。僕は小さ目のスーツケースを開けたまま、部屋をうろうろするばかりだった。海渡が手際よく着替えや下着を詰めてくれた。僕がやったのは、緑色の宇宙人を放り込んだことだけ。海渡がスーツケースを閉じる時、ウスバカゲロウ達が、うろうろ隙間に入るのが見えた。
 叔父さんの声が言った。
「タクシーに裏口へ回れと言っておいた」
僕達は裏口からそっと出た。タクシーに乗り込む時、カメラのフラッシュがいくつも光った。僕は腕で顔を隠した。……僕はなんにもしていないのに。
 
 そこは質素だけど、意外に都心のホテルだった。叔父さんの知り合いがいるらしい。
「かえって都心の方が見付かりにくい」
叔父さんはそう言って隣の部屋のドアを開けた。二部屋が中で繋がっている。僕は叔父さんの部屋を覗く。
「お父さん、なにも悪いことしてないのになんで?」
お父さんはずっと電話で話している。僕は叔父さんと旅行に行ったのも随分昔だから、こうやって一緒に泊まるのはなんだか変だった。叔父さんがこう言う。
「今、大きな事件もないし、マスコミ連中は暇なんだ。それに今時、心中なんて珍しいだろ? しかも若い男性同士」
お父さんが丁度電話を置いたところで、その心中、という言葉を聞いてしまった。
「心中? ……そうかな。そうだな。バンドの連中に、詩を書いたのも曲を創ったのも俺だから、心配するなって言った。それから事務所は今度のことには対処できないって」
海渡が言う。
「それって、逃げられたってことですね。大丈夫、航青と僕でアントライオンズをプロデュースしますから」
 僕は、アントライオンズの事務所が作ったウェブサイトを検索してみたけど、綺麗さっぱり無くなっていた。
 
 僕と海渡は、同じベッドで少し眠った。僕の側にはいつものように、緑色の宇宙人が座っていた。いつまでも嫌な夢ばかりみるので、僕は起きることにした。高層ホテルの窓から満面の太陽が、お早う、の顔を出す。叔父さんがテレビを点ける。アントライオンズと言っている! 三人でテレビを囲む。お父さんと、叔父さんと僕。テレビの音を聞いて、海渡も起きてきた。お父さんが若者を洗脳しているみたいな言い方。女好きのお父さんのことをゲイだと決め付けている。お父さんがゲイじゃない、ということを証明しないと。……あ、そうそう、あの人なら証言してくれる。ちらっとそんな考えが浮かぶ。あの時くれたアドレスにメールをした。だけど、いつまで待っても返事はなかった。
「なんで、俺のもっと男前の写真を使ってくれないんだろう?」
叔父さんが言う。
「犯人っぽい写真の方が受けるんでしょ」
 叔父さんはいい助言者だった。僕と海渡はまだ高校生だし、叔父さんみたいに世間に詳しくない。お父さんも、まるで僕達みたいに本物の世界を知らない。あの刑事さんから電話があった。在宅事件になりますから、居場所だけは警察に知らせてください、ということらしい。僕達はみんなで「在宅事件」の意味を調べた。検挙されたけど、家にいて普通の生活をしてもいい、ということらしい。お父さんが言う。
「それって、じゃあ俺は検挙されたんだ」
みんなで検挙という言葉も調べた。検挙は逮捕とは違うらしい。そこからは叔父さんが説明してくれた。
「逮捕されて検察官に起訴されればまず勝てませんから、前科が付くことになる」
海渡が聞いた。
「でも、なんの容疑で?」
叔父さんが答えた。
「それは遺族がなんと言ってくるかに寄るでしょう」
 僕達は、他のテレビ局のニュースも観ることにした。画面にアントライオンズのライブが流れている。海渡が言う。
「ついこないだのですよね。誰が撮ったんだろう?」
お父さんが、例の「君達!」をやっている。海渡の目がハートに変わる。
「今度のは、俺がかなり男前に撮れている。よかった」
 
 そのお父さんの呑気なコメントの後に驚愕のニュースが。
「多くの青少年を取り込んだカルト集団、アントライオンズ。ロックを演奏することによって、若者によからぬ思想を広めているという嫌疑が掛けられています。このカルト集団の中心は、バンドの作詞、作曲、ボーカル担当の若月流歌です」
お父さんが言った。
「カルト集団の中心はないだろ。俺ってそんなに頭よくないよな?」
お父さんは自分のことがよく分かっている模様。次に、ファンクラブの会員へのインタビューがあった。顔はぼかしてあり、声も変えてあった。
「流歌さんはね、そんなに大それたことができる人ではないですよ。変な曲を創って歌っていれば幸せなんですよ」
少年のバックで、そうだよな、そうそう、という複数の声がする。
 お父さんがコメントする。
「こいつ、誰だろう? 俺のことがよく分かっているな」
他の少年へのインタビューもあった。
「アントライオンズがカルトだとしたら、主導者は亡くなった和樹ですよ。何年もファンクラブの会長で、流歌さんはただの女好きだけど、和樹はゲイで、ファンクラブの若い子とよく付き合っていた」
少年のバックで、そうだよな、そうそう、という複数の声がする。
 またお父さんのコメント。
「俺ってただの女好きなんだ。こいつも俺のことがよく分かっているな」
今度はインタビュアー。女性の記者。
「君達はアントライオンズのどこが好きなの?」
また、顔はぼかしてあり、声も変えてあった。
「流歌さんがライブで、こうやって、君達! っていうところがいい」
また、少年のバックで、そうだよな、そうそう、という複数の声がする。みんなで「君達!」の真似をやり合っている。
海渡は、へー、みんなも同じことを考えているんだな、と驚きを隠せない。お父さんは、カッコいい「君達!」の練習を始めた。全身の映る鏡がある。お父さんは寝起きで、変な赤いトランクス姿だ。海渡が恥ずかしがって目を伏せる。
 そこへ、ドアがノックされる。叔父さんが覗き窓から誰だか伺う。あっちにはどんな世界があって、なにが繰り広げられているのだろう?
「兄さん、早くなにか着てください」
叔父さんは既に立派なスーツに身を包んでいる。若い男性が姿を現した。お父さんはあっちの部屋で、じたばた着替えている。
 
「兄さん、この人、僕の昔の教え子。このホテルの跡取りさんだ」
気取りのない人で、僕は感じがいいな、と思った。
「教授、ここにいれば絶対、秘密は漏れませんから、ゆっくりしていってください」
その人が行っちゃって、みんなはテレビに戻った。違う局でもファンクラブのメンバーにインタビューをしている。インタビュアーさんは、僕も見たことあるような有名なアナウンサー。若い男性。
「君達は、どうして二人が亡くなったと思う?」
また、顔はぼかしてあり、声も変えてあった。
「和樹は一人で死ぬのが怖かったんですよ。昔からあるでしょう、そういうの。太宰治とか。あと、三島由紀夫とか」
インタビュアーさん。
「三島由紀夫は心中じゃないでしょう?」
「やだ、知らないんですか? あれも心中ですよ。あの時、男の人がもう一人亡くなっているでしょう? その人と付き合っていた、という話」
もう一人の少年がしゃしゃり出た。
「ほらね、三島由紀夫くらい頭がいいと、カルトを組織して、自殺者も出るけど、流歌さんとかじゃあ無理ですよ」
少年のバックで、そうだよな、そうそう、という複数の声がする。
インタビュアーさん。
「ロックバンド、アントライオンズのことは依然、謎に包まれていて、ウェブサイトさえない、という幻のバンドになっています」
少年の一人が話し出す。
「来週ライブの予定ですよ。お兄さん、一緒に観に行きましょうよ。僕、前売り券二つ持ってるし。でも、チケット代くれないと駄目ですよ」
 
 お父さんが飛び上がる。
「え、来週ライブだった?」
僕が答える。
「そうですよ。僕と海渡が仕込んだ、絶対赤字にならないライブ、第一弾」
叔父さんが話す。
「兄さん、それをやらないと引っ越しができないでしょう」
叔父さんは、こんな事件の最中でも、まだお父さんをお祖父さんの家から追い出す気、満々みたいだった。
 その時ドアにノックをする人がいる。また叔父さんがドアを開ける。
「ほら、この人はまだ若いけど、優秀な弁護士さんですよ」
「教授、お久しぶりです」
「彼は弁護士業の傍ら、文学の研究もしているんだ」
僕は、この人はなんて忙しい人なんだろうと、感心する。
 書類を入れた鞄を置いた途端、話が始まる。
「まず、ファンクラブと流歌さんの関係をちゃんとして、亡くなった二人との関係も聞いて、それから『天使の翼』という曲のことも聞かせてください」
僕は、叔父さんが文学の素養のある弁護士さんを選んだ意味が分かった。弁護士さんは、眉目秀麗、成績優秀、と僕は見た。海渡のお兄さんだと紹介されても、きっと誰も疑わない。
 お父さんが『天使の翼』について話す。
「アントライオンズのナンバーワンヒット曲なんだけど、創ったのも大分昔だから、なにを考えていたのかは覚えていない」
海渡が答える。
「天使を二百匹殺した、というのがきっと遺族の方が気にしているところですよね。あれは、天使が三百匹も来たら、ばたばたうるさくて仕方がないから殺したんですよ」
弁護士さん。
「自殺をする意志のない者を自殺に追い込むのは、自殺教唆(きょうさ)罪と呼ばれ、刑法202条にあります。僕も歌詞を見ましたが、誰が見ても自殺教唆罪になるような内容ではありません。自殺教唆罪の刑罰は六か月以上七年以下の拘禁刑です。でもそれは有り得ない」
叔父さんが聞いた。
「死んだ子の家族は、兄さんを訴えるつもりなんでしょうか?」
「告訴はもう受理されています。するつもりだったから流歌さんは検挙されたんです。こんなに派手な報道を促しているのも告訴した後、自分達に同情が集まり優位に立つためです。和樹君は鬱病で入院中だったんですよ。病院から飛び降りたんだから。自殺教唆なんてしなくても亡くなっていたのでは。調べれば出てくることはたくさんある」
弁護士さんは、僕と海渡が何者か知りたがった。
「僕は若月流歌の息子です。海渡は僕の同級生で、お父さんのファンです」
「じゃあ、ファンの君に聞くけど、あの子達、どうして天使の格好をして、『天使の翼』の詩をポケットに入れていたんだと思う?」
意外にも海渡は即答する。
「流歌さんと、最期に一緒にいたかったんですよ」
「君達ってそんなに流歌さんが好きなの?」
「ええ、僕も死ぬ時は同じことをします」
 
 ホテルの部屋は広くて、ダイニングテーブルがある。僕達四人と弁護士さんは、テーブルを囲んで座っている。僕のスーツケースから出たウスバカゲロウ達は、テーブルまでふらふらやって来て、一列に並んで、お父さんと一緒に「君達!」の練習をしている。弁護士さんは目を細める。
「可愛いな。随分カラフルだけど、あれ、なんなの?」
僕が答える。
「あれは、ウスバカゲロウと言って、蟻地獄の親です。英語だと、アントライオンって言うんです」
「さっきからみんなでなにやってるの?」
今度は海渡が答える。
「あれは、流歌さんがライブでよくやっている『君達!』のポーズです。あれをやられると僕達、堪らない気持ちになるんです。さっきもテレビでやってました。ファンクラブの子達も、あれがいいんだって言ってました」
弁護士さんは、言われたことを反芻し、一瞬固まって、でも直ぐに氷解した。
「みんなで『天使の翼』を復習してみよう。あっちはあの詩をネタに訴えてくるぞ」
海渡の携帯に歌詞がある。それをみんなの携帯に流す。お父さんがリードボーカルで、ウスバカゲロウ達がコーラスだ。
 
 
なに言いたくて来たの?
用があるから、来たんでしょ?
三百も集まって、
うるさくて、みんなが困ってる。
用ないなら早く帰って、
さよなら! さよなら!
 
 
 この辺は特に問題はないと僕は思ったけど。弁護士さんはこう言う。
「折角、神様のお使いに来たのに、用がないなら早く帰って、と一方的に突き放すのはどうかと」
お父さんはこう言う。
「でも、うるさくてしょうがないから」
「こういうところを、あっちは突っ込んできますよ」
「突っ込むって、なんのために? これは俺がちゃんと見て書いたんだから」
「いいですね、その見て書いたって。分かりました、そんなに純真だから貴方は若者に人気がある。あっちの目的は示談金もあるでしょうが、まず亡くなった苦しみの持って行きようがないんですよ。若い子達ですし。犯人を決めたいんです。……流歌さんだったらどうします? 息子さんがあのような死に方をなさったら?」
お父さんは意外にも即答する。
「馬鹿な息子を育てた、我が身を呪いますね。……そうだ、なぜ他人を巻き込みたいのだろう?」
海渡が突然立ち上がる。
「僕、和樹のことを知っている友達がいたんだ」
海渡はしばらく電話の相手と喋っていた。僕はルームサービスに電話して、コーヒーと簡単な朝食を頼んだ。
 海渡が電話を切った。
「最悪かも知れません、和樹のお父さんは生命保険会社に勤めているって。都内にあるオフィスの支店長だって」
弁護士さんが言う。
「最悪ですね。生命保険屋の息子が自殺したんじゃ。支店長という責任ある立場であり、恐らく息子さんに生命保険も掛けられていた。鬱病の診断があれば、自殺でも保険金が下りる場合がある。父親は、死んだのは自分のせいじゃないことを世間に証明したいんだ。でもあっちには証拠がないから、あっちの言うことは、全部でっち上げになりますよ。でっち上げに対抗するために、あの詩を解明しましょう」
 
 
 三百匹の天使のうち、百匹は捕まって牢屋に入れられる。でも牢屋を抜け出して堕天使に変身する。残りの二百匹は殺される。でも二百匹も殺して、殺すのはいいけどさ、後始末どうすんの。あれって燃えるゴミ? それともあれって燃えないゴミ? 知らないよそんなこと。取り敢えず都庁に電話しよう。
 
 
 お父さんとウスバカゲロウ達が、みんなで一緒にラップで歌う。
「ここはラップなんですね。この部分が問題です。……二百匹は殺される」
弁護士さんが言った。お父さんが答えた。
「でも、百匹は助けたんですよ」
「でも二百匹も殺して、殺すのはいいけどさ、……これも問題です」
「あ、そう言えば、その辺は警察で聞かれた。取り調べの時」
「なんて言ったんです?」
「見たままを書いたって」
「じゃあ、この都庁に電話しよう、って?」
「しましたよ。二百匹もいたら後始末に大変だから」
「そんなことを言ったら、精神鑑定を食らうかも知れない……。その他には警察になんて聞かれたんですか?」
「かなりしつこく聞かれた。若い男の子に興味があるか、って」
「なんて言ったんです?」
「男には興味ないって。そしたら、なんでアントライオンズのファンクラブには男しかいないんだ、って」
「なんて言ったんです?」
「それはファンクラブの連中に聞いてくれって」
 この辺からお父さんは喋らなくなった。いつもは喋らなくてもいいところでもよく喋るのに。身体も重そうであんまり動かなくなった。いつもは動かなくてもいいところでもよく動くのに。
 
 コーヒーがポットで届いた。ホテルのスタッフは給仕しようとしたけど、僕は食べ物を積んだワゴンだけ受け取った。みんなに香りのいいコーヒーを注いであげた。銀の食器だけが、呑気に幸せそうに光っている。
 高層階の窓の外を、誰が飛ばしたのか、ピンク色の風船が飛んでいる。風船は僕に一瞬手を振って、僕も振り返して、上昇気流に乗って、もっと高くに舞っていく。
 海渡は、さっき友達に電話をしていた時に紹介された、もっと和樹に近かった人に電話をする。
「和樹は高校時代ほとんど引きこもりで、やっと大学には入れたけど、ほとんど通っていなくて、家では大音響でアントライオンズを聴いていた。最近は鬱病で病院を出たり入ったりだったらしい」
弁護士さんが言った。
「じゃあ、家族はアントライオンズの曲はよく知っているんだ。やっぱり詩が問題だな。もう一度読んでみよう」
お父さんは頭を抱えて、弁護士さんに聞いた。口が重い。
「……警察にはもう説明しましたよ」
「あちらは、自殺教唆という犯罪をでっち上げるつもりです」
僕は思わず叫ぶ。
「お父さんは自殺しろ、なんて誰にも言ってない!」
僕が大きな声を出したので、弁護士さんの声も少し大きくなった。
「だったら、それをちゃんと証明しないと駄目だ!」
弁護士さんは落ち着こうとして、自分のパソコンに目を落とす。でもそれでは落ち着けなくて、深呼吸をしている。
 海渡がみんなに言った。決心した様に。
「続きをやりましょう」
 
 
天使二百匹も殺したの?
別に殺すのはいいけどさ、
後始末どうすんの?
それって燃えるゴミ?それとも
それって燃えないゴミ?
知らないよ、そんなこと。
あとの百匹はどうしたの?
まだ生きてるよ。
 
ほんとにまだ生きてるの?
どこ行っちゃったの?
みんな捕まって、
牢屋に入れられて、
でも堕天使に変身して、
この歌になった。
このメロディーになった、
長い長いこのメロディー。
 
堕天使の歌だけど、
いつまで続くの?
それは俺の背中に
羽が生えるまで。
堕天使が俺の背中に
羽を付けてくれる。
ほんとに飛べるやつ?
ほんとに飛べるやつ。
 
 
 弁護士さんが発言する。
「堕天使が俺の背中に、羽を付けてくれる。ほんとに飛べるやつ、って言ってますよね。だからほんとに飛べるのかと思って飛んだ、と言われそうです」
僕が言った。
「そんな馬鹿馬鹿しいこと。小さい子供でも分かるでしょう、ビルの上から飛んだらどうなるか」
弁護士さんが言う。
「なにをでっち上げられても動揺しない、という練習をしましょう」
僕の目の前を緑色のウスバカゲロウがふらふら行く。僕は大事なことを思い出した。
「お父さん、この間の人なら、きっと証人になってくれる!」
お父さんが呟く。
「だれ、なに、どこ?」
「僕に緑色の宇宙人を取ってくれた人」
僕はその人がくれたアドレスに、またメールを送ったけど、やっぱりいつまでも返事がなかった。どうしてだろう?
 
 
九、
 
 僕は叫んだ。
「僕達の家がテレビに出ている!」
弁護士さんが言う。
「なんで家宅捜査なんてやるんだ。なにも出て来ないぞ」
ドアがノックされる。刑事さんだ。渋い魅力のレインコートを着ている。雨も降っていないのに。
「どうせ証拠不十分で不起訴になりますよ。捜査は形式です。警察もそこまで暇じゃない」
刑事さんはコートを着たまま、空いている椅子にどっかり腰を下ろした。僕はコーヒーを注いであげた。朝食のトーストと果物を横目で見ているので、僕は皿に取り分けて、刑事さんの前に置いた。刑事さんはあっという間にそれを食べた。僕は交番のお巡りさん達がいつも高速で食べるのを見ているから、あんまりびっくりはしなかったけど、僕以外の人はびっくりしていた。
「検察も裁判所も、こんな事件に費やす暇はないですから、起訴も形式です。世の中がこれだけ騒いでいますから、裁判はやります。しかし、我々警察庁は、あんなにお世話になった若月さんの息子さんを犯罪者にはさせません」
 今そこにいたと思った刑事さんは、高速で去って行った。弁護士さんが刑事さんの言ったことを説明してくれる。
「警察も検察も、あの子達の死は流歌さんのせいではない、と知っているんです。でも世間の目もありますから、検察も起訴はします。でも証拠不十分で起訴は取り下げられるだろうということです」
お父さんが動揺している。なにがあっても呑気な、ラブ・アンド・ピースのお父さんが。
「裁判になるなんて、俺はどうすればいいんだろう?」
「普通にしていてください。怪しまれない様に」
僕が聞いた。
「でも、お父さんは、普通にしていると怪しいんです」
叔父さんも、海渡も、そうだ、そうだ、と同意する。
「兄さんは今まで、家賃も食費も払わずに生きてきたから、現実を知らないんだ」
叔父さんが変なことを蒸し返す。弁護士さんが言う。
「じゃあ、普通にしてないで、流歌さんのありのままでいてください」
僕が言う。
「でも、お父さんのありのまま、っていうのもかなり怪しいです」
「じゃあ、練習しましょう。詩のどの辺を突っ込んでくるか。警察があの様に言っていても、実際の裁判になると、なにが起こるか全く分かりません。僕も信じられない様な逆転劇をたくさん見てきました」
 裁判という言葉を聞いて、お父さんはもっと静かになった。お父さんは女の人に振られたって普通にしているのに。振ったのがどっちなのか確証はないけど、その数だけ破局している。こんなのお父さんじゃない。
 
 当日。僕達は弁護士さんが持って来てくれたスーツを着た。海渡はよく似合っていたけど、僕が着ると胸板が、がりがり薄くて似合わない。弁護士さんは、叔父さんのスーツより、もっとばりばりなのを着ている。眉目秀麗、成績優秀で、自信に満ちで見えるけど、内心はどうなのだろう。この人は文学を理解する人なんだ。僕は彼を信じた。
 裁判官が入って来た。なんで裁判官だと分かったのかというと、その人が絵に描いたような裁判官の長い服を着ていたからだ。暫らく様子が可笑しいお父さん。喋らないし、目も半分閉じて、お父さん、疲れているの? と聞いてもやっぱり返事がなかった。
 僕は海渡と一緒に傍聴席に座る。当たり前だけど、緊張する。少し周りを見渡す。傍聴席に黒い服、葬式と同じくらい黒い服を着た人達がいる。海渡が、あれは原告の人だよ、と言う。僕は、原告という意味がはっきり分からなかった。
「あれは亡くなった子達の家族だよ」
大学生だった和樹とまだ高一だった紅秋。天使になって飛ぼうとして、でも飛べなくて、落ちて、亡くなってしまった。
 お父さんと向かい合わせに座っている人は誰なのか、海渡に聞いた。あれが検察官だよ。検察は、流歌さんに罪があると思って、国家に代わって訴えている人だよ。検察官達は、僕にはなんだか非現実の人の様に思えた。病院にいる患者みたいに顔が白い。きっと触ると皮膚が冷たい。
 お父さんはやっぱりじっとして動かない。裁判官が、なんだか知らないけど、なにかを読み上げて、それから裁判が始まったみたいだった。裁判官がお父さんに言った。
「被告人は、裁判の準備ができていますか? 体調が悪いなら延期することもできますよ」
被告人とは、お父さんのことだ。お父さんは力なく、首を振る。延期はしたくないんだ。なぜだろう? 弁護士さんが発言する。
「被告人は体調が悪いですから、次の機会まで裁判の延期を求めます」
裁判官の声が、法廷に低く響いた。
「本人は大丈夫だと言っているようなので、このまま続けていきましょう」
 
検察1:被告人を自殺教唆罪を犯したとして告訴します。被告人はアントライオンズというロックバンドを組織し、未成年を中心としたグループをファンクラブと称して洗脳し、二人の貴重な若い命を奪うという悲劇を起こしました。
検察2:その証拠に亡くなった時、二人は背に天使の翼を背負っており、ジーンズのポケットには、被告人が創作した『天使の翼』という曲の歌詞が入っていました。
弁護士:証拠不十分です。被告人と二人の関係は到底、立証できません。
証人1:和樹の父:息子がアントライオンズというバンドのファンになってから、勉強はしないし、引きこもり状態になりました。なんらかの手段で、マインドコントロールされていたのは事実です。
弁護士:それだけではマインドコントロールされていた証拠にはならず、マインドコントロールされていたとしても、アントライオンズには動機がありません。
証人1:和樹の父:被告人は同性愛者であり、特に未成年に性的興味があり、私の息子と紅秋を性的に弄んでいたのです。
弁護士さん:全く証拠がありません。
 
 僕のお母さんが証人台にいる! 着物姿しか知らないから、洋服だと違う人みたいだ。でも、あの時みたいに綺麗で品がよくて、きっとこの人はいつも品がいいんだ。僕はこの人がお母さんでよかったと思う。
 
証人2:礼実:若月流歌は私の夫です。彼との間に息子がいます。夫はゲイではありません。ただの女好きです。(法廷から笑い)この人は幾つになっても馬鹿みたいに純真だから、青少年に悪さをするなんて、絶対ありません。でも夫は、なぜか今、自分が悪かったと思い込んでいる。いじいじして。こういう馬鹿みたいな思い込みは、今まで幾らもあった。(叫ぶ)あなた、なにか言いなさいよ! ほんとに煮え切らないんだから!
 
 お母さんが傍聴席に戻った。振り向くと、お母さんは僕に微笑んでくれた。隣に座っているのは宮崎だ。宮崎は軽く手を振ってくれた。
 
検察1:『天使の翼』の歌詞ですが、とても配慮に欠けた内容です。神様の使いである筈の天使を二百匹殺し、百匹を牢屋に入れる、などというストーリーを、青少年のグループに向かって歌うのは適当ではありません。
弁護士:表現の自由は、日本国憲法第21条に定められています。『天使の翼』が青少年に害を与えるとは到底考えられません。
裁判官:なんだか今日はこの部屋暑いですよね。……被告人は『天使の翼』について、なにかコメントはありますか?
 
 テレビドラマとかで観る被告人って、髪も短く切って、立派なスーツを着ているのに、お父さんは髪はいつもの長いままで、毛先もピンクのままだ。着ているものは、アントライオンズの着古したTシャツだ。弁護士さんと叔父さんが、いい格好をさせようとしたけど、お父さんがそれを嫌がったんだ。僕も髪を後ろで纏めてあげようとしたけど、嫌がったんだ。お父さんは本当にどうしちゃったんだろう?
 
お父さん:(ウスバカゲロウが鳴くように)俺が悪いことをしたんだったら、償いたいと思います。
 
 傍聴席いっぱいの人々から、反論の声が、がんがん上がる。裁判官さんが例のハンマーみたいなやつをばんばん叩く。みんなが静かになる)
 
検察官2:二人の自殺の動機がありません。遺書もないですから、動機を表すのは二人の着けていた天使の翼と『天使の翼』の歌詞だけです。
弁護士:和樹さんは鬱病で病院を出たり入ったりしていました。紅秋君とは恋人関係であり、二人は一緒に死のうと決心したのではないでしょうか?
証人1:和樹の父:紅秋君は死ぬ数か月前から様子が可笑しかったと聞いています。和樹と同じ様に部屋に籠って、アントライオンズの曲ばかり聴いていたとか。あのふざけたロックバンドに洗脳されていたのです。私の息子はもう帰ってきません。この件を殺人として、被告人に極刑を求めます。
 
 傍聴席いっぱいの人から抗議の声。裁判官がハンマーみたいなのを叩く。みんなが静かになる。
 
弁護士:今回の起訴内容は殺人罪ではありません。自殺教唆罪です。この事件は到底、殺人とは言えません。和樹君は事件の前、鬱病で何度も入院していたのです。入院する程の鬱症状の者は、冷静な判断ができません。この事件は被告人とは関係ありません。
裁判官:やっぱりこの部屋暑いですね。……被告人、なにか言うことはありますか?
お父さん:(力なく首を振り、否定の意を表す)
弁護士:被告人は体調が悪く、裁判の延期を求めます。
裁判官:被告人には裁判の続行の意志があります。
 
 お父さんは基本、存在自体がふざけた人だから、こんな風に気分が落ち込んだところは見たことがない。それってストレスが原因なのかな? 僕は心配になって、お母さんの方を向く。宮崎が格好いいウィンクを飛ばしてくれる。
 
検察1:アントライオンズは極、普通の男性五人のロックバンドでありながら、ファンが高校生を中心とした男性であるのは大変、不可解。
検察2:アントライオンズの歌詞にはゲイに関係のある歌詞がいくつかあります。電車の中で男性がチカンに会う、などという、不道徳なものです。
 
 僕はこの裁判が刑事さんの言った通り、形式だけで済むんだと思っていたけど、この様子だと裁判官も検察も本気だ。どうしよう? 僕はお父さんがこっちを見た時、ピースサインを送った。反応はなかった。
 
弁護士:性的マイノリティーを差別するのは、適当ではありません。先程も言いましたが、表現の自由は、日本国憲法第21条に定められています。アントライオンズの詩が不道徳とは到底考えられません。ユーモラスで、楽しい曲ばかりです。
 
 傍聴席いっぱいの声援が飛ぶ。裁判官さんがハンマーみたいなのを振り下ろす。みんなが静かになる。
 
裁判官:傍聴人、これ以上騒ぐと退室を命じますよ! ……被告人は自分の創った詩に対し、なにか言いたいことはありますか?
お父さん:(力なく首を振って、否定の意を表する)
 
 傍聴席が、がっかりした声で埋まる。
 
裁判官:(ハンマーみたいなのを軽く叩く。そして傍聴席を見ながら独り言の様に呟く)なんで今日はこんなに若い男性が多いんだろう? 百人はいるな。それになんでこんなに暑いんだろう?
 
 法廷のドアが開いて、なにかの修理人みたいな恰好をした人と、裁判所の偉い人みたいな人が入って来る。修理人みたいな人は、梯子を担いでいる。偉い人みたいな人が言う。
「裁判官、この部屋の丁度上で、空調になにか詰まっているらしいんです」
裁判官が許可を出すと、修理人が梯子を登る。
 
裁判官:なんだ、随分暑いと思った。
修理人:(空調の蓋を開けて、長い棒で中を突っつく)あ、詰まってる、詰まってる。
 
 空調の中から、ありとあらゆる色のウスバカゲロウ達がふらふら降りてくる。部屋全体が虹色に輝く。
修理人:なんだ、こんな変なものが詰まっていたんだ。
裁判官:へえ、可愛いな。
 
 僕達は傍聴席の一番前に座っている。ウスバカゲロウ達は、裁判側と傍聴席を仕切る柵に乗って、器用に足を上げて、手を繋ぎながら、ラインダンスをしている。傍聴席全体は、笑うとまた裁判官がうるさいから、声に出さないで、くくくっと笑っている。お父さんにたかっているウスバカゲロウは、一生懸命お父さんを叩いたり蹴ったりしている。でもお父さんは反応しない。
 
弁護士:これはウスバカゲロウと言って、英語ではアントライオンです。
検察1と2:(ウスバカゲロウが見えないらしく、辺りを見回す)
裁判官:裁判を続けます。(と言いながら、ウスバを手に載せて遊んでいる)
証人3:私は西郷恵美香と申します。亡くなった紅秋の姉です。
 
 お父さんがビクッと動く。黒いスーツを着た若い女性だ。あの声は聞いたことがある。あの日本人離れしたエロい体型にも見覚えがある。緑色のエイリアンを吊り上げてくれた人。お父さんが彼女を見る。
 
証人3:恵美香:紅秋は死ぬ前の数か月、確かに変でした。部屋に閉じこもってアントライオンズの曲ばかり聴いて。あんなに可愛い弟が亡くなったなんて信じられないです。(目頭を押さえる)
検察1と2:(しめしめという顔をする)
証人3:恵美香:でも、私は弟が死んだのはアントライオンズの曲のせいとは思いません。(お父さんを見る)
検察1と2:(意外だ意外だ、という顔をする)
お父さん:(恵美香に弱弱しく微笑む)
証人3:恵美香:弟は未成年ですので、私は何度かアントライオンズのライブに付き添って行きました。あんな、……あんなふざけた曲が、マインドコントロールなんて、そんなわけないです。
検察1:証人は、自分の意見ではなく、事実のみを発言するように。
弁護士:証人に話を続けさせてください。
裁判官:証人は続けてください。
証人1:和樹の父:(恵美香を睨む)
証人3:恵美香:流歌がゲイかどうか、ですが、彼は私がちょっとちょっかいを出しただけで、直ぐ引っ掛かりました。私にはバイセクシャルの友達が何人かいますが、流歌はバイセクシャルではないです。ただの女好きです。(傍聴席からぱらぱら拍手が聞こえる)
検察2:証人は事実だけを述べるように。
弁護士:証人に話をさせてください。
裁判官:証人は続けるように。
証人3:恵美香:(お父さんに近付く。ハイヒールの音が法廷中に響く)流歌、なんでか知らないけど、紅秋はほんとにあんたのことが好きだった。紅秋は幸せだった。あの子は小さい頃から気が弱くて、自分の意志を初めて見せたのは、アントライオンズのファンになってからだった。流歌、ちゃんと言いたいことを言いなさい! (お父さんに掴みかかろうとする。二人の警備員が恵美香の腕を一本ずつ掴む)
検察1:被告人と恋愛関係にあるものは証人として認められません。
弁護士:異議あり!
検察2:(恵美香に)貴女は被告人を愛していますね?
証人3:恵美香:だからなに?
検察2:はい、か、いいえで答えてください!
証人3:恵美香:はい、私は流歌を愛しています!
 
 お父さんが恵美香を見る。それから傍聴席のみんなを見る。突然、さっきと同じくらいの大人数のウスバが、天井の空調から、ふらふら落ちて来る。そして『天使の翼』を合唱する。傍聴席のアントライオンズのファンも一緒に歌い始める。
 
証人3:恵美香:(ウスバが頭にたかるのを払いながら叫ぶ。そして更にお父さんに近付こうとする)流歌、こんな馬鹿馬鹿しい茶番劇から自分を守るのよ。私達をがっかりさせないで。裁判官、この人は純粋なの、馬鹿みたいに。みんな流歌のことが好きなのよ! (警備員が恵美香を傍聴席に座らせる)
 
 みんなは声を張り上げて歌う。いきなりカッコいい短い名前をもらって喜ぶ、ウスバカゲロウこと、ウスバ。ウスバ達も一緒に一生懸命歌う。僕と海渡も立ち上がってみんなと歌う。
 
 
天使が空に舞っている。
どのくらい? 三百くらい。
なにしに来たの?
神様のお使いに。
なに言いに来たの?
教えて! 教えて!
 
天使が地上に降りて来た。
三百来たら、どんな音するの?
鳥が舞ってる音?
蝶が舞ってる音?
バッタの舞う音。
うるさい! うるさい!
 
 
裁判官:(盛大にハンマーを振り下ろす)みんな、うるさい! うるさい!
 
 法廷はなかなか静かにならない。警察官がどやどや入って来る。ドアが開いた時、風向きが変わってウスバ達はあたふたするが、頑張って空中でアクロバット飛行をしながら、お尻から羽の色とマッチした色の煙を吐く。法廷が煙でむせ返る。圧巻なのは、逆さまになったままの飛行だ。みんなが喜んで手を叩く。「流歌さん、僕達の為に頑張って!」という、大いなる声援が飛ぶ。
 
裁判官:傍聴人は静かにするように! 騒ぐやつは追い出すからな! いいか!
お父さん;(裁判官に向かって手を上げる)
裁判官:(喜んで)被告人、どうぞ、どうぞ、お話しください。
お父さん:『天使の翼』ですが、かなり昔のことなので、どういうつもりで創ったのか覚えていない。根っこのコンセプトだけは覚えているけれども、あれは天使が三百匹も来たらうるさくてしょうがない、というだけの曲です。
検察1:証人が発言したいそうです。
弁護士:流歌さんに最後まで話をさせてください。
裁判官:証人は証人台へ。
証人1:和樹の父親:そんないい加減な言い訳は通用しない。和樹は死んだんですよ。アントライオンズの歌詞をポケットに入れて。(目頭を押さえる)自殺を勧める意図があったに違いない。
弁護士:こちらの証人も発言したいそうです。
 
 海渡がすくっと立ち上がる。いきなりのことで、僕は驚く。海渡が証人の一人だとは知らなかった。
 
証人4:海渡:僕達アントライオンズのファンは、流歌さんのそういういい加減なところが好きなんです。一番のヒット曲である『天使の翼』がそんなにいい加減なコンセプトで創られているとか、僕達はそういうところが好きなんです。僕達ファンにとって『天使の翼』は一番大事だから、僕も死ぬ時は、背中に羽を付けて、ポケットに歌詞を入れて、それで死にます。
 
 傍聴席から、やいのやいのの歓声が上がる。
 
裁判官:(ハンマーを打ち下ろす)なんだ、今日の傍聴人は。ここは幼稚園じゃないぞ。
流歌:君達! アントライオンズのファンは手を上げて!(ほとんどの傍聴人が手を上げる。流歌はみんなを見て微笑む。みんなが上げた手を振るって応援する)
検察官2;新しい証拠の提出をします。(お父さんのパソコンを示す)警察が家宅捜査で見付けた詩です。一番新しいものだそうです。
 
 お父さんの一番新しい詩って? 僕達は大きなスクリーンに映された詩を見る。
 
 
RC,RC,
現実の反対は、涅槃、ニルヴァーナ。リアリティー・チェックをするとそこへ行ける。
俺が殺した天使と一緒に、屋上から頭を下に、両手両足を広げて飛ぶと、俺はそこに行ける。ニルヴァーナ。
血の池にうつぶせになって俺は沈む。涅槃は直ぐそこ。
 
 
裁判官:被告人はこの詩を説明しなさい。どういう意味なのか?
お父さん:これはまだ曲もできていない新曲です。(新曲と聞いて、傍聴席のファン達が、わー、という驚きの声を上げる)
検察1:これは明らかに自殺をほのめかしている。明らかに自殺教唆です。
裁判官:被告人。
お父さん:でもこの詩を知っているのは、まだ息子と海渡だけですよ。
検察2:しかし、この詩を発表するつもりなんですよね?
弁護士:今のは誘導尋問です。
裁判官;被告人、このRCってなんのことですか?
お父さん:なんだっけ? と言いながら、海渡の方を見る。
証人4:海渡:RCというのは、リアリティー・チェックのことです。認知療法という心の病を治す療法があって、現実を正確に認識し、分析し、非現実的な短絡的な考え方を矯正しようとするものです。
裁判官:さっきの詩と全然関係ないじゃない。
証人4:海渡:そうなんですけど、あの詩は流歌さん独特のRCの解釈です。
検察1:被告人は、本当にこの詩を若者に聴かせるつもりですか?
お父さん:そうですよ。だって折角書いたし。
検察2:この詩は明らかに自殺教唆です。自殺を考えていない者に自殺を進めている。
弁護士:この詩の内容は、証拠としては不十分です。
お父さん:(手を上げる)
裁判官:被告人どうぞ。
お父さん:曲もある程度できているんですけど、ちょっと歌ってみましょうか?
検察1:曲は関係ありません。詩が既に問題です。
弁護士:これは曲ですから、詩だけ読んでいては理解できません。
裁判官:歌ってよろしい。
 
 五十匹くらいの色とりどりのウスバが、お父さんの前にふらふらやって来て、お父さんと一緒に歌う。傍聴席のファンは一生懸命耳を澄ます。お父さんの音楽はいつも歌詞と全然関係ないんだよな。RCの曲は、元気いっぱい牧場を駆ける若者達、みたいな曲調だ。お父さんお得意のメッセージ、若者よ、大志を抱け! みたいな。
 
弁護士:ほらね、いい曲じゃあないですか。爽やかで。
検察2:どこが爽やかなんですか? 自殺を勧めているんですよ。
裁判官:(海渡を見て)君、ファンの君から見て今の曲をどう思いましたか?
証人4:海渡:なんだかすっとぼけた曲だと思います。流歌さんお得意の、お気楽な意味のない曲です。
裁判官:それにしてもそもそも、こういう曲がなぜ若い男性に受けるのだろう? (海渡に)なんで君達はアントライオンズが好きなの?
証人4:海渡:それは、流歌さんが、こうやって、君達! って僕達を指差して、話し掛けるところが痺れるんです。
傍聴席:(みんなで、小声で)そうだ、そうだ。
裁判官:君達?
証人4:海渡:そうです。こうやって。(君達! をやって見せる)太宰治がやるのと同じなんです。中二病の若者に向けて。それから高校生になっても中二病をずるずる引き摺っているみたいな、僕みたいなのに向けて。僕はこう思うけど、君達はどう思いますか? という風に話し掛ける。それが痺れるんです。
検察1:我々は、先程のRCという詩の内容を論じたいと思います。
弁護士:ファンにとって、なぜアントライオンズが大事なのか、もっと知る必要があります。
裁判官:(お父さんに)ちょっとその、君達! っていうのをやってみて。
 
 ウスバ達は何度かお父さんと一緒に練習しているので、みんなでお父さんと一緒に、君達! をやってみる。お父さんが君達! をやると、傍聴席中から男の子達の、きゃーきゃー、という黄色い歓声が上がる。
裁判官:(ハンマーを打ち下ろす)傍聴席、静かに!
証人:4:海渡:だからね、僕達はあんまり歌詞とか、関係ないんですよ。流歌さんの、君達! に励まされるんです。少年よ大志を抱け、みたいなメッセージを感じるんです。詩とか、曲とかはそんなに大事じゃない。だから、和樹や紅秋が亡くなったのは、流歌さんの曲とは全く関係なかった筈ですし、その新曲だって、詩の内容なんて、いつもの戯言で、そんなの誰も気にしませんよ。
傍聴席:そうだ、そうだ。(裁判官に睨まれて静かになる)
 
 お父さんとウスバ達はまだ、君達! のカッコいいやり方を研究している。ウスバ達は上手に、君達! ができて、お父さんに褒められる。
 
証人1:和樹のお父さん:(僕のお父さん達を見て呆れている)
検察1+2:(僕のお父さん達を見て呆れている)
証人1:和樹のお父さん:(傍聴席で泣き崩れる)……こんなに馬鹿馬鹿しい裁判がありますか? 家の息子は死んだんですよ。このロックカルトのせいで。
証人3:恵美香:でも紅秋が死んだのはアントライオンズのせいじゃありませんよ。
裁判官:証人は証人台で話しなさい。
 
 和樹のお父さんと恵美香が争って証人台に上がろうとする。二人でもがく内に、どうにか恵美香が勝って、証言を始める。
 
証人3:恵美香:カルトというのは、もっと頭のいい人が作るもので、流歌には到底そんな能力はないです。紅秋が死んだのは和樹の自殺教唆があったせいです。高一の弟は、大学生の和樹に一緒に死のうと持ち掛けられて、死のうなんて思ったこともないのに、一緒に飛び降りてしまった。それこそが本当の自殺教唆です。もし、流歌が有罪になったら、私は亡くなった和樹を自殺教唆で訴えます。
裁判官:亡くなった人を裁判にかけることはできませんよ。
証人3:恵美香:あらまあ、やだ、そうなんですか? まあ、どっちにしろ弟が死んだのは和樹のせいですから、流歌が有罪になったら、私は弟が死んだ本当の理由を、世間に公表します。
証人1:和樹のお父さん:(大人しく、すごすごと傍聴席に戻る)
 
 天井の空調から、まだまだカラフルなウスバ達が出てくる。ふらふらと法廷中を彷徨いながら『天使の翼』を歌う。蝶みたいに羽ばたいて、羽ばたく度に光が跳ねて、とても綺麗だ。
 
 
天使二百匹も殺したの?
別に殺すのはいいけどさ、
後始末どうすんの?
それって燃えるゴミ?それとも
それって燃えないゴミ?
知らないよ、そんなこと。
あとの百匹はどうしたの?
まだ生きてるよ。
 
ほんとにまだ生きてるの?
どこ行っちゃったの?
みんな捕まって、
牢屋に入れられて、
でも堕天使に変身して、
この歌になった。
このメロディーになった、
長い長いこのメロディー。
 
堕天使の歌だけど、
いつまで続くの?
それは俺の背中に
羽が生えるまで。
堕天使が俺の背中に
羽を付けてくれる。
ほんとに飛べるやつ?
ほんとに飛べるやつ。
 
 
 傍聴席:ファンの子達の背中に羽が生えてくる。翼は徐々に長く伸びて、みんなの身体がちょっとずつ宙に浮いてくる。みんなは天井近くまで浮いて、今まで座っていた椅子を見下ろして、わーい! という歓声を上げる。みんなが一斉に羽ばたくと、うるさい! うるさい!
裁判官:(ハンマーを打ち下ろす)君達! 宙に浮くのは止めなさい!
お父さん:君達! (浮いている子達を指差す)宙に浮くのは止めなさい!
ウスバ達:君達! 君達! 君達! (浮いている子達を指差す)宙に浮くのは止めなさい!
 
 お父さんとウスバ達は、日頃常々熱心に練習していた、君達! をカッコよく決める。お父さんの、君達! を聞いてファンの子達が嬉しくて、ばたばた飛び回る。警察官が雪崩れ込んで、ジャンプして、浮いているみんなの足を引っ張って、引き摺り下ろす。ファンの子達もお互いの足を引っ張って、みんなを、お行儀よく椅子に戻す。それでもお尻が椅子から浮いているのがいる。お互いに、えへへ、と笑う。
 
 
十、
 
 審理を終えた裁判官が、法廷に入って来る。お父さん、お母さん、僕、海渡、ファンのみなさん、恵美香さん、ウスバ達、検察官、その他の原告に明らかな緊張が現われる。
 
裁判官:判決:この裁判は被告人の謎の無言から始まり、和樹君の父親からの殺人求刑、確か原告だった筈の恵美香さんからの無罪発言、それと被告人を愛している発言、傍聴席からの数多い騒ぎ、証拠として楽曲の演奏、等、普通ではない、と言うか、私はこれ以上の時間と公費の無駄の裁判はやったことがない。警察、検察には、法廷の時間を無駄にした事実に対し反省を求める。え……、(咳払い)アントライオンズには、なぜか青少年の心に希望を与えるという不可解な真実があり、なにかの役には立っていると判断する。アントライオンズの楽曲は、これ以上ない程、おちゃらけた、ナンセンスなものであり、自殺教唆とは到底考えられず、従って、この事件は求刑されている自殺教唆には当て嵌まらず、被告人に無罪を言い渡します。
 
 僕は嬉しくて、お父さーん! と叫ぶ。傍聴席から、大勢のわーい! わーい! という歓声。みんなは翼を広げて、ばたばた宙に浮かぶ。恵美香さんがお父さんに駆け寄り、二人は激しく抱き合ってキスをする。宮崎の右手がお母さんの左手をしっかり握る。僕は、え、そういうことだったの? と驚く。年の離れたカップルだな。でも、まあ、いっか。お母さんが幸せなら。
 あれれ、僕と海渡の背中にも羽が生えてくる。僕達はみんなで羽ばたきながら法廷の外に出る。大勢のマスコミのみなさんが、大きなカメラを抱えている。弁護士さんがテレビでよく見るような大きな紙に、無罪、と書いたものを世間にさらす。弁護士さんはマスコミのインタビューに答える模様。
 
マスコミ1:無罪、おめでとうございます! 判決を聞いてどうでした?
弁護士:あんなに時間と公費の無駄遣いな裁判は初めてだ、と褒められました。
マスコミ2:亡くなった二人についてなにかコメントは?
弁護士:二人のことは非常に残念です。しかし、二人のことはアントライオンズとは全く関係ないことが実証されました。これからも僕等、弁護士は自殺の予防に貢献していきたいと思います。
マスコミ3:アントライオンズのライブが数日後に控えていますが、まだチケットがあったら僕も欲しいんですけど。
弁護士:それはこちらのプロデューサー二人にお聞きください。(僕と海渡を指差す)
海渡:チケットは完売です。当日はダフ屋が横行すると見て、警備員を配置します。
 
 インタビューが終わって、天使の僕達は、百人で空を自由に飛んで行く。空を飛ぶってこんなに素晴らしいことだったんだ! 雲の上にはなにがあるのかな? と、子供の頃から僕はいつも不思議だった。僕は雲の中を飛ぶ、一瞬なにも見えなくなる。吸った雲が口の中に入る。へえ、雲って甘いんだな。温かくて。それに、お母さんの匂いがする。僕は雲の上に顔を出す。
 ああ、こうなっていたんだ。赤ちゃんサイズの、赤ちゃんスタイルの天使達がたくさんいる。むかしむかしの絵画に、よくいたような天使。ベレー帽を被って、絵筆を持っている。赤ちゃん天使達は、お行儀よく一列に並んだ、羽化したばかりのウスバ達、一匹一匹に順番に、パレットから取った様々な色を塗っていく。ウスバ達は鏡に映った自分を見ながら嬉しがって、鏡に向かってポーズを取る。
 
 ライブ当日。僕はお父さんとバンドのメンバーと海渡と一緒に裏口から入る。マスコミが三匹くらいたかって来たけど、警備員に阻止される。あの写真、海渡の手の中でウスバ達が光っているのをTシャツにした。メンバーみんなはそれを着る。だからスタイリングは楽だった。僕は白い羽がちゃんと飛ぶかどうか扇風機の前で実験する。
 共演のロック・バンドは三組。長いライブになりそう。先に会場入りをしたアントライオンズのリハーサルが始まる。お父さんはやっぱりお疲れ気味。僕はお父さんの目の下に、お高めのコンシーラーを叩きこむ。お父さんが新曲『RC』の楽譜をメンバーに渡す。ギターが物騒な曲だな、という感想を述べる。
 
 本番になった。どこから紛れ込んだのかは知らないけど、プロ用の大きなビデオカメラを持ち込んでいる人が何人かいる。海渡はその人達に取材の許可はあるか、と聞いている。僕は楽屋でお父さん達と一緒にいる。ベースが携帯を観ている。僕はそれを覗き込む。お父さんの写真が出ている。
「ファンの男性二人が心中するという衝撃的な事件で、自殺教唆の疑いで起訴されていた、若月流歌率いるアントライオンズ。今日、ここ渋谷でライブが開かれます」
お父さんがそのニュースを自分の携帯で観る。
「あ、よかった。今日の俺の写真は男前だ」
自分で感心しているお父さん。これは実況中継だぞ。僕は海渡と二人で、ニュースを流している奴を捕まえる。若い男だ。意外とメジャーなテレビ局の名刺を持っている。
「僕はずっとアントライオンズのファンですよ」
海渡がそいつに、アントライオンズのファンである証拠の質問十個を浴びせる。そいつは十問中、八問を当てて、海渡の踏み絵作戦は成功する。そいつが言う。
「今夜この映像をテレビで流すと、アントライオンズの宣伝になりますよ。僕等は貴方達に迷惑を掛けるような報道は絶対しません」
 
 本番、最初のバンドは女性だけ。僕達くらいの年の。スカートが短くて、なんだか見えそう。会場で、いつかのレコード会社さんを見付けた。曲の合間に聞いたところだと、この女の子のアイドルバンドみたいなのは、レコード会社さん達がプロモートしているらしい。メンバーはオーディションで集めたらしい。ライブもまだ経験が浅い。これからどうなるか不安らしい。
 二つ目と三つ目のバンドはライブの経験は豊富だけど、特徴に乏しい。僕と海渡で探して来た、ファンがそれなりにいて、赤字は出さない、みたいな。アントライオンズのファンの男の子達は、その三つのバンドが演奏している間、床に座っている。膝枕で寝ているのもいる。可愛いけど。
 
 アントライオンズのギターとベースとドラムが出て来た。熟睡していたファンの子達が飛び上がり、舞台の側へ雪崩れて来る。他のバンドのファンや、その他の人々は、とんでもない騒ぎに驚いて道を開ける。僕がプログラミングした照明が、阿保らしいほど真っ赤でぐるぐる回る。それはいつもお父さんが舞台に出て来るぞ、という合図だ。
 お父さんがカッコ付けて出て来る。男の子達の黄色い声の大喝采! うるさい! うるさい! みんながジャンプすると、床がぐらぐら揺れる。お父さんがみんなを静める。
「君達! 和樹君と紅秋君に黙祷を捧げよう」
しょっぱなから、君達! が出た。二人を知っている子達は抱き合って涙を零す。大手テレビ局のカメラは、舞台の上と観客席にあって、涙を流す子達を撮っている。海渡の目が、お父さんの、君達! を見てハートに変わる。そでで観ている僕と海渡は、一緒に携帯を覗く。まじでライブの実況放送をしていて、僕等は、マスコミって、今よっぱど他にやることがないんだな、と呆れる。
 いきなりチカンの曲になる。みんなはさっきよりもっと気合の入ったジャンプをして、床が揺れる。「山手線でけつ揉まれた」という不謹慎な歌詞を、みんなで大声で歌って、やんや、やんや、の大喝采。お父さんの古い曲が続く。お父さんが叫ぶ。
「君達! 和樹君と紅秋君に、この曲を捧げよう!」
また、お父さんの「君達!」が出た。
 
 
死ぬってどういうこと? 誰も知らない。
生きるってどういうこと? 誰も知らない。
落ち込むのはつらい。
どうして我慢してるの? 助けて、って言って。
俺に言えばいいから。
ドクター言えばいいから。
誰かに言えばいいから。
ネコだってイヌだって、聞くだけは聞いてくれる。
元気になった時、君にもはっきり分かる、
なんだ俺って、ただの鬱病だったんだ。
 
いつか幸せになれるの? 俺には分からない。
このまま不幸のままなの? 俺には分からない。
待ってればいいの?
どうして待ってるの? 助けて、って言って。
俺に言えばいいから。
友達に言えばいいから、
先生に言えばいいから、
小鳥だって金魚だって、君のこと愛してる。
俺が君を愛してる。誰からも愛されない、
って、思っても、俺が君を愛してる。
 
 
 僕はやっぱりお父さんの曲は中二病、ご用達だな、と思う。海渡はまだ目がハートのままだ。曲と曲の合間の一瞬の静けさに、僕の後ろから声がする。
「ネコだってイヌだって、聞くだけは聞いてくれる、か。この曲には僕も助けられたな」
レコード会社さんだ。レコード会社さんは、大手レコード会社の若手のエースだ。
「時に、アントライオンズのサイトが見付からないんだけど、連絡先はどこだろう?」
海渡が答えた。
「前の所属事務所にとんずらされたので、今は航青と僕がプロデュースしています」
「そうか、よかった、よかった。……君達、僕のところからレコードを出さないか?」
僕が怪しんでこう質問する。
「話題になっている時だけじゃ嫌ですよ」
「そんなことはない。今日のライブを聴いて、ファンの様子を見て、やっぱりこのバンドは永遠だな、と感心した」
 やったー! 僕と海渡はほくそ笑む。これで飢えることはないな。お父さんもお祖父さんのところから独立できるな。叔父さんと伯母さんには、もう文句は言わせない。
 桜夏から連絡があって、お祖父さんは来週やっと退院が決まった。お祖父さんは、介護の必要はないほど回復した。よかった。退院までにはお父さんは、お祖父さんの家から夜逃げできる。レコード会社さんがお祝いに飲み物を買ってくれるというので、僕と海渡はバーに行く。
 行く途中で、お母さんと宮崎に会う。来てたんだ。嬉しいな。お母さんはシックな幾何学模様のシャツにジーンズという出で立ち。これまでよりずっと若く見える。宮崎といても、さほど違和感はない。それから恵美香さんに会った。裁判の時はありがとうございました、と挨拶する。お父さんといつまでも一緒にいて欲しい。僕はこれから、しっかり二人を見張っていることにした。
 
 大きなミラーボールに、三百匹のウスバがしがみ付いている。いきなりミラーボールが回転を開始し、ウスバ達は、オー・マイ・ゴー! っと叫びながらふらふら飛び始める。『天使の翼』が始まるんだ。あれれ、僕と海渡の身体が浮き出した。ファンの子達の身体も浮いている。
「君達! この歌を一緒に歌ってくれ!」
ウスバ達も一緒にカッコいい、君達! を決める。お父さんの、君達! で、黄色い声が限界のボリュームでがなる。みんなで『天使の翼』を大合唱しよう。
 
 アンコールも全部終わって、僕達は外へ出る。街の暗がりもいつもと違って見える。変わったのは街ではなくて、きっと僕達なんだ。みんなで翼を大きく広げて、力強く飛んで行く。埃っぽい渋谷の街を、ネオン色のウスバ達と一緒に飛ぶ。ファンの子達に合流してⅤ字で飛ぶと、なんだか渡り鳥になった気分だ。はぐれない様に、みんなで手繋ぐ。
 僕の家出もあれで最後。僕には生きる目的があるし、友達もたくさんいる。中二病だった僕はもうお終い。僕はもう大人だよ。
 アントライオンズを追うマスコミが、僕達を撮っている。渋谷の街を行く人々や、観光客も、僕達を撮っている。お父さん、お父さん、どこにいるの? お父さんはマスコミに捕まりそうになって、逃走を図っている。
 
 
堕天使の歌だけど、
いつまで続くの?
それは俺の背中に
羽が生えるまで。
堕天使が俺の背中に
羽を付けてくれる。
ほんとに飛べるやつ?
ほんとに飛べるやつ。
 
 
 
 
(了)

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