あらゆる事象が季節を教えてくれる
毎日夜通し、雨がシトシト降りつづける。
あぁ~、梅雨なんだなぁ。と感じながら、毎晩雨の声に耳を澄ます。
1日の始まりの天候が、「梅雨」を堂々と主張してくる。
だが、夏の足音が聞えてくる。今年の夏は、どれぐらいの暑さになるのか?例年、人間が溶解されそうなほどの猛暑、酷暑、だが、今年の夏はいかほどか?
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7月に入って半分が経過、以前の感覚と違い、何かに追われることもなく、目の前の一つ一つ、一瞬一瞬に目を向けられることに喜びを感じる。普段、自宅から徒歩30分の事務所へ向かい、そこで1人で時間を過ごすが、下手したら誰とも話さない日が多い。
仕事のメールや電話から飛んでくる言葉に対し、パソコンでキーボードを叩いたり、電話口を通してのやりとり、今の私にとってはそれが会話だ。
その他の会話といったら、自宅での息子との会話や、読書だ。
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「私の身体が私に語り続けてくる」
時に、自分以外の自分が自分の中に何人も存在していて、その自分と自分が会話をしている、そんな感覚を持つことがある。
シンプルに言うと、
■読書をしていれば、視覚からの情報が、私に語り続けてくる。
■会話をしていれば、聴覚からの情報が、私に語り続けてくる。
日々語りかけてくる誰か、何か、その一人一つに向きあう。
~ってこと。
なにかを考える際、映像を想像すると、そこから沢山の言葉が私に語り始めてくる。それを思考というのか、違う何かの呼び名があるのか、その正体は分からないが、そんな時間が結構好きだったりする。
ここでちょっと変わった話を。
ベットの中で、半分をこの世界、半分をどこか違う世界、片足ずつ置くウトウトの時間に、突如自分以外の誰かの声が耳に届くことがある。
別に誰か何かの声が聞こえてるわけではなく、自分の頭に自分以外の思考が突如姿を現す感じと言えばいいのか、それを直感というのか、私には分からない。
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自分をしっかり見ていると、これらの時間を過ごすことができるが、何かに追われていたり、外に目を向けていると、そんな時間は少なかったりする。
自分に余白が出来て今想うことは、
「私は私であり、私である。」
他の誰かになろうとするのではなく、自分自身でいること。
そこから全てが自由を取り戻す。
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自分を生きることができなかった身体や心の痛みを少しずつ癒している途中だ。その時間での梅雨は全てを洗い流してくれる。
ただ、この梅雨の不調が肌に現れてくるのが、残念でたまらない。
かといって、夏を待ち望んでるわけでもなく、忍び寄る夏を前に少しばかり抵抗もしている。
花屋には鮮やかな花が並び出し、木からはセミが大声を出し始めた。
夏は、すぐそこだ。