【365カレーエベレスト街道トレッキング2024:準備編1/5】歩くということ
歩くことが好きなんです。
いつからでしょうか。歩くことが好きになっていました。
歩くことを好きになろう!なんて気持ちはどこにも無かったけど、いつのまにか歩くことが好きな気持ちが僕の中には居ました。
歩くことが好きな気持ちは、どこか外からやってきて僕の中に住みついたのではなく、僕の中で生まれて育ったような気がします。
僕の中、と書いていますが、一般的に僕と認識されている総体は僕自身(≒自我)の所有物ではない感覚があります。自分が自分のものではない、というとややこしいかもしれませんが、少なくとも僕は僕の意志でコントロールし切れるものではありません。
という、↑この考え自体も、どうして僕から発することになっているのか、よくわかってないから不思議で楽しい。
ともかく、歩くことが好きなんです。
誰にも求められていないけれど、なぜ歩くのが好きなのか? 自問してみる時に、だいたいいつも浮かんでくる理由が
歩くことと考えること以外にやることがない、それがいい
というもの。
ちなみに、美術館とかに行くのも似たような理由で好きだったりします。
それにしても、もうちょっとおもしろいというか、誰かに話して、へーっと返ってきそうな理由は無いものかと思ったりもします。
無いのだからしょうがない。
自分の中にへーって理由が見つからないけど、↓ジモコロの記事の中にある
・人間は食べるために歩き、エネルギーを生み出すことで、体がバラバラにならないよう維持している
・動物は歩くことによって、自分の生きている世界のイメージを構築する
・散歩と銭湯は、「自分が自分である感覚」を取り戻してくれる
というのは、かなり興味深い話。
意味とか理由を云々する以前に、なんなら歩くという概念よりも前に、歩くことは生命体が生命体であることと切り離せない、とも言えそうです。
2021年の秋に四国お遍路の1200kmとも1400kmとも言われる道のりを30日以上かけて歩いた時に、「意味に追いつかれるな」と自分に言い聞かせていたことにも納得感が出てきます。
さて、誰に頼まれたわけでもないけれど、歩くことを肯定したい僕の気持ちは満たされてきました。
ただ歩いていたいのです!
ただただ歩いていたいだけなので、何のために歩くのか? 歩いて何になるのか? どこをどう歩くか? 等々は大して重要じゃない気もします。
その証拠に、四国お遍路を歩くきっかけは、友人にそそのかされたことと父が他界したことが主なもので、あまり自発的なものではありませんでした。
とはいえ、歩いてよかった、歩けてよかった、と2年以上経った今でも時々思う程に、僕の人生の一部になっています。
何度も書いてしまいますが、よかったと思うためでもなく、人生の一部にするためでもなく、歩いたのです。
むしろ、歩いている最中なんかは
「おれはいったい何をやっているんだろう?」
と思ったりもします。そう思える感じがまた好きなのです。
さてさて、この記事のタイトルにあるように「エベレスト街道」を歩こうと計画しています。
「エベレスト街道」って何ですか?
という人は↓リンクをご覧になってみてください。
ざっくり引用します↓。
今回の僕の計画は、世界最高峰エベレストに登ろう!ということではありません。技術もお金も意欲もそこまでありません。
本格的なエベレスト登山の入り口まで歩いて歩いて歩きまくろう!ということで、これくらいなら僕の体力で何とかなりそうだし、お金も頑張れば何とかなりそうだし、そのための意欲は十分にあります。
エベレスト街道トレッキングに行ってみよう!と思ったのは、写真家の石川直樹さんの影響をもろに受けています。
端的に言えば、僕は石川さんのファンです。
写真集や著書を拝読するのはもちろん、トークイベントに行ったり、写真のワークショップに参加したりしています。
そんな石川さんがコロナ禍で大打撃を受けたネパールの観光トレッキング産業の従事者に、寄付で集めたお金を渡しに行く様子が収められた本があります。
↑これです。
『シェルパの友達に会い行く-エベレスト街道日誌2021-』石川直樹著
この本が出た頃のトークイベントでは、
「ぜひエベレスト街道に行ってみて欲しい」
「基本的には誰でも行ける」
といったことを、何度も何度もおっしゃってました。
それにそそのかされるかたちで、僕も行ってみたい!と思うに至ったわけです。
とりあえず、資金を捻出すべく節約生活に入ってます。
というわけで、準備編2をいつ書くのか? どんな内容を書くのか? 自分でもわかってませんが、ひとまず今回はここまで。
ここまで読んでくださっている人がいたら、感謝申し上げます。
ありがとうございます。
(当記事のつづきは↓こちらです。)