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【365カレーお遍路】後記:終わったのか始まったのか

どうもこんにちは!
(or おはようございます! or こんばんは!)

数多くの投稿の中から、この投稿を読み始めてくださっているあなたに感謝。
ありがとうございます。

この投稿は一連の「#365カレーお遍路2021」につづくものです。

毎日カレー生活14周年記念『365カレーお遍路2021』と題しまして、毎日カレー生活をしながら四国遍路を歩く旅を終えました。

具体的なお遍路道中の出来事みたいなのは、何らかの方法で別途お伝えしていけたらいいなと思っています。
今回の投稿は旅を終えた今の雑感をとりとめもなく書き連ねるということで「後記」としました。
まとまらない長文ですが、読んでくださる方が一人でもいてくれたら嬉しいです。

さあ、書いていきましょう。

無事と言っていいのか否かよくわかりませんが、八十八箇寺をまわり、四国を一周まわることができました。

と、その前に、まずは、はじめましてかもしれない毎日カレー生活って何?
という方へ
毎日カレー生活というのは、1日に最低1食はカレーを食べて毎日を過ごすというものです。
この投稿の現在で5200日と少しで、15年目になります。
日々の様子は↓この辺りをご覧になってくださいませ。​

Twitter:https://twitter.com/365curry
Instagram:https://www.instagram.com/365curry/
Blog:https://blog.goo.ne.jp/365curry

で、365カレーお遍路2021に事前に投稿していた経緯については↓投稿をご覧になってくださいませ。

人からおすすめされたとはいえ、加えて父のこともあったとはいえ、最終的には一人称で私がやろうとしたわけです。
私自身がやろうとしたとはいえ、容易ではありませんでした。
なんならしんどかった。まじやめたい!と思う日もありました。
私自身がやろうとしたくせに、私一人ではやり遂げることはできなかったことを実感として思い知りました。
なんにせよ実感大好き人間なので、良い経験になりました。
良いことも悪いことも溢れて充実した日々を過ごせました。

私はマラソンとかトレイルランとか好きですし、それを楽しむために練習していたりもします。
ですから、それなりに体力に自信があります。特に脚力は。
だけど、10kg以上の荷物を背負って、一日に8時間くらい、知らない道を、歩くというのは別次元でした。
それを1か月以上つづけるわけです。
始める前から、大変だとは思っていたけれど、想像を超えていました。
なめていたわけではないですが、甘かった。

さらに、毎日の食べる&寝るを考えるのに、とても苦労しました。
これは予想外だったからなおさら疲弊しました。
自分のペース・体調・地図・天気予報・等々の情報を総合的に判断して、今日はどこまで進むのか?飲食物を買えるお店はあるのか?寝る場所は見つかるのか(野宿か宿か)?を検討する必要がありました。
これが自分にとっては非常に難しかったです。
今になって振り返れば、何とかなる方法はいくらでもあるのですが、リアルタイムでは視野も狭まって余裕を持つ大事さも見失って焦っていたと思います。
これまで体験したことの無いような足のマメが治っていくのかというような不安もありましたが、食べる&寝るについても毎日のように不安と緊張がつづきました。
慣れてペースがつかめたり、判断力が上がったり、開き直ったりできるようになったのは後半です。
それまでは不安に飲み込まれて吐き気がするレベルでした。おえー。
まあ、新しい自分に出会えたということで。結果オーライ。

そんなこんなありつつも、少なくない人々から色々なタイミングで様々な面からご支援いただけた おかげさまで やり遂げられました。
少なくない人々とまとめて書いてしまっておりますが、お一人お一人それぞれがその人なりのやり方でご支援くださいました。

おかげさま(御蔭様)って、どちらが光でどちらが陰なんでしょうか?
私としてはご支援者さまが光で私が陰ということだろうと感じております。
やや脱線してしまいましたが、情報面、資金面、精神面、等々、本当にありがとうございました。
心の中の本音の一部には、俺一人でやり切った!すごいっしょ!と言ってしまいたい気持ちが無いと言ったら嘘になります。
虚栄心まみれです。恥ずかしい。
でも、そんなことまったく言ってられません。
それどころか、虚栄心を覆い隠してしまうくらい、誰かに助けてもらえなければつづけられないと感じることが何度もありました。
もはや虚栄心が恥ずかしいとかどうでもいい境地。
一人旅とはいえ、ぜんぜん 一人 or 独り ではありませんでした。

車もほとんど通らないような山間の道で誰にも会わない日もありました。
その道を夜明けから日暮れまで、ただただ歩くだけで終わる日もありました。
そして孤独感(孤独の実体ではなく、孤独と感じるだけなのですが)に苛まれてしまうことも時々。
そういう日が何日もあったりもしました。
雨上がりの道に出てくるカニやミミズにすら話しかけてました。
でも、孤独感があったからこそ、対極と言えそうな「一人じゃない」「独りじゃない」と感じることもできたのかもしれません。

私への直接的なご支援のみならず、たくさんの方々の仕事や厚意に支えられていることも実感しました。
寛容な地元住民の皆様、ザックやテントや寝袋や靴やその他諸々の装備を作ってくれている人、道路や山道を整備してくれている人、天気予報してくれている人、コンビニ、等々。
今思えば、これはお遍路のみならず、毎日カレー生活のみならず、旅のみならず、日常の暮らしにもあてはまることですね。
もはや孤独感なんかは錯覚もしくは脳の誤作動なんじゃないかという気がしてきました。よくも悪くも。

ここまでだと、なんだが苦行や修行みたいな要素ばかり強調して書いてしまっております。
でも、それだけではありません。
とても楽しい、とても嬉しい、感動的なこともたくさんありました。
しんどさや苦しさが日常レベルを超えているので、ちょっとしたことがブーストされて素敵に響いてきたのもあるでしょう。
地元住民の声がけに、美しい景色に、お接待でいただいたミカンに、途中で立ち寄った温泉に、遍路宿の安心感に、友人知人からのメッセージに、SNSでの励ましに、温かいほうじ茶に、おいしいカレーに、体の回復力に、新しい出会いに、等々。

また苦しい方の話に戻ってしまいます。
(なんだかなあ。すいません。)
とにかく、もうやめたい!と思うことも何度もありました。
特に序盤のことです。
足のマメが痛かったり、下調べでは野宿可能なはずの場所がコロナで閉じていたり、野宿してたら予報ハズレの雨が降ってきたり、進んだ道が通行止めで引き返したり、等々。
心が折れかけます。折れていたかもしれません。
だけど、その時々で誰かしら何かしらに支えてもらえるんです。
奇跡という言葉は使いたくないけれど、ポキってなったタイミングで、オっとっとって支えてくれる誰かや何かが目の前に現れました。
これは今でも本当に不思議です。
地元住民の方(特にご高齢の方)にお話ししたら「それはお大師さまが見てたんじゃ」っておっしゃいます。さもありなん。
そのおかげもあって、明日も歩いてみよう、あと五分だけ進んでみよう、と思えました。
その繰り返しで最後まで進むことができたと言っても過言ではありません。

四国お遍路のコースは人里離れた山奥エリアはほとんどありませんので、やめようと思えばいつでもやめられるんです。
だけどやめなかった。
やり遂げたい気持ちが消え失せることは無かったのでしょう。
でしょう、って他人事みたいに書いたのは、しんどさや苦しさや痛みでかき消されてしまって、自分の中に残っていたであろう やり遂げたい気持ちを自覚できていなかったからです。
人はもちろん夜空の星や朝焼けや雨上がりの虹や野良猫に支えられたり励まされたりしていたのでしょう。

不思議なことに、しんどくて苦しくて痛くて、もうやめたいけど、とりあえず明日までは歩いてみよう、いよいよダメだったらいつでもやめられるし、という気持ちになれたんです。

リアルタイムでは、やめるのも自由って過酷だなあと思っていた気がします。
とはいえ、まあダメだったらやめちゃおう、だけど次の1歩を踏み出すを繰り返せばあと3kmくらい進めそう、と。

前向きなのか後ろ向きなのかもよくわかならい「やめてもいいなら歩こう」で進みました。

そうこうするうちに、足のマメが頑丈になり、体力も上がり、行動計画の判断力も上がり、精神的にも安定していきました。
むしろハイテンションで、ガンガン進むぞー!という気持ちです。
とはいえ、しんどいことはしんどい。
そして、前半の「もうやめたい!」は、後半には「早く終わらせたい!」に変わりました。

その段階で一番注意が必要だったのは、回復です。

ガンガン進んで早く終わらせたいし、歩くペースも速くなってきたからといって、調子に乗って進みすぎると、一晩寝ただけでは回復しません。
体調が悪くなる流れに乗ってしまいかねません。
というか、調子に乗って1日に50km〜60km歩けちゃった時には、実際にそうなりました。
動いた時間の分だけ回復の時間も必要です。
1.5倍動いたら回復も1.5倍ではなく、1.5倍動いたら回復は2倍かかるような気もします。

進むために休む。
そのバランスを見極める。
この大事さは新発見でした。

自分を甘やかしているだけと思えてしまうかもしれませんが、今の私はぜんぜん違うと確信しております。
比較的長期で考えたら、根性や気合いだけでは乗り切れないことは普段の暮らしでもありますよね。

新しく感じるものもあった一方で、思い出すこともたくさんありました。

出発前の投稿では、四国お遍路を歩こうとする理由について、人にオススメされて種火が灯って、父の他界で行くことに決めた、という説明になっています。
事実その通りではありますが、他にも色々な動機がありました。
四国お遍路を歩く日々の中で、思い出して気づいて再認識したものがあります。

そのひとつだけ書きましょう。
尊敬する人や憧れの人の世界の見え方を擬似体験してみたい、というもの。
有名人で言えば、写真家の石川直樹さんサバイバル登山家の服部文祥さん日本人初の14サミッター竹内洋岳さん1週間で2回エベレストに登ったキリアンジョルネさん、でしょうか。
もちろん他にも何人もいらっしゃいますが、具体名を挙げたら切りがありませんので省力。
アドベンチャーレースやグレートレースの選手たち、エベレスト等で登山家の荷運びをしている現地民、等々も然り。
無名な人というか、個人的な友人や知人でもそういう人はいます。
一般的に見て非日常的なことをご自身の体を通して知覚している人と言えるかもしれません。
言い方はさておき、そういう人物に対して尊敬や憧れの気持ちがあります。
著作物や発言やエピソードが興味深く、単純に好きでもあります。
もしかしたら羨ましいと思っているのかもしれません。
私はどうしてそこに魅力を感じるのか?は自分でもわかっていません。
私にはそこまでやる勇気や実力や意欲が欠けている or 足りません。
だから、上記の人々の活動を参考にしつつ、私なりのやり方で非日常的なことを自分自身の体を通して知覚したいと思っています。
非日常を日常に反映させたり、逆に日常を非日常に反映させたり。
私はそれがおもしろいと思いますし、好きでもあります。

今となっては、毎日カレー生活にも日常と非日常が入り混ざったおもしろさを感じています。

まあ、上に挙げたようなすごい人たちの活動と比較したら、私なんかしょぼ過ぎますけどね。
擬似体験とか言ったら失礼なくらいしょぼいんですけどね。
謙遜でも何でもなく本当にそうです。
お遍路中も、服部さんのサバイバル登山に比べたらこんなの屁でもない、と自分に言い聞かせていたこともありました。
一方で、別に比較する必要が無いとも思っています。
私なりに、でいいと思っています。

それをやる意味なんかも必要無いと思っています。
むしろ、意味づけや目的からの逆算で今日やることを決めるみたいな将来設計は苦手です。
将来の目標を設定して逆算するタイプの将来設計(キャリア形成)って、私以外にも苦手な人がたくさんいらっしゃるとは思うんですけど、どうですかね。
ともかく、世の中には逆算型のノウハウばっかり溢れているように感じます。
学校卒業後の進路とか職業的なキャリア形成の分野でもそれが主流なのではないでしょうか。
それが良いとか悪いとか言いたいわけではありません。
今の世の中の仕組みから考えたら、逆算型で計画する方が楽でしょう。
だけど、意味とか目標とか夢とか決められない私にとっては、逆算型の将来設計が難しく、必ずしも楽な方がいいとも思えません。
毎日カレー生活もそうですが、やってるうちに興味を持った誰かが意味をつけてくださったりします。
その誰かは未来の自分自身だったりすることもあるでしょう。
そもそも意味なんか必要無いのだから、誰かにとって意味あることになってくれたら、とんでもなく素晴らしい。
もはや、アートの領域と言ってしまいたい!
私はそう思います。
アートの領域か否かはさておき、逆算型で設計して迎える将来ではなく、積み上げた場所で次に積む物事を決めて迎える将来があってもいいと思います。

脱線したようで脱線していませんので、ご安心ください。

今回の四国お遍路も、何のためにやるのか?といった目的や目標はありませんでした。
あ、父の供養というのはありました。すいません。
とか言っておきながら、歩いて歩いて歩きまくる日々の途中で「俺は何でこんなことやってんだろう?」とか「これやって何になるんだろう?」と自問してしまうことが何度もありました。
そのたびに、意味に追いつかれる前にやり遂げよう!と、自問を振り落としました。

だけど、途中でこんな問いも生まれてしまいました。
四国八十八箇寺を一番から八十八番まで順番にまわるとはどういうことなのか?
と。
四国お遍路のスタートとゴールは誰のものなのか?
と言い換えることもできるかもしれません。
父の供養という観点では、ある意味で一区切りできたとは思っています。
だけど、それで終わりでしょうか。
もちろん、一番から八十八番が決められていることで、無限の歩き旅ではなくなるからこそ臨むことができたのは事実です。
そういう意味では、四国遍路という長い歴史のある風習が残ってくれていて本当によかった。
これが、自分の好きに体を酷使して新しい体験をしてみよう!という、もっともっと自由で柔軟な企画だったら、1か月以上の四国一周1200kmの歩き旅はできなかったでしょう。
でも、なんだか今でも終わりとは言い切れない自分がいます。

歩きつづける日々の中で、自分の中の嫌な部分がたくさん見つかりました。
ずるい部分、欲張りな部分、薄情な部分、頑固な部分、等々。
たとえば、
親切で教えてくださった次のお寺への道順が地図を見たら明らかに遠回りだった時にどうしたのか?
いい感じの広々した野宿場所を見つけたのに、他のお遍路さんが後から来てしまった時に何を感じたのか?
非効率な歩き遍路を選んだのに、早く終えたいとはどういうことなのか?
等々。
お遍路という風習があるおかげで、日常生活よりも他人への迷惑が少なめで済むことはせめてもの救いでしょう。
いずれにしても、自分の中の嫌な部分が次々と見えてきてうんざりしました。
今となっては、もはや開き直っています。
嫌な部分を認めずに隠そうとする自分の方がもっと嫌だ!なんて詭弁みたいな言い訳みたいな開き直り方です。
もっとひどいことに、嫌な部分を改善しようともあまり思えません。
嫌な部分を改善するくらいなら、他人に嫌な思いをさせてしまった時にちゃんと謝れるようになろう!と思っています。
誰かが親切にしてくれた時に、ちゃんとお礼を言えるようになろう!と思っています。
社会は自分の思いだけでは成立しないことを改めて思い知りました。
今回のお遍路で、主語を大きくし過ぎると見誤って失敗することがけっこうありました。
(失敗とは?については今回は省力)
他のお遍路さん、各お寺の人々、地元住民、等々、結局は人それぞれです。
学校で「社会の最小単位は家庭」みたいなことを教わった気がしますが、社会の最小単位は私とあなただと思うに至りました。

歩くのに精一杯だった日々は、ミャンマーの政権のこととか、岸田内閣のこととか、SDGsとか、そういう大きめな問題については、何も考えられませんでした。
考えようとしてもピントが合わせられないという方が近いかもしれません。

四国お遍路を歩き終えて、自分の使命を見つけてしまったので今後はそれに向かって邁進します!なんてこともありません。
カレーは好きなままです。
苦手はものは苦手なままです。
たとえば、野宿は慣れたけど苦手なままです。
あ、でも、好きなものは増えました。
みかん・温泉・休憩、これがトップ3です。

長々と書いてきてしまいましたが、そろそろ締め括りに向かいましょう。

四国お遍路を歩いたこと自体に意味なんか必要無いのは前述の通りですが、四国お遍路を終えた私は今後も社会の一員として暮らしていきます。
残りどれくらいの長さかはわかりませんが、暮らしていきます。
そう思うと、今回のお遍路は資格試験みたいなものだったのかもしれません。
資格は取得することよりも、その後の暮らしにどのように活用するのか?が大事でしょう。
それに似た感じで、今回の四国お遍路を暮らしに反映させていけるようにしたいと思います。
でも、何をどうしていこうか、全然わかっていませんし暫定的に決めてもいません。
それを、なんだか今でも終わりとは言い切れない自分への宿題にしてみようかと思っています。
暮らしに反映させて何の意味があるのか?は聞かないでください。
意味に追いつかれずに何かしら創作したいと思っています。
逆に、意味を見出した方がいれば使ってください。
宿題の解き方をヒントがあったら教えてください。
もし、これからお遍路をやろうとしている方でもし何か質問あればお気軽にどうぞ。
意味を一緒に探してくださる方がいてくれてもおもしろいかもしれません。

もっともっと具体的なお遍路の中身を書きたいとも思いましたが、この投稿には収め切れなそうなので、別の何かで考えることにしました。

あらゆる旅には、始まりと終わりがあるのでしょうが、本当の本当にはいつ始まったのかわかりませんし、いつまでもつづくと言えるのかもしれません。
それを私でも誰でも決めてもいいし決めなくてもいいし、決めるのは今でも今じゃなくてもいいんだと思います。
様々な選択肢が全部アリっていうのはとんでもなく豊かなことです。
もしかしたら「どうでもいい」というのは文字通りの意味であれば素敵なことなのかもしれません。

最後に、改めて、情報や資金をご提供くださった皆様には心の底のちょうど真ん中の超ど真ん中から御礼申し上げます。
あなたがいてくれなかったら、成し遂げることはできませんでした。

逆の立場だったら同じようにできただろうか?と自問しても、無理そうだと自答が返ってきてしまいます。
見習って真似することは難しいでしょう。
だから、敬意を持って私なりにできることを模索していきたいと思います。
お返しし切れないほどの恩は、循環させるようにします。

これは二つ目の宿題ですね。

ここまで読んでくださっているあなたが一人でもいてくれたら、ありがたいことです。

本当にどうもありがとうございます。

宿題が解けようが解けまいが、気が変わろうが変わるまいが、何かしらまた投稿したいと思います。

お遍路のことでもそうじゃなくても、何かリクエストみたいお題とかあったら、是非お寄せください。

とにもかくにも、これからもよろしくお願いします。

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