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自覚するかしないかではなく

こんばんは、moikoです。

かかりつけの病院で花粉症の薬がもらえなくて、目がかゆくてしばしばしています。花粉、目に見えないしやっかいですよね。逆に、よくニュースやCMで見せる山の杉花粉が飛んでる様子みたいに、見えても嫌なんですけどね。

自分がまだ花粉症を発症していない時は、花粉症の人が大変そうなのを理解できませんでした。何であんなに辛そうなのかしら?と。

私が自覚したのは、高尾山の下山中。杉林を歩いていたら、突然発症。顔が真っ赤になって、熱っぽくて、喉がイガイガして、鼻水と涙がダラダラ。最悪でした。で、病院に行って血液検査をしたらすぐに花粉症だと判明。それからは毎年薬を飲んでいます。

本当は、前からちょいちょい自覚はあったのですが、周りの花粉症の人の大変なのを見てるから自分はそうじゃないと信じていたんです。信じてなければ私はそうじゃないと思えるから。まぁ、それで事実か変わるわけではないのですが、何となくパワーが伝わってよくなるような気がしてたんだろうか。

物事って、自覚するかしないかで何か大きな違いがあるのでしょうか。体のことは別として、何でも自覚した方が色々対処できて向上できるもの…とは限らない気がします。そもそもその自覚が間違っていたら?  

事実は事実として変わらずそこにあるのだから、それを色々な角度から眺めたり、他の人に眺めてもらったり、煮たり焼いたりしながら付き合っていっても良いのかなと思いました。何でも「~か?~じゃないか?」の2択じゃなくても良いですよね。

私は、よく2択で物事を考えてしまうので、noteを書きながらそうではない答えも探していけたらいいな。

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