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「好き」「嫌い」の壁を壊したい

こんばんは、moikoです!

さっき電車で、ざっーっと人が降りた時にお母さんと一緒にいた小学生低学年の男の子が私を押しのけるようにしてお母さんと一緒に席に座りました。そして一言。

ふっーやっと座れた!

まだちっちゃい1年生くらいに見えるランドセルを背負った小学生でしたが、座り方もふんぞりかえるみたいにでーんと座っていて「オジサン」のようでちょっと面白かったです。「オジサン」という言葉で頭に浮かんできたのですが…

実は、私には苦手な同僚がいます。

10歳くらい年上の男性後輩なのですが、どうしても苦手で…。どんな人か聞かれたら、

「真面目で」
「一生懸命で」
「頼んだら何でも嫌な顔をせずに引き受けてくれる人」

言葉にして並べてみたのを眺めてみると、「あれっ⁉すごく良い人じゃん!!」と気づきました。なのに、どうして苦手なんだろう。

出会って最初の段階で、あり得ない仕事のやり方をしたりしていたことがマイナス印象(実際被害を被ったし)で、それ以来ずっと苦手です。

良い人なんだけどなぁ。

って、この『良い人』ってワードが出てきた場合、私は要注意だなといつも思っています。何が要注意かうまく説明できないけど、『良い人』って褒め言葉やプラスの言葉じゃない、と感じるからだと思います。自分がその人を嫌いだと認めないように、何かを誤魔化しているのかなぁと何となく思っています。

そういうのって、何だか疲れるな。そもそも「好き」とか「嫌い」に区別することが疲れる。

大体、「嫌い」「苦手」な人の方に気を配ってる気がします。会わないようにとか、機嫌を損ねないようにとか、うまく付き合えるようにとか、緊張したり、不快になったり。「嫌い」「苦手」な人のことばかり考えて『特別扱い』しているんじゃないかと思えてきました。

でも、考えてみれば、年をとるごとに内面の問題と向き合って解消していくと、嫌いな人も減ってきたような気がします。きっと私が「良い人」である同僚が苦手なのも何か私にあるのかもしれません。

とにかく「好き」「嫌い」の壁で人や物を分断しないようにしていきたいと、これを書いていて思いました。その方が楽で自由にいられるんじゃないかなぁと思うからです。

あわよくば、自然と「好き」だけ周りにあったらいいな!

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