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「少女漫画みたいですね」と言われ続けてキモにたどり着いた今日。

こんばんは、moikoです。

最近テレビで浜焼きを食べているのを見て、昔食べに行っておいしかったこを思い出し、写真を探してみました。そんなことをしていたら、ふと、昨日のnoteでシナリオ教室のことを書いたことで思い出したことがありました。それは、

自分の作風のこと

私は何を書いてもみんな「いい人」になってしまう気がします。登場人物にあまりクセのある人などが出せない。それから、いわゆる綺麗事みたいな話にまとめる傾向があって、ともすると最後に主人公が熱血先生みたいな教訓めいたことを言い始める。ずっとポジティブ、さわやかクサクサ劇場になってしまいがちなのです。

でっかいことを言うと、本当は山崎豊子さんのように重厚な作品が書けたら…。人間ドラマを描いた作品が好きなのに、人の悪の面を描いたドラマが好きなのに、私が書くのはのっぺりした感じがするなと思うんです。単調というか。登場人物にも中々個性を持たせられない。つまるところ、

練習不足。実力不足。

シナリオ教室に、私と同時期に入った大学生の男の子がいました。その人は非凡さがだだ漏れな才能溢れる若者でした。いつもとても斬新なものを書いてくるんです。

私が初めてシナリオ教室で読んだ作品に対しての彼の意見は、

「何か少女漫画みたいですね」

えっとー。それって褒め言葉ではないですよね?

と、私は凍り付きました。痛い所をつかれたなと思ったから。別に少女漫画が悪いとか決してそう言っているわけではなく、私が書きたいと思っている人間ドラマが描けてないんだと思わせられたからです。重厚さはないんだなと。ご都合主義な良い感じに小さくまとまってしまっているんだと。

私がよくシナリオ教室の生徒さん達に言われたのは、「読みやすくて分かりやすいですね」でした。それはそれで良いことだと思うけど…。これって、「あの人、優しくて良い人なんだけどね」って言葉に似ていませんか?

それより何より、「面白い」って言われたい!

特に、クラスでも一目置かれる、この大学生の彼に!

これを密かな目標にしていました。でも、毎回毎回何を発表しても、

「何か少女漫画みたいですね」

デジャヴかと思うほど、毎回このワードが彼の言葉に入っていて、言ってる彼の方も、そのうちにこの言葉に枕をつけて、

「えーと、毎回同じこと言ってる気がするんですけど、何か少女漫画みたいですね」(苦笑い)

苦笑いまでオプションでつけてくるようになりました。

く、悔しい…。

もちろん他のことも言ってくれてるんですよ、でも、必ずこのワードがインしてくるんです。彼に「面白い」と言われている他の人がうらやましかった。

で、ある時おじさんしか出てこない作品を書いたんです。我ながらちょっとよく書けたなと思うものでした。(別に少女漫画の反動とかで無理やり書いたわけではないですよ)そしたら、彼が意見を言う時に一拍黙ってから、

「…面白かったです」

と言ってくれたのです。嬉しかったなぁ!

褒められることを目標に書いているわけではないけれど、誰かに褒められたら嬉しいものですよね?モチベーションになりますよね?私はそんな単純な人間です。誰にも認められなくてもいいから、ひたすら書き続けるんだ!なんて孤高なことは私にはできません。

でも、この大学生の男の子は違ったんです。

作品って、作者そのものだと思ってしまいませんか?もしくは思われると思いませんか?暴力的なものを書けばきっと作者は怖い人だろうとか、美しい繊細なものを書けばきっと作者もそうなんだろう、とか。けれど、一概にそうは言えないですよね?書く側もそれに捉われていたら色々なバリエーションのものは書けないと思うのですが、私はきっと自分が「いい人」だと思われたかったのかもしれない、とこれを書きながら思いました。

教室の場合、狭い教室でみんなが発表者を見ている状況で、読んで発表するから、例えば私が人格を疑われるネタの入ったものを書いて読むのはキツイですよね。(キツくない人もいるかもしれないけど)私自身がそう思われてしまうかもしれないから。

でも、この大学生の男の子は違ったんです。

最初から、初日から、人の目なんか気にしないような度肝を抜くお話をさらっと発表していて、読み終わった後、しばし教室が沈黙に包まれた位です。かと思えば、心が温まるほんわかしたお話も書いていて、作風がいつも違う。きっと創作自体を楽しんでいて、人にどう言われようがあまり関係なかったんだと思います。本当に創作自体を楽しんでいたんじゃないのかなぁ。それに、ものすごいペースで作品をバンバン書いていました。

私はきっと人の目を気にして「いい人」であろうとするところがあったんだと思います。自分の「いい人」じゃない黒い部分を恥じていたんだと思います。でも、創作するって丸ごとそれらを作品に投げ込むことでもあるんじゃないのでしょうか。うまく言えないけど、自分の中の「いい」も「悪い」も落ち着いて見つめられたら、人の目を気にすることは乗り越えられそうな気がするんです。

書くことは、自分と対話すること。

だと思いませんか?

シナリオ教室をやめて、全然書けない私が偉そうに言えることではないけれど、自分が書きたいことを書きたいように書けるように、練習あるのみ。それに少しでも近づきたいから、きっと私はnoteを書いているんだろうな。

Sweet and bitter.

人生の、人間の、苦いも甘いも認められて、書けるようになったら嬉しい。サザエだって、サンマだって、苦いキモがあるからおいしいのです。 

気がついたらすごく長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた、そこのあなた!本当にどうもありがとう。お互いに何かを生み出していけたらいいですね。

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