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自分のペースで「ゆっくり着実に」自分に向き合える場所 / 原惇さん

皆さんこんにちは!
「与謝野町移住支援窓口-364-」です。
与謝野町に関わりがある方々にインタビューを行い、
暮らしや日常に関する情報を発信します。
第7弾は、与謝野町の最南端に位置する、
与謝峠に移住をされた原 惇(はら あつし)さんにインタビューを行いました。

▽与謝野町移住支援窓口-364-とは
「特別な日より、日常を伝える」をコンセプトに掲げ、与謝野町への移住促進につながる多様な関わり方を提案させていただきます。
1年は365日ありますが、観光やイベントなどで与謝野町を訪れたり、関わったりするようないわゆる「特別な1日」よりも、それ以外の「364日の与謝野町の日常」に関する情報を移住希望者にお届けしたいという想いを込めて「364(さんろくよん)」と名付けました。

■移住の経緯

-自己紹介をお願いします!

はじめまして、原 惇(36歳)です。
2020年6月末に妻と一緒に与謝野町に移住をしました。
正直いうと、最初は地方移住に興味はなく、バリバリの都会っ子でした。笑
生まれも育ちも大阪です。

高校を卒業してから地元を離れ、大阪府堺市の印刷工場で一人暮らしをしながら8年ほど勤めましたが、あるきっかけから東京に引っ越しました。


-なぜ東京に?

実は僕、絵を描いておりまして。
絵で一旗あげたいという思いから、大阪から東京に行きました。
しかし、来てみたはいいものの
『思うようにいかなかった』につきます。


ただ、東京では他では比べ物にならないほど美術館や映画館など、芸術好きにはたまらない娯楽が至る所にありました。そういった娯楽をたくさん楽しんで吸収していましたし、音楽好き、映画好きが集まるような場もあって、たくさんの良い出会いを築くことができました。

そんなわけで、東京は今でも大好きですし、当時は東京に骨をうずめるつもりでさえいました。


-そこからなぜ移住しようと思ったのですか?

一番は妻との出会いです。
実は妻も絵を描いておりまして。

絵の活動を通して出会って東京に住んでいた時期も重なり、お付き合いをするようになったのですが、
「田舎暮らしがしたい」
と突然打ち明けられました。

僕は東京での暮らしに満足していたので、正直ビックリしました。
ただ、絵で売れようという思いも無くなっていたので、
「うん。いいよ〜」と返事をしました。(笑)


-そこから与謝野町にたどり着いたのですね!

段階を踏むために、東京から先ずは、都会でもなく地方でもなく、中間的な奈良県生駒市に移住しました。
ここで暮らしながら、定住できる場所を探しました。

そもそも僕は京都北部の地理すら知らなかったんです。
なので京都府の北部を一度まわってみようと思って、早朝から一人、奈良から大阪を抜けて京都へ、下道で車を走らせてきたんですね。

亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市を抜けて。
とりあえず伊根町まで行ってみようと。その向かってる途中で

あたり一面にダーーーっと続く田園風景が見えてきまして。
それは、今まで見た事のない不思議でいて美しい景色でした。
後になってそこが加悦谷(かやだに)平野だという事を知りました。
そこで直感的に、ここだ!と決めました。

与謝野町の田園風景

■与謝野町への移住について

-与謝野町に移住先を決めてからの具体的な流れを教えてください!

京都府北部にはたんたんターンという京都北部移住情報サイトがあって、そこから与謝野の物件を見つけて町役場の方と一緒に物件を見ていくことになりました。

1日かけて複数の物件を見た中で、一軒だけポツンと一軒家とは言いませんが、お隣の民家が離れてるので騒音もなく、家も広くて且つ状態も良いところを見つけることが出来てここにしよう!という事になりました。



-移住自体、スムーズに出来ましたか?

その物件を仲介してくれた方が、
移住サポートを一生懸命してくださり、相談にも乗っていただきました。
本当に有り難かったです。

尚且つ修繕の補助金がおりて(上限180万円)
そのお陰で、前の家主が残していった山のような荷物の廃棄から障子や網戸、床板の張り替えなど普通に暮らせる状態になるまでを業者にお願いする事ができました。

これも本当に有り難かったです。

移住先の与謝峠地区


-住んでみて暮らしの変化はありますか?

お隣さんがどんな人かもわからない都会に住んでいた頃に比べると、180度変わったと思います。
地域の神社(お宮さん)の清掃や毎月の集会、体育大会(卓球、バスケ、駅伝、グランドゴルフ)、地域の大祭(加悦谷祭り)など、ご近所さんとの触れ合いがあります。

地元の方皆さんは、お隣どころか地区全体の方々をほとんど把握しておられる。それに皆さん、ご近所さんの事を苗字で呼ばず、下の名前で年上関係なく「〜ちゃん」と呼び合う。
同じ苗字が多いという地域ではあるのですが、まずそこからビックリしました。

それに自治体に所属すると、地域の現実的な問題などにも向き合う事になり、長く付き合う程に、地域の良いところや悪いところなど両方の、それこそ表面的ではなく、立体的に地域を理解できるようになります。

都会と地方、どちらにも種類の違いはあれど
良いところとそうでない問題があります。

その、そうでない問題も、未来を考えると向き合わざるを得ない。
住んでる方、皆んな心のどこかにそれを抱えて背負いながら、生きておられるように思います。

その向き合う壁こそが、自分自身の心を成長させている気がします。
なので、都会でただ個人として生きていた頃より、皆んなで手を取り合うように支え合って生きているような実感を感じながら暮らすようになりました。それが大きな変化ですね。

-与謝野町で楽しんでること(余暇時間や休日の過ごし方)、移住前と比べて変化はありましたか?

自宅でゴロゴロしているか、それ以外はほとんど与謝野にいなくて(笑)

最近は兵庫県の但馬や、丹波方面に行ってます。
だいたい、温泉に行ったりレトロな純喫茶に行ってゆっくりしています。

地方なんかは美術館といったものは少なくて、芸術系の娯楽施設が少ないから月に一回ぐらいのペースで、福知山から電車で京都市内や、安くて便利な高速バスに乗って大阪や神戸にも遊びに行ってます。


-そういった芸術の人が集まれる場作りなどもされてますよね?

与謝野の旧加悦町にあるCAFE 2Rinというカフェで
芸術サークルみたいなことをさせて頂いています。
月に一度くらいのペースで集まって映画を観たり語ったり、
芸術的に感度が高い方々が集まってきて刺激し合っています。

ご興味のある方は、ご連絡お待ちしてます(笑)


-これから挑戦してみたいことは?

もともと、絵を描いているのでその活動を広げたいですね。
今は、工場勤務のサラリーマンとして生活していますが、将来的には自分の絵や能力を生かした分野を生業として仕事が出来たらいいなと思います。

描き溜めた作品群。

東京で絵の活動をしているときは”売れなあかん”みたいな葛藤があって苦しかったけれど、ここでの暮らしは、自分のペースで「ゆっくり着実に」自分に向き合えるように思います。

それに、自分の能力を生かせる場所やイベントが周辺の地域にはあるので、今後はお絵描き教室や、似顔絵など、イベント出店を積極的にしたいですね。

最近はお菓子のロゴデザインなどもさせて頂いたので
そういったこともどんどんやっていきたいです。

■最後に移住を考えている方へ一言お願いします!

今となっては失礼な話ではありますが、地方移住に全く興味がなかった人間だけれど、今では移住する事が出来て良かったと思います。

ただ都会に住んでる頃よりも、こちらでの暮らしのほうが正直いって忙しいです(笑)
色んな方とたくさんお付き合いする事になると思います。
今までとの暮らしのギャップに苦しくなる事も最初はあるかと思います。

ただ、地元の方皆さん素朴でまともで優しい方達です。

それに一人一人のマンパワーが必要なだけに、
個人主義に走らず、地域の事も僅かながらにも考えながら生きる事になりますので、人としてとても成長していけるように思います。

なので、ある程度の覚悟も必要だとも思います。

本当は与謝野町に移住してくれれば万々歳ですが、
実際に移住をするときは、この地域がお勧めだとか、流行りに乗らずに出来れば自分の直感と意志で決めることをお勧め致します。

ありがとうございました!

▽聴き手/文・撮影:高橋友樹、編集・撮影:原かづさ
インタビューに向かう道中、与謝野町を縦断して与謝峠へ。
前日に雪の降った日だったので山の上には雪が残っていてきれいな景色でした。そして到着すると……いつもよりも空気が澄んでいる!こんな場所で暮らしてみたいなぁと思いながらお話を伺いました!

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