燃え盛るインターネットの向こう側のあいつらに 誤解を解く。

インターネットは修羅の国であり人類にはまだ早すぎたかもしれない。そういう道具だと言う事を、ここ数日間のなんちゃらかんちゃらで思い知りました。しかしインターネットがなければ私はこの作家に会えなかったであろう事から3,4匹目の土壌、言うならば踏み固められたアイスバーンなお気持ち長文を書き記したいと思う。というかインターネットがなければこうはならんかったし……みたいなポジショニング、雑誌のクリーンナップの一個下。超うまい付け合わせの漬物。

この記事も先方達の一個下、付け合わせのように読むべきだと思う。だからお気持ちに批判とかやめよう。死んじゃおっかなってなる。死んだらどーする。

絶望する。

と言う訳で、天才漫画家『久米田康治』について語る。彼の奥深さを説き伏せてやる。

❶彼の『漫画』の底力。

……待て。もう作品累計売上2000万部超えてて十分評価されてんだろとかアニメのop良かったよねとかそんな戯言を聞きたいんじゃない。

俺が話したいのは久米田康治の「底力」の高さだ。

インターネットを多少かじった事があるなら「さよなら絶望先生」と言う漫画の名前ぐらい聞いたことがあるだろう。ない?ならマガポケで20話まで無料で読めるから今すぐ読んでこい。そして気に入ったらネタバレを踏まずに最終回まで是非読んでくれ。きっと貴方にとって一生忘れられない漫画になるから。リンクこれな。

https://pocket.shonenmagazine.com/episode/13933686331610373443

はい読んだ?読んだならスクロールしてどうぞ。まあ読んでなくてもいいやって奴の為にネタバレはほぼほぼ書かないから記事を閉じた後読め。

❷物語について

そう、彼の作品は特徴まず最終回の圧倒的完成度だ。それまでのメチャクチャなギャグ漫画として紡いできた物語に仕込んでおいたピースを回収し、ガラッと雰囲気を変える最終盤と『同じマンガ』だという事を脳に訴えてくるのだ。楽しい、比較的なんでもありなギャグ漫画なんだから「これからも彼らの日常は続く」でもぐっちゃぐちゃにして放り投げたって有る意味構わない筈なんです。

でも違う。久米田康治は物語を『終わらせる』。

全ての伏線を語り、キャラクターは僕ら読者の知らない未来へと旅立つ。

最終回センターカラーを貰えた連載の最終回では彼は『手切れ金』と称し最後のページをカラーにしてもらいます。最後には美しい青い空が映り、そこには主人公とヒロインだけが佇んでいる。

笑える物語のエンドマークを『せつな笑い』とひねくれながら美しく飾る。それがもう本当に素晴らしい。(最終回がセンターカラーじゃない連載?まあ、まあ…あだち充先生だって外す作品はあるでしょ…)

だがここで間違ってはならないのが彼は最終回だけの作家なのでは断じてないということで有る。だからブラウザバックするな。もう少し読め。

❸理詰めのギャグ

彼の漫画は例えるなら理不尽な程の暴力的笑いのセンスをひたすら叩きつける『すごいよ!マサルさん』や『ボボボーボ・ボーボボ』等のギャグ漫画とも違く、ともすればコントのようにトントンとテンポの良いギャグ漫画とも少し違う。

理詰めなのだ。彼は圧倒的な知識量、世間の情報のインプット速度、その『お題』に耐えられるキャラクターの作成、全てが計算されて作られている。ギャグマンガ家はよく寿命が短いと言われるが、それらの原因は脳から出てくるハイセンスやテンションを上げ続ける事が精神をすり減らし年を取るごとに難しくなる、という意見もあるほどだ。しかし彼の徹底的な知識による大喜利や自虐からのローテンションは

一定のフォーマットに沿ったままギチギチにネタを詰め込んでいく、小ネタが分かれば分かるほど楽しくなる足し算のような彼の執筆スタイルは、彼が憧れるあだち充氏の華麗なる引き算のような漫画とは真逆のスタイルである。(しょっちゅう作中に自分を出してわざと話の腰を折るギャグをする、最終回の美しさと共通点が実は多いが)

しかし、両者とも自分の作風を強烈に漫画から醸し出しながら同時に真似が出来ない唯一無ニの作家性に昇華されているのだ。

勿論彼も最初からこの研ぎ済まれた作劇を持っていた訳ではない。デビュー作『行け!南国アイスホッケー部』は外道スポーツコメディ漫画→下ネタ&ダジャレ漫画と絵柄も内容もメチャクチャに変化した漫画かつ今の久米田康治には絶対に描けない漫画である。この若さゆえの勢いが射精寸前の猿のごとく溢れ出す作品ですらもラストには今の久米田康治のエッセンスが詰め込まれていたりする。

そして迷走の果てに打ち切られた『ポカポカ』『√パラダイス』『育ってダーリン』と充電期間を経て生まれた出世作『かってに改蔵』。 

この作品があったからこそ、久米田康治は久米田康治になれた。     ある意味『南国』以上に作風も絵柄もキャラの人格もガンガン変化し下ネタや変人登場の引っ掻き回し、というギャグ漫画あるあるの展開から研ぎ済まれた時事ネタのラッシュ、重箱の隅のあるあるをテーマに1話こねくり回すあの久米田康治!なプロットが作中フォーマットとしててどんどん成立していく様は是非追っていって欲しい。『あるある』なテーマを主人公が定義しそのままキャラクター達が引っ掻き回す、言葉遊びを多様していく手方はオンリーワン、誰でも真似できる事ではない。

改蔵は電波変人から、何股もかけ的確に人の心を抉る畜生になった。   羽美はちょっと抜けたツッコミ少女から、猟奇呪いぼっち電波なんでもありのジョーカー女へと変貌した。これだけ変貌してもまだツッコミ成分自体は残っているのも怖い。地丹は可哀想な被害者からどんなに理不尽な目にあっても当然と思えるクズにシフトした。改蔵の各話オチの8割は彼が醜い目に合うか羽美の暴走で終わる。山田さんは被害者その2から貧乏、金持ち、貧乏と渡り歩き最終的に戦闘員になった。嘘言ってない!ほんと!

部長だけはブレなかった。一人だけ安全軒にいた。

よし『改蔵』の話ここで終わり。これだけで一本の記事になるから。ちなみに初期だと湘南回、空気の読めない人がいますの話、中期以降なら改蔵と羽美が入れ替わる話とかごっつあんゴール回とかが好きです。

❷『成熟』された作劇

で、色々と変化した果て、かつ自分の作劇を完璧に掴んだ久米田康治は『さよなら絶望先生』を描いてしまう。おそらく今までの連載で一番作り込んだであろう真相の設定、完全に自分の武器を理解した上で初めての1巻から最終巻近くまで変わらぬ読み味、遂にアニメ化と遅き春が訪れた。納得である。なんせ『改蔵』で磨かれたエッセンスの原石がそのままスマートに咀嚼しやすく、改良されて出てきている。おまけに可愛い女子も男子も沢山出てくる。そこまでやられたらもう何も言えません。ページ数が16から12ページに減ったこともまたテンポアップに拍車をかけている。おそらく2ch、VIP、ふたば等に死ぬほど張り付いていたのだろうと思わせる時事ネタの消費スピード感は週刊連載だからこそ出来る技前でもあり、すごい時には週刊誌は4日前には原稿提出してる筈なのに3日前の時事ネタが入っていたこともあった。差し替えたのか、予言したのか。

で、彼はあるあるや時事ネタ『だけ』の漫画家ではないぞと世間に知らしめるのが『かくしごと』。

最近アニメ化&完結したので知ってる方も多いと思うが、この作品は今までの作風から舵を切って『漫画家』『ハートフルコメディ』を重視し月刊誌というのも相まってか時事ネタを殆ど扱っていない。しかし久米田康治特有の世間、及び一部人物に対する『毒』は未だに切れ味を増すばかりであることも記していく。ある種の最終進化形態にして久米田康治初心者にもお勧めできる一品である。マガポケ等でも勿論読めるがこの作品には単行本で『最終回』を数ページずつ先行公開するという独自の試みを見せているので是非単行本を買ってほしい。まず久米田先生はどの作品でも単行本にはおまけをたくさん描いてくれるタイプなのでどの作品でも買ってほしいが。

最後に一つ、

僕は糸色倫ちゃんが好きです。





二人に幸あれ。


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