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感受性が終わっている

絵画、音楽、映画、文学の類に、
何かを感じる才能がない。
詰んでいる。
人生における豊かさを養っていく才能がない。
無味乾燥な生き方をこれからも続けていくことになる。

§

お笑いを見ることが好きで、ライブにも通ったりしているけど、あれは感性がどうとかいう話ではなくて、もっと単純なものだと思っている。

面白いものを見せてもらって、それに対して身体が「笑う」という反応を返しているだけなので、そこには心や感性のようなものがひとつも介在していない。

おもしろの種類が内輪ネタなんかに入っていく場合は、ある程度の予備知識が必要だったりするけど、
別に直球のシンプルな面白さを摂取する分にはなんの事前準備も要らなくて、ただちょっと前のめりになって集中して見ているだけでいい。

そうすれば、好みの差はあれどちゃんと笑えてお笑いを楽しむことができる。
そういう意味では、お笑いはファンになる敷居がかなり低いジャンルだと思う。
ちゃんと見ているだけでいいなんて、これほど楽なことはない。

きっと自分は、お笑いのそういうところが好きなんだと思う。

そして、きっと自分はそんな人間だからコントより漫才の方がよっぽど好きで、頭を空っぽにして笑えるようなタイプのお笑いばかり見ているんだと思う。

叙情的な展開のある、おしゃれでメッセージ性のあるタイプのコントを見た後に、
「あ〜」とか、
「こういうネタもあるよなあ」くらいしか思うことがない時点で、そういう系統にどっぷり浸かることは諦めてしまった。

自分の中にその類の感傷の受容体が存在しないからこんなことになっているんじゃないかと思う。

「これは泣ける!とSNSで話題」みたいな触れ込みの映画を見ている最中も、
「おっ、これは泣かせにかかってきたな?(笑)」などのスカした最悪の感想しか浮かばないのでなるべく見ないようにしているけど、意図的に泣こうとすることがストレス発散に効果的だということはわかっているので、どうにかして体感したいとは常に思っている。

外からの刺激でそういう感情が呼び起こされないだけで、普通にもっとそういう気持ちになりたいなという気持ちがかなり強くある。

その結果、「生き物の尊さ」的な方向でならなんとか泣けるんじゃないかと思い、先住猫が保護されてきた子猫を世話してあげる様子の動画を見るなどしている。

これなら、泣ける時は泣ける。
「やさしいね;;心配してあげるんだね;;」などと思いながら、画面を食い入るように見つめ、真顔で数滴泣いている。

俯瞰で見ると相当キツい状態なので、そこに思い至った時点で毎回涙が止まる。

この行動は、人間という生き物としてはかなり歪というか、変なことだと思うので、出来るだけやらないようにしている。

それでも、これをやらないとどうしようもない状態の時は、仕方なくYouTubeを開いて、誰に見られるでもないのにちょっと照れながら泣こうとする。

この「泣こうとしている」と自分で分かりながらそれを継続している時間が1番地獄で、
その段階に入ると、涙活をおすすめしているようなネット記事にはこんな時間の存在なんてひとつも書いてなかったのになんでこんな思いをしなければならないんだ、と毎回思っている。

もしかしたら、涙活というのはこんなに余計なことを色々と考えながらやるようなことではないのかもしれない。

要するに、感性などが存在するはずだった器官の名残、その死んだ細胞の奥にはちゃんと感情が存在するのに、余計なものが間に挟まっているせいでそれが上手く表に出てこれなかったりして、毎日を何も感じられずに過ごしている。

それでも、傷付くような体験をすれば当然メンタルも相応に傷ついていて、それが表に出てこないせいで自分でもコンディションの悪化に気付けないことが多々ある。

その結果、適切なタイミングで休むことが全くできず、身体のマネジメントが全然上手くいっていないような状態になって、大してしんどい環境に置かれているわけでもない時でもストレス性の病気になったりする。

その度に、毎回毎回無駄に病院に金を払っているよなといつも思っている。

自分でちゃんと把握出来ていたら、絶対にこんなところに来るまでにはならなかったのに、結局飲む薬の数が増えている。

こんな感じで感情の運用がすごく下手なので、それによって人生の中で損していたことが結構あったんじゃないかと思う。

どこぞの天才の創作物に触れて、それに心を揺さぶられるという素敵な体験がほとんどできないという意味で、かなり人生を損しているのは間違いない。

これをどうにか改善するというのは半ば諦めてしまっているので、また別の楽しみをたくさん見つけられる人生にしていきたいなと思っている。

そうなったら幸福度上がりそう。
ぜひともそうなりたい。

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