見出し画像

メタバースコミュニケーション論考、出します。

VRソーシャル…今はメタバースという言い方に変わりましたが(増えたというべきか)、関わって6月で5年になりました。
黎明期から多くの方々のバーチャルな人生を垣間見させて頂いて、酸いも甘いもたくさんの思いを共有させて頂きました。
統計による動向や俯瞰した論考を残しておくことも重要ですが、私がやるべきことは、ひとりでも多くのメタバース住人の「在り方」を残しておくことだと考えています。
統計からはこぼれ落ちてしまう、一人ひとりの大事な考えや想い。
私はそれをずっとずっと大事にしてきました。


生まれつきではない、自分でデザインした確固たるアイデンティティと身体性でもって、国も性別も年齢も関係ない自由な世界で生きる…
それは物理世界のコミュニケーションと同じくドロドロとして窮屈なこともあるかもしれないけど、生まれつきの枷や社会的アイデンティティなどから解き放たれたその魂の輝きは、私を5年も魅了し続けました。
自他ともに認めるとんでもない飽き性な私が、5年もです。

バーチャルなのに生々しいアイデンティティと身体性は、一見物理と変わらないのかもしれない。まるでジェンダーをコントロールしているようにも見えるあり方は、特定の方々から見たら許されざるものなのかもしれない。
でも彼・彼女らの強さや可能性は、関わらなければ分からない。
「バ美肉」「お砂糖」「VR睡眠」などのキャッチーな言葉を使った報道はやり方によっては炎上しかねないものだし、絵的には物珍しさとして表現されて、本質が理解されない紹介の仕方をされ続けてきたように見えます。
もちろん真摯に語られたものもありますが…
そしてその理解によって語られる、メタバースコミュニケーション体験をしたことのない方やさほどしたことのない方々から向けられる悲しい言葉。
それが積もりに積もったところにほんの小さなきっかけがあって、先日私自身が暴発してしまいました(要するに一時的にキレたということです)。
そしてちょうど翌日、VRゲームで世界的なヒットを飛ばしたある日本のゲーム会社さんが、メタバースに「いる」人のことを考えていない現状に耐え切れず激怒して、ある宣言を発表。騒ぎになりました。
今ここで「メタバースコミュニケーション」について多くの人たちが論考を残さなければ、同じことを繰り返してしまう。そう思いました。

そこで、メタバースコミュニケーションを普段から考察しているメンバーで集い、ひとつの論を組み立てることにしました。
正式にお目見えするのはだいぶ先のことになってしまいますが…

「私たちは、この(メタバース)世界で”生きて”います」
ただそれが言いたいだけなのに。言葉とは難しいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?