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何もない1日だったの


昼から半休を取って家へ向かっていた。真っ昼間の電車。人はまばら。営業の途中っぽいサラリーマンは居眠りしている。小さな女の子とお母さんはずっと窓の外を見ている。大きなバックパックを背負った大学生は、ぼんやりとスマホを覗き込んでいる。なんとなくゆったりした気だるい午後。

まどろみは一本の電話で破られた。
あまりにも長々としつこく鳴るので出た。

「横浜のおばさん、昨夜、癌で亡くなったんだよ」

父の実家で跡を継いでいるいとこからだった。コロナ状況下なので家族葬になることや喪主である息子さんの連絡先などを伝えてくれた。そして、言った。

「おじさんから、聞いてない?」

おじさんとは父のことだ。名古屋に住む伯父から電話が入っているはずだ、と言う。父は何も言ってなかった。私は、心の中に灰色の雲が湧き出すのを感じた。

自宅へ帰ると、同じ敷地内に建つ別棟の父の家にすぐに向かった。そして、固定電話の履歴を呼び出した。はたして、名古屋の局番で始まる着信履歴は、あった。早朝に。

父は訃報を聞いている。

私の胸の灰色は濃さを増した。
夕方、デイサービスから帰宅した父に私は訊ねた。「朝、電話があったと思うんだけど、覚えてる?」「さあ?なかったと思うけど」
そうか。朝、父はすでに兄から末の妹の死を聞いているんだけど、認知症のせいで、記憶が引き出しから出ていってしまったんだな。
今日は、父にとっては穏やかな何もない一日だったんだな。
私は、逡巡した。また改めて訃報を伝える必要はあるのだろうか。訃報を受けた時に、父はすでにもう妹の死を悲しんでいる。伝えても、しばらくすればまた忘れてしまう。

『博士の愛した数式』という小川洋子さんの小説がある。
80分しか記憶がもたない元数学者である博士は、なんでもメモして自分の上着に縫い付けている。博士は朝起きた時、最も目立つところに縫い付けてあるメモ「私は記憶が80分しかもたない」を読んで、新しい驚きとともに泣くのだ。毎朝。

私は、このシーンを思い出していた。

妹の訃報という大切な情報であったけど、インパクトの度合いではなく、時間軸の浅い場所で起きた最近の出来事は、全て、頭の引き出しに入らなくなっているのだ。それだけだ。
胸の中の灰色の雲は、少しだけ白く薄い色になった。

「今日、どうだった?」

「特に何も。楽しかったよ」

「そう。何もない1日だったの」

私の頭の中には、優しかったおばの顔が大写しになっているけれど、それは、父には知るよしもなかった。








ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。