秘密の引越し
「あのさぁ…今日、一戸建てを内見してくる。気に入ったら契約するかも」
開口一番、私は前置きなしで夫に伝えた。
「はぁ?!」
という夫の裏返った声が返ってきて、私は、してやったり、とほくそ笑んだ。
私は携帯を耳に強く押し当てながら、目を外に向けた。私の目線と同じ高さにあるマンションのベランダに目の焦点をキュッと合わせた。長閑な日差しの下、うすいイエローの羽布団が干されている。
──駅徒歩5分、南向き、2階以上角部屋、オートロック、エレベーター付き、2LDK…。
物件情報が勝手に浮かんでくる。
──あそこには、私の思う「新生活」が詰まっているんだろうか。
私は周りを見回した。会社の階段室は意外と声が響く。人の気配はなかった。私はその場に座って、ペットボトルの烏龍茶を一口飲んだ。昼休みの時間は限られていて、これから入り組んだ話をしたらご飯抜きになるかもしれなかった。でも、今言いたかった。夫を驚かしてやりたかった。
私は自分を縛っている。いつの間にか。故郷に建てた家に住むのが当たり前だと強いている。例えローンが何年も残っていようが、それが何だというのだ。
そこから、自分を放つ。
「引越しすることにしたよ」
🏠
そのちょっと前、夫は、少しだけ引きこもりのようになっていた。
夫は、交通事故にあった。車を運転中に後ろから追突されてムチウチになった。そして、「歩くとふわふわする〜」と言ってしばらく寝込んだ。
私は、大したことないと静観していたけれど、思えば、夫はその間、脳内を超高速で走り回っていたのかもしれない(外から見たらただ寝てるだけの人だったけれど)。やっと起き出して、事故に係わる色んな手続きを進めている最中に、彼は言った。
「俺、春で仕事辞めようと思ってる」
「はあ?!」
私は、鼻から頭頂に抜ける声を出した。そこは警察の廊下で、くたびれたソファに二人で浅く座っていた。待ち時間が長くて、私は舟をこいでいた。でも、一気に目が覚めた。
「そしてどうするの?」
「今度のことで、死ぬかもしれんって本気で思ったんだ。見たいものを見て、写真を撮りたい。長期で海外を周遊する」
──こうやって、ある日突然に日常は終了するんだな。今日と同じ明日は続かない。
私は静かに我が家の一時代の『終わり』を感じていた。結婚して18年目の冬だった。娘は小学5年生。中学進学が間近になってきていた。
「そっか、いいね」
やっとそれだけ言うと私は、自分の考えの中に埋没していった。
私も海外周遊に行きたいなあ、という羨ましさが胸を焼いて、倒れてしまいそうだった。なんだろ、いつもこの人は好きなように生きている。そして私は「あなたがしたいようにしなよ」と言ってしまう。夫のこと、好きだから。夫に対してええかっこしいなのかも。風は閉じ込めると風ではなくなる。絶えず動いてないとダメなんだ。動いてればいいよ、あなたは。
ただし、一年したら一旦帰ってきて娘ちゃんの中学校入学に一緒に取り組むのが条件だよ。
でも、残される私は?
私は、この息苦しい地元に置いていかれる気がして、悔しかった。
くっそー!
そうだ。私も、この家に縛られる必要はないのかもしれない。もう父の介護はアウトソーシングしたんだ。実家の近くにいる必要性は、ない。娘も次は中学生。卒業は今の小学校でして欲しいと思っている。でも卒業して特別支援学校に行くのならば、どちらにせよ今のクラスの子達とは別れないとならない。別の地域の学校でもいいのでは?それから私の勤務先は、いろんな場所に営業所があるんだから、家の近くに希望を出せば済むはずだ。
今の家での生活を終わらせてしまおう。
引越しだ引越し!
その頃から、私は通勤の行き帰りで不動産賃貸のサイトを見るようになった。もともと間取りを見ることを極上の娯楽としている私は、すっかり夢中になった。とある市で、ペットが飼える小さな一軒家を探した。
夫が先に退職して一人で海外周遊することにムシャクシャしていたので、あろうことか住む1年前からもう1軒、家を借りることにした。次の春、引越しするつもりで。
はい!そうです。むしゃくしゃして、やりました…。娘の進学のための手続きやら、娘のデイサービスの新規の契約やら、数多くの手続きをこなしていくには、住所が具体的に定まっていた方が進めやすいですしね。
物件を巡り取捨選択することは、人生の選択に似ている。駅から近いのか遠いのか。南向きなのか北向きなのか。DKでも良いのかLDKが良いのか。私にとって大事なことの優先順位を考えることになった。
思えば、沢山の分岐が私の前に現れていたように思う。これまで住んでいる町で、そのまま暮らしてゆくのか、飛び出すのか。私の仕事に関して、業務責任をもっと増やすのか否か。娘の進学先を、健常児が進学する公立の中学校にするのか、障がいに手厚いケアをしてくれる特別支援学校にするのか。
ハンドルを切るのはほんの少しなんだけど、道の先の方は大きく分かれている。全然違うところへ到達する。
選び取ったる。
🏠
不思議な一年が始まった。
今住んでいる家と違う場所に家がある。
もう一つの家が。
そこには、来年の娘の進学先(予定)がある。私の勤務先(予定)がある。夫にとっては前職におけるゆかりの場所だそうだ。
いつもの家で生活していると、ふと、がらんとしたもう一つの家が浮かんでくる。
行っても良い。
行かなくても良い。
概念上のもう一つの人生が家という実体となって存在し始めたとも言える。
夫は帰国する度、軽トラにこまごまと荷物を載せて、部屋づくりを進めていった。キャンプギアを持ち込んで、お湯だけ沸かして、コーヒーを淹れたりカップ焼きそばを食べたりしていた。
そうして、私たち家族は一年をかけて新しい家で住む段取りをつけていった。
とはいえ、彼の地で特別支援学校を見学し、体験入学をしてみて、娘が嫌だと言うなら、引越しをやめれば良いと考えてもいた。いつでも計画は変えられるし、やめられる。リセットボタンは至る所にあった。
彼の地にて、夕闇の迫るリビング。
カーテンすらかかっていないガラス窓の外は薄暗い。夫はキャンプ用のランタンを取り出して、灯りをつける。ポワっと、ランタンの中で小さな袋が光り始める。気化した燃料はそこで燃えている。ランタンは燃焼の際、シューっと音がする。
夫はそこに何を見ていたのだろうか。
彼が座るコットの前には湯気をあげるコーヒーカップがあるはずだ。水道だけが使えるその家で、思いの外楽しく過ごしていたに違いない。
私の方はというと、故郷の家に相変わらず住んでいた。
娘の小学校はそっちにあったからだ。何食わぬ顔でPTAに参加したし、地域の行事にも出ていた。でも、学校の校庭で草むしりをしながら、「実は来年はここにはいません」と思っていた。地域の役員決めなどの話を小耳にはさみながら、「その順番は1軒抜けることになり、サイクルが狂いますよ」と思っていた。でも、全てが未定だった。だから黙っていた。
なぜか周りの人たちは、私たち一家がずっとそこに住み続けると信じていて、それが可笑しかった。実父母が居なくなった今、娘の私が後釜としてその家を続けるのが当たり前と思われていた。
昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
水が上流から下流へ流れてゆくように、毎日同じ量で同じ方向に流れゆく?とんでもねえ。川だって時には増水するんだぜ。
私は群れの中の羊のふりをしながら、柵からとびだしてゆく算段をちゃくちゃくと進めていった。
話はかわるが、私が高校3年生の秋に、一人の友人が失踪した。
私は心底驚いた。
だって彼女はクラスで一番賢く、先生方からの信頼は誰よりも厚く、指定校推薦をいくつももらうような優等生だったからだ。
学校が始業する時間になっても登校してこなかった。朝きちんと家をでていたところまでは分かっていた。どこへ行ったのか、大捜索が始まって、それはそれは大騒ぎとなった。でも、彼女はその日の昼過ぎに、自宅から遠く離れた場所のバス停でベンチにぼーっと座っているところを発見された。彼女は後から「秋晴れで良い気候だったから、いつもの電車に乗らなかったらどうなるのか、知りたくなった。いつも電車から見ていたバスに乗ったらどこへ行くのか、知りたかった」と語った。
私はそこで思ったのだ。
──いつもと同じようにしない、という選択肢があったのか!
当時の私は、電車が来たらいつものように乗ってしまう人だった。なんとなく。想定の範囲内で生きていくのは楽だもん。
あの失踪からン十年の歳月を経て、私はもう一つ家を持つことで、その友人みたいになろうとしているのかもしれなかった。多分、この引っ越しについて周りに伝われば、あの時の先生たちや生徒たちのように騒然とするはずだ。なんで?と詰問されるはず。
娘は夏休みには開催された体験入学に行って、だんだんと学校に親しみを感じてきているようだった。さらに、秋には文化祭を見学に行って、楽しそうだと気に入っていた。
この家で、リビングに座りいつものようにテレビを見ながら、来年の今頃、同じ場所に寝転んで同じようにお茶を飲んでいる可能性を吟味する。ほぼ毎日心が揺れていた。新しい生活いいねえ、でも慣れるかなあ、と振り子がゆらゆらと揺れるように、行くべきか行かざるべきか逡巡していた。
そんな一年が続いた。
🏠
今、私はこのnoteを引越先の家で書いている。
小学校のママ友たちや実家のご近所さんに挨拶を告げて転出した。
「秘密の引越し」は、過去のものとなった。
実際に動いたら、また此処が日常になっている。
朝、娘をバス停まで送ってゆき、その足で駅に向かい電車で異動先の職場へ通う。初めはチューニングに手間取ったりもしたが、毎日毎日繰り返すうちにいつもの当たり前になってきた。
ふと、思う。
──また秘密の引っ越ししてみようかなぁ。
何かを決めようとする時って、世界が、ぐんと身近に迫ってくる。私がアクセルを踏んでいる。私がハンドルを握っている。速度を調節し、道順を考える。
私自身の手がダイレクトに触れて作用しなければ、状況は変わって行かないという感覚。私は、燃えた。
この一年に感じた、自分たちの行き先に向かっているという感覚を大切に覚えておきたい。今でも、私を奮い立たせてくれる。
今のこの日常もずっと繰り返してゆく必要はないのだった。また、軽やかにハンドルを切ろう。
私は、何食わぬ顔でまた秘密の引越しを企てるのだ。
何度でも。
何度でも。
(了)
ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。