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痛かったことワースト10 #読まれないnoteを書こう

はじめに

今月の前半に入院して病院で過ごしていました。
TVのカードは買わずに、スマホをいじるか、紙の本を読むか、何かをただただ考えて過ごしました。何故か利き手に点滴が繋がっていたので、何もしないでじっとしている三つ目の過ごし方が最も楽でした。

ベッドの上で横たわっていると、色んなことを思い出します。こんなのが頭の引き出しに入ってたのか、と驚きました。

今日は、その中の一部、『これまでの人生で痛かったことベストテン』をお送りします。あっ、ひどい目にあってるからワーストですね。

トホホな描写が繰り返されますので、そういうのが苦手な人は読まないでください。表題どおりです。

ルミさん、書いたで!
でも、読まなくてもいいで!

第10位 ロックオンされた側の気持ち

あれは、保育園の年長さんの頃。
母が2階の屋根に上がって布団を干していた横で、私は夢中になって雨戸を戸袋から出し入れして遊んでいました。その戸袋の奥に脚長バチの巣があったのです。巣を壊された蜂たちがわらわらと飛び出してきます。蜂の目が怖い。攻撃対象にされた私が感じたのは、めっちゃ見られているということでした。蜂の視線。ロックオンされていて、逃げられない感じ、ビジバシです。

チクン

あしながさん

左手の人差し指に走る痛み。痛みより恐れが体じゅうを駆け巡ります。
「毒が!体に」
その後の記憶はありません。


第9位 親友はすぐに来たけれど…

大学一回生の時、昼ご飯を食べた後にベランダへ出ようと、普段は使わない最短ルートを通ってみました。カラーBOXの横の狭い隙間を通ります。そこには部屋で一番重たい物品が床置きで鎮座していました。それはステレオコンポでした。下から CDプレイヤー、カセットデッキ、ラジオチューナー、レコードプレーヤーというユニットが積み重なって成るKENWOOD ROXY(オッケー、バブリー!)。

ROXY DGシリーズ

私の右足の小指は、CDプレーヤーの角にヒットして散りました。全神経が小指に集中します。よく見ると噴き出した鮮血の中で爪がグラグラしています。

剥がれてる!

私は思わず友人に電話をかけました。
「ど、どうしよう、爪剥がれてる」
「分かったすぐ行く」
絆創膏とか消毒液とかを持ってきて欲しかったのです。玄関に現れた友人は、つま先が開いたツッカケを手にしていました。
「なんで、それ!?」
「ホケ管(大学の保健管理センター)に行こう」
靴が履けないと思ったから、これ持ってきたと言う。そうか。

その後、ティッシュで包んだ痛む足を引きずって20分歩いてホケ管に行きました。地獄でした。

第8位 バケツの中の冷たさと優しさ

中3の体育の授業中のことです。割と本気でバスケをしていました。チームに分かれてのトーナメント戦。シュートをしようとジャンプしたら、ガードに入った子の足が変に絡まったまま着地してしまい、つま先に全体重がかかってしまいました。

ぐに。

変な方向に曲がる右足。みるみる腫れてきます。見事な捻挫です。

体育の先生は、バケツに水を汲んできてそれに足をつけるように指示しました。着地に失敗してからずっと、ガードに入ってた室井さんは私にくっついてくれています。パッと水を汲んできてくれて、靴下を脱がせてくれて。バケツの中は、極寒2月の水道水。容赦ない冷たさでした。でも、腫れて内出血し始めた足には気持ちがよかった。

「ごめんね。痛いよね」

少し髪を赤く染めて、カールさせているやんちゃな室井さんは、とても優しく私の足をいたわってくれています。

「ううん。無理矢理シュートを決めようとした私がいけなかった。ごめんね室井ちゃん」

室井さんを室井ちゃんと呼べるようになったことが嬉しかった。これをきっかけに気軽に話せるようになったのです。ふふふ。


第7位 隣の家のシャコタンに乗る

中1の時、ビーグルとスピッツのミックス犬を外で飼っていました。いや、噛まれた話ではありません。その愛犬にうなぎの切れ端を食べさせようと思ったのです。リビングから玄関へ抜けて犬の口にうなぎを放り込んで帰ってくる。それだけです。
でも辿り着けませんでした。
リビングから出る際に、木製の重い大きな開き戸に左手を挟んでしまいました。

ぐしゃり。

なんか人差し指がやばいことになったようです。あまりの痛さに泣き始める私。あいにくその日は大人は誰もおらず、家には小学生の妹しかいません。
「誰か大人を呼んで来て!」
妹は怯えて大泣きしながら隣の家に助けを求めに行きました。駆け込んできたのは、隣の家のヤンキーでした。
「車を出すけん、病院に行こう」

ローレルのシャコタン

いつも遠目に見ていた隣家のシャコタン車が登場。靴は脱いで乗ります。フロントガラスの真下には毛足の長いタオルが敷き詰められています。バックミラーにはこれでもかというくらいお守りがぶら下がっています。
──車高が低い、変な乗り物やと思ってたけど、乗り心地いいやん。
痛い痛いと泣きながらも、観察に余念がない中1女子。その日の朝までは私の人生に全く関係がないと思っていた隣のヤンキー兄ちゃんの愛車。それに自分が乗っているという不思議…。怪我をすると周りがダイナミックに動くという事実をしみじみと噛み締めていました。

ちなみに、指の骨に影響はありませんでしたが、ドアに挟まれた爪は真っ黒になり内出血していました(爆)


第6位 思わずツッコむ

産後、私のお尻にアレができてしまいました。塗り薬で騙し騙し数年を過ごしていたのですが、最終的には切除しました。

私は塗る派

その手術の後に、初めて便が開通した時のこと。

担当医の指示で食事はまだお粥だったし、便がゆるくなるお薬も飲んでいました。看護師さんには、ゆっくり調節して出したら大丈夫と言われていたのです。だから甘く見ていました。

でも!押し寄せてくる波を通す関所が狭すぎて、激痛に襲われたのでした。勢いにまかせて開通させれば、血を見る!

わたしは汗びっしょりになりながら、イキみ過ぎないように、フーフーと力を抜きつつ加減しました。ゆっくりゆっくり下りていってちょうだい、便よ…。

──出産かよ!

私が格闘して生み出したそれは、とても少量だったことを申し添えます。


第5位 コタツの中で泣く

中2の時、いつも行っている歯医者の先生が、ある日突然、奥歯を抜くと言いだしました。そんなの、心の準備していないのに、無理。

曰く、
「レントゲンで前から気になっていたけど、歯茎の中に次の歯があるのに、乳歯がしっかり生えて邪魔をしてる。抜ける気配がないから抜こう。歯茎の中の歯は横になっておる」
と、どんどん麻酔の準備をし始めました。

まだバリバリ現役の歯を抜くって、かなり野蛮だと思うのです。あまり見ないようにしてましたが、準備した器具の中にメスとかペンチがあったように思います。麻酔下とはいえ、途中、力技で引っこ抜いた感じ。

帰宅して、麻酔が切れるのが本当に怖かった。病院でもらっていた痛み止めを飲んでいたけれど、その時はきました。痛み止めを超えて痛みが襲ってくる瞬間が。

ずぎゃーーーん!どかーーーん!

当時、反抗期だった私は、親にも妹たちにも泣き顔を見せたくありませんでした。人知れず泣くためにコタツの奥深くへ潜りこみます。
赤外線の光が照らすオレンジ色の世界は、家族の足が温まっていて長閑な景色でした。一方で、ただ私一人だけが感じている痛みとの戦いは、孤独過ぎました。「オレンジ色に染まる家族の足」が「夕日に照らされる異国の城砦」に見えてくるほどには感覚が研ぎ澄まされていきました。


心を遠くへいざなう


第4位→第2位 腹が…

4位 バンコク。サミティベート病院。食あたり
3位 ペナン島。ローガンライ病院。食あたり
2位 今回の入院。急性虫垂炎

10位から5位までのランキングはほとんどが一瞬の怪我による外科的な痛みでした。怪我してしまった後に自分を客観的に観察する余裕がありました(当社比)。しかし上位にランクインした内疾患による痛みは、苦しみの時間が長い。

発病するのは、大体が深夜なんですよー。
何度も何度もトイレに立ち、上から下から出るものは出してしまう。でも治らない。あの夕方に食べたアレがアレだったのかな。ずっとその食品を繰り返し再生してしまう。

マレーシアのアイスカチャン

朝が来るのをまだかまだかと待つ時間は永遠のように長くて、夜の底には痛みと私しか存在していませんでした。(俺とお前と大五郎…)(部屋とYシャツと私…)

ギュウウウウウッ

さて、今回の急性虫垂炎は身体の奥に異物があるような、絞り上げられるような痛みでした。
下腹部の右側が張ってる感じもしました。そして発熱。
実際、発症してから手術まで6時間ありまして(注:病院に着いてから手術までは2時間)、痛い時間が長かったんです。でも途中から時間の感覚も身体の感覚も曖昧です。何かそういう神経系の物質が出たのかなあ。草食動物が肉食動物に捕食されてしまう時って、脳内にエンドルフィンが分泌されることで快楽と共に苦痛や恐怖が緩和され、痛みが麻痺するらしいのです。私も生物としての危機に瀕していたのかもしれません。

──わたし、もう病に殺されてしまいそう…。なにがなんだか、よく分からなくなっちゃってる。トホホ。シマウマがライオンに食べられる時は、極限状態だけど心は無になって、痛みを感じていないのかもなあ。

何度も何度も、目の前にライオンの口がガバリと開く様子、そして喉元を噛みつかれるけど、厳かな気持ちになっている自分の様子が目に浮かぶのでした。


第1位 出産

詳細は割愛。




おわりに


ナニコレ?走馬灯みたい。

私は病室のベッドで、昼寝しすぎのためになかなか入眠できない自分を持て余しつつ、瞼の裏にこのような思い出をパノラマのように広げて夜ふかしをしていました。
身体に刻まれた記憶。
浮かび上がる情景。

シーツと掛け布団の間に横たえた身一つを、曲げたり伸ばしたり、うつ伏せになったり、仰向けになったりしながら思い出していました。

私の病室は相部屋でした。カーテンで仕切られたすぐ隣には、手術を終えたお婆さんが眠っています。

──お婆さんの身体には、私よりもっと沢山の記憶と情景が宝物のように埋まっているんだろうなあ。

そう思うと、病院全体でどれだけの情報量があるのかしらと想像がすすんでいきます。一つの大きな総合病院の建物内に、無数の病室があって、さらにそこに多数の患者さんが横たわっていて、患者さんの身体には、それぞれパーソナルな記憶が眠っています。そこにはさまざまな時代の空気の中で生きて動く登場人物たちがいて泣いたり笑ったりしているのです。

なんという情報量!

私はもう、自分のインナーワールドにどんどん取り込まれています。夢にまみれていきながら「たとえ眠れなくても寂しくはないな」と思いました。





ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。