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あなたの生き様のようには絶対しない

ねえ、あなたはどこまで私を追いかけてくるの?
私が一体何をしたというの。

何も知らない小さな子供のころ。
なんとなくはわかっていても、ずーっと知らないふりをしていたかった。
父親が違うこと。

それでも育ててくれた父には感謝している。
今は。
思春期の頃はやっぱり両親が汚いもののように思えていたことは事実。
でも、自分が道を踏み外すことだけはしなかった。
普通に大学まで進学し、まるで普通の家族のように振舞って、
時間が流れた。

大人になれば、わかる。人を愛する気持ちも、痛みも、汚さも。
それでも小さな頃から時間をかけて自分の中に蓄積された気持ちは変えられない。

私も年を取り、結婚し、子供にも恵まれた。
孫の顔も知らぬまま、父は事故で逝ってしまった。
父のことが好きだったかといわれれば、答えに詰まる部分はもちろん否定できない。でも、感謝はある。
もう話すこともできないけど。

年老いていく母は、時間が経っても変わらない。
私が嫌いなことばかりしている。
ずっと育ててくれたことに感謝しなきゃね。

でもどうして、感謝じゃない感情しか生まれないのだろう。
今は疎ましくさえある。
本当はあの母から生まれてきたことが嫌だった。
普通の家庭だったらよかったのに…って何度考えただろう。
私は普通じゃないような気がしていた。

こんなに年を取ってまで、娘に甘え寄りかかろうとする母が大嫌いだ。
子どもは親を選べない。
悲しいまでの現実。

生きている以上、黙って子どもはやり過ごすしかないのだろうか。
優しさでもない、情でもない、義務だけで。

答えなんてない。
生きている以上、心とは裏腹でも普通に接すること。
それができればいいのにね。
できないから困っている。
イライラして、どうしようもない感情に支配されてしまう。
顔も見たくないなんて言えないけど。
作り笑いで、時間をやり過ごすしかない。
我慢するしかない。
あの人が親である以上。

私も子供にこんな風に思われて最期を迎えるのだろうか。
年寄ってうっとおしいと思われながらも、生きながらえるのだろうか。
そんな悲しいものなのだろうか。
歳をとるということは…。

自分の最期は母と同じじゃないと思いたい。
そのために私ができることは、夫が先に死んでしまったときに、
一人で生きる強さを持つことだと思っている。
一人で死ぬ時期を待てる強さを持ちたい。
寂しくても、歯を食いしばってでも、一人で死ねる潔さが欲しい。 


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