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ゆるすということ。

ゆるすことを考えたきっかけはふたつある。

ひとつは、私の元上司がそろそろ40歳になるので、「年齢を重ねていって変わったことってありますか?」と聞いたら、「ゆるせることが増えたかな〜」といったこと。

もうひとつは、カルテットというドラマ。友人におすすめされ、私にはめずらしく1話見たあとすぐに2話、3話・・・と見ていき、3日で見終わった。簡単にいうと、男女4人が一緒に暮らしながら、カルテットを演奏する話。それぞれにはいろーんな過去があって、それが少しずつ見えてくる。超小さいことだが、ドラマの最初の方でからあげにレモンをかけてある人が怒る。そして、最終話にも同じシーンがあるが、そのとき、その人は怒らない。

おすすめしてくれた友人と感想を言い合っていたときに「私も誰かと暮らせば、なんかもっとゆるせることが増えるのかな〜とか思った」と彼女が言った。

私がゆるせていないことってあるのだろうか。そんなことを思ったので、Twitterでつぶやいてみたら

見つけてくれた方がつぶやいてくださり、そこにたくさんの回答が集まっていた。(ほんとうにありがとうございます)

その中でも、私が考えたのが「受け入れる」と「あきらめる」。このふたつは、感覚的には近い気がするし、目に見える事象はほぼ変わらない気がする。だけど、受け入れるはなんとなくポジティブで、あきらめるはなんとなくネガティブ。なんとなくね。

これも友人からもらったヒントで、「受け入れる」はそのあとに何か行動を起こす、「あきらめる」はそこで終わるんじゃないか、と。例えば、誰かと分かり合えないときに、受け入れたら分かり合えないことを前提に接し方を変えて関係を改善する、あきらめたら関係をやめるとか毎回分かり合えないところでストップする、みたいな感じだろうか。これから日々意識してみるので、また結果がわかったら伝えます。

ゆるすことと向き合うために、こんなドストレートな本を買った。

この本には「ゆるしとは、過去の傷を喜んで手放すこと」と書かれている。「喜んで」っていうのが、すごいよね。逆にゆるせていないと、喪失感や悲しみを感じ続け、病にもつながる、と。ゆるす対象は、他人、家族、国など、色々書いてあったけど、結局ゆるせていないのは(過去の)自分だっていうのが一番しっくり来た。私はたぶん、前は他者をゆるせていなかったけれど、今はゆるせていると思う。この場合は、忘れた、というのが強いのかもしれない。

最近ゆるせていないのは、過去の私。選択を変えたら人生が大きく変わるようなイベント(就職、引っ越し、進学など)は後悔していない、というよりは、あとから上書きして全部「それを選んでよかった」と思うようにしている。けれど、人生を変えるまではいかない小さなこと(仕事のミスとか他人への接し方)に対して、なんであのときそんなことをしたのか、たまにふと思い返すことがある。ちょっと激しい言葉を使うなら「裁いている」ような感覚。これをどうしたらゆるせるのか、と思っていたときに上のTwitterの返信のなかにあったこれが、一番いい癒やしとなることばだと思った。

「自分にも相手にも、感情的にも理性的にも、あのときはそうするしかなかったんだよね、あのときはそうしたかったんだよねと過去を認めること。」

そのときの私は一生懸命生きていて、今の私にはわからないような複雑なことを抱えていて、「そうするしかなかったんだよね」って思えたら、色々ゆるせるんじゃないかなって。

ほかに書いてあった残しておきたいこと。

「ものの見方や自分の信念には過去が投影されていて、エゴは思うぞんぶん自分の都合に合わせて、この投影作用を利用している。」「ゆるすためには、過去の出来事は繰り返されるという思い込みを捨てる必要がある。私たちは攻撃されると、恐怖のあまり守りの態勢をとり、何年たっても、当時の恐怖心に縛られ、またいつか同じように攻撃されると考えてしまう。」

ひとがゆるしたくないのは、今の自分は不幸で、もっと幸せになれると思っているから。その不幸をなにかのせいにできるから、ゆるしたくないのかも。どちらにせよ、人はずっと「もっと幸せ」を追い求めていくと思うんだけれど、たまに後ろを振り返ったら確実に、「もっと幸せ」になってると思っている。


ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。