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目の前にしあわせがあるなんて嘘だと思ってた

先日、演劇系のワークショップに参加してきた。
私は演じるのがとてもとても苦手で避けてきた。どれくらい苦手意識かというと、幼稚園のお遊戯会で宝石に立候補したくらい。

これは自分のなかにある大きな思い出を劇にしてみるというものだった。

たくさんある思い出の中からひとつを選ぶのは難しかったし、ちょっと深い思い出をやるといいみたいだったけれど、いやな思い出をおもいだしたくなくて自分の良い変化が起きた思い出を選んだ。

それは、”うち”の自分と”そと”の自分がつながったときのおはなし。

そのときの私は大学4年生。とあるイベントでとある女の子に
「すみません、このとやまゆかさんですか?ブログのファンなんです!」
とTwitterのホーム画面を顔の横に話しかけられた。

驚き。
このとき私は表で”じぶん”が出せなくて、すべて書くことがじぶんだった。それがうちの私で、実在する私はそとの私。じぶんを使い分けていた。うちの私はだれにも受け入れられないだろうってあきらめてた。

いつから、どうして、そうなったか、という明確な出来事はないけれど、幼少期のころからだと思う。
小学校のときはお母さん、中学校のときは部活のともだち、高校のときは周りのすべての人の顔色をうかがって生きてきた。

大学になってちょっと変わった。でもおそるおそるで、私の世界の一部分だけ。

だから、私は書くことがすきなんだとおもう。
それがつながった瞬間がこのとき。
ちなみに、この女の子は今でも仲が良い。

正直、中高のとき未来がまっくらで、私きっと一生このままだって、ずっと孤独だって、思ってたけど、ほんと生きててよかったね。

先日、こんな出来事もあった。
私のブログにはお問い合わせフォームがあって、ときどき連絡がくる。この前ふと開いたら、ある大学生の女の子からのメッセージが来ていた。

私の優しい雰囲気の文章がすきだということ、私と同じように彼氏がずっといないことで悩んでいたけど、私の文を読んでそんな自分を認めてあげれたこと、私の脱恋愛宣言を読んで泣いたことが書いてあった。

私の想いが届いた。私の文章が誰かを救った。そう思ったらすごくすごく嬉しかった。

そんな出来事たちを通して気づいた私のしあわせ。
今の環境に感謝をすること。あのときに比べたら、ほんとしあわせ。ずっと私でいられるなんて考えられなかった。
思ったことはすなおに言うこと。だれかをハッピーにできる。
私は私が作ったものでひとがハッピーになるのがすごく嬉しいこと。そんなことを仕事にしたい。今すぐは無理だけど、ここで書くこととか、少しずつできることを。そのこころの余白をとっておこう。

私のしあわせは
すきな人と時間を過ごし、ときどきおいしいものを食べ、お気に入りのものを身につけ、たまに旅に出ること。

よし、もうすこしがんばろう。

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きょうのおみせ
大戸屋
久しぶりに生きましたが、たくさんメニューがあるし、おいしいし、やさしくて、なんか好きだなと思いました。はっぴー。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。