日記(20240211)

闘病していない日記が書ける喜び。いつまでも噛み締めていたい。
私は現在育休中だけど、配偶者も私の闘病がいつまで続くかわからないってんで8月まで育休を取ってる。
だから今の私たちは毎日が日曜日状態で、毎日家族で遊んで過ごしている。財政難ではあるけれど、それよりも穏やかな日々を家族で過ごせる喜びのほうが大きいので、心の収支はかなりプラスになってる。

日々子どもと公園に行ったり、料理をしたり、散歩をしたり、たまに美術館に行ったり、音楽を聴いたり、一緒に本を読んだり、ワークショップに行ったり、季節のイベントを大切にしたり、数えればキリがないほど生活を楽しんでいる。
大人が二人いる物理的な余裕でもって、かつての趣味だった音楽や読書やその他色々も少しずつ生活に寄り添ってくれるようになった。
それどころかお菓子作ったりNFTアート作ったり一人でデパート行ったりなどと楽しめることが増えてすらいる。
今はまだ感染症が怖いので遠出はできないけど(私の)免疫がついてきたら家族で旅行に行ったりもしたい。

反面、生活以外の優先順位が驚くほど下がった。
良くも悪くも仕事に対するモチベーションはもともと無かったけど、入院してもっともっとなくなった。

生きていくには金がいる、金のために働かなくてはいけない、と言い聞かせてしぶしぶ働いていたけれど。今やもう「金のため」ではモチベーションにならなくなってしまった。
富豪になったわけではない。
だけど余裕が出来るほどの金が欲しいとか、生活に潤いが欲しいとか、そういう類のことを一切思わなくなった。

なんか子どもと公園行って、家でうどん食って、お昼寝して、ホットケーキ作って、とかやってるだけでこんなに幸せだと知って、そうすると、金を稼ぐ目的のためにこの時間が減るのって本当に良いことか?と疑うようになる。
バキバキに働かなくても、適当なパートでもやりながら家族との時間や趣味の時間を第一にした方が絶対良いんじゃないか、人生?と心から思う。仕事にやり甲斐とか感じないタイプだし。

こういう時、病気じゃなければなあと思う。
もう向こう何年かは癌保険に入れないので、次同じ病気が再発したら(するな)全部持ち出しで治療になるわけだけど、限度額があるとはいえ保険適用外の治療がいくつか重なるとやっぱり辛い。
子どもの学費や老後の資金に手をつけてまで生き延びたくね〜となってしまう可能性もあるし、そうなるとやっぱ金がいるんか、やるせない。と堂々巡りの考えを繰り返している。

一番良いのはもう完璧に体が治って、これから天寿まで何の病気もすることなく、健康に生きて死んでいくことなんだなと、ババアのようなことを思う。
少なくとも今この病気が完治扱いになるまで仕事は辞められない。病気持ちはどこも雇ってくれない。それもなあ、何だか人生縛られてるみたいでやや重苦しい。だけど色んな立場での心の機微を知れるというところは、そう悪いことでは無いと感じてる。

とりあえず毎日家族と遊んで、大好きな人達に会って、夜は音楽を聴いたり、小説を書いたり、そんな満たされた生活を夏まで続けられることに感謝したいと思っています。

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