天使だったのかも
徒然なるままに娘のことをnoteに書いたあと、娘が元気に成長してくれたら書こうと思ったことがあった。
それが、娘ってもしかして天使なんじゃないか、ということ。
スピリチュアルな目で見ないでほしい。
当時は私の病気の都合で娘を早産し、娘にたくさんのリスクを背負わせた責任についてばかり色々考えていた。
だけど当時よりほんの少しだけ余裕の持てるようになった頃、逆に娘が私にくれたものについて考えることが出来るようになった。
いきなり下世話な話だけど、娘のことは一発で妊娠した。
私はもともと産婦人科に通っており、妊娠しやすい体では無く、さらに特にタイミングをとったわけでも無かったため、判明した時は心底驚いた。
それに嬉しかった。意図せずに自然妊娠で赤ちゃんが来てくれたこと、確率的にも奇跡だと思った。
だからこそ、そんな大事な赤ちゃんを早産の危険に晒す辛さったらなくて、なんで今病気やねん、と思った。
でも。今になれば。あのタイミングで娘がお腹に来てくれなかったらと思うとゾッとするのだ。
そもそも私の白血病は妊婦健診から判明した。
妊婦健診で血液検査をして細胞の数がおかしいことがわかり、相談のもとその場で大病院に紹介状を書いてもらった。
そこで骨髄を診てもらって、ギャッ!癌細胞!となったわけである。
つまり妊婦健診が無ければ血液検査もなく、発見されなかった白血病はジクジクと進行し続けてしまっただろうと予想されるわけで。
妊婦検診が無ければ次の血液検査の機会は職場の健康診断だっただろう。それも11月の予定だった。
その間に癌細胞は増え続け、発見される頃には後期・末期になってしまっていたかもしれない。
もっと言えば、職場の健康診断の結果は持病の関係で毎回D(要再検査)なので、全然ちゃんと見ていないし、再検査にも毎年行っていない。
だからD判定が出たところで「ハイハイいつものやつね」となるだけで、行動を起こすことはなかったと思う。
結論、娘を授かって妊婦健診に行ったからこそ、手遅れにならない段階で白血病を発見することが出来たとも言える。
また、娘を授かった時期も絶妙だった。
妊婦健診の血液検査は在胎週数6週目と28週目にある。
そして6週目の血液検査の段階では驚くことに異常なしだったのだ。
つまり6週から28週にかけてのどこかで発症し、28週の段階で発覚したことになる。
本当のところはわからないけれど、段階としては初期・中期で発覚したと言っていいと思う。
もっと早くに娘を授かっていれば、28週の血液検査の時点ではまだ発症前だったかもしれない。
その後検査をする機会も無いため、後期・末期になり自覚症状が現れて初めて発覚する、という最悪のパターンも想定できる。
逆に娘を授かるのがもっと遅ければ、6週時点で病気が発覚してしまい「治療を取るか娘を取るか」というこれまた最悪の選択を迫られていた可能性がある。
治療を優先すれば娘を6週近くで出産することになってしまい、生存率は極めて低くなっただろう。
とはいえ娘を優先して28週まで待ったら、当然その分病気は進行し、結局後期・末期になったというパターンの想定もある。(28週は早産のひとつの指針でこれを超えると生存率がグイッと上がる週数なのだ)
娘が28週まで育っていて、病気が初期の段階で発覚する奇跡は、あの時期に娘が来てくれていないと成立しない。
娘が来てくれた時期は、私も娘も一緒に生きていける唯一のタイミングだった。
そういう諸々を思うと、なんかもう娘が病気を教えに来てくれたとしか思えないのだ。
しかもその後を生きていく希望として、娘自身を与えるというアフターケアまでついてる。
これが天使のやり口じゃなくてなんなんだと思う。
そう思うと、一発で妊娠したのもその布石としか思えなくなる。
来る予定の無かった赤ちゃんが、死の危険を犯してまで救いに来てくれたんじゃないか、私みたいなもんのために。天使が姿を変えて。
スピリチュアルな目で見ないでほしい。
結果論、私は娘に救われてる。
だから娘にもらった命、絶対無駄にしてはいけない。娘にもらった恩恵を一生かけて返していかなくてはならない、ていうか心からそうしたい。
娘は今生後5ヶ月。修正月齢で2ヶ月。
まだまだ赤ちゃんで言葉もわからないけれど、いつか精神的に大人になった娘にこの話をして、救ってくれてありがとうと伝えたい。天使だったの?もしかして、と聞いたら、娘はどんな反応するんだろう。その頃には天使だった記憶も無くなってるんだろうか。
だけど私は生きてる限り一生覚えてる、君が天使だったこと。そんでその間ずっと、毎日、毎秒思う、救ってくれてありがとう。生まれてくれてありがとう。
そんな会話ができる未来を夢見て。