闘病日記(20231029)

闘病日記って今更ながらめちゃ嫌な題だな。
闘病してる日記だから間違ってないんだけど、なんか字面から苦しみの煮凝りって感じがする。

前もどっかに書いた気がするけど、治療そのものはそこまでつらくない。
副作用で気持ち悪くなったり、免疫の関係で熱出たりはもちろんあるけど、それ自体は別にって感じ。体調悪かったら一人で大人しく寝てられるし、悪阻の時坊ちゃん相手しながらゲロ吐いてたやつの方が全然しんどかった。

つらいのは圧倒的に精神で、治療が効いてんのかどうだか最後までわかんないとか、これがダメだった時どうしていくべきなのかとか、今後自分がどうなってしまうのかという不安。
本当、病気ってそういうものとの戦いなんだなぁと強く思う。ほんで私はそういうのと戦うのにちっとも向いてないタイプなんだなぁと思う。

ちょっとイレギュラーなことが起こるとすぐ心が地獄の底までいってしまうし、だから良くないことを知るのが怖くて先生が来ても何を聞けばいいのか分からなくなる。見通しとか、展望とか、色々聞けることもあるだろうに何も言えなくなる。そんでこの先どうなるのか分かりましぇんとほざいている。ゆとりがよ。

でも今後の展望を聞いて、もし絶望的だと言われてしまったらそれはそれで精神的にヤバいことになってしまう。
そしてまた心のお薬飲みましょうね、になってしまい、入院や治療そのものへのモチベーションが無くなってしまう。それも困るから心の砦として聞かずにいるんだという言い訳をさせていただく。

病気がわかってから、自分の病名でのネット検索とかも全くしてない。同じ理由からだ。
そもそも病気発覚からの自分の全データと経験を持ってる医者がいるのに、一般論のネット見て何も得することないだろとも思う。目の前の医者よりネット信じるようになったらそれはそれで怖い。

だから理想としては、主治医が身内に勝手に展望とか今後の治療展開とかを話してくれて、それを私以外の家族みんなで話し合って、決定事項だけ私に教えて欲しい。
イレギュラーでどうにもならないことや、明るくない展望とか、もう聞くだけでダウナーになっちゃいますのね。

私は健康な人たちにそういうところを引き受けてほしいし、その権限が私に無いだけでだいぶ楽になると思ってる。
私が居ない中で生活を行うというのは今や最低条件だから、はやくそれに慣れて私のこと救うところまでやってほしい。こういうのって傲慢かね。

私も救ってくれって言葉にしてないから、まずはそこからなんだろうけど。
彼らの生活が落ち着いたら救ってもらおうかと思って、未だ言えないでいる。このまま言えないかもしれない。その時は展望が明るくなることを祈るのみだ。
なんかやってることずっと変わらないな。祈るのみ。

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