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衝撃! エイドリアン・ゼッカがアマンの原体験をしたのは、90年代に足繫く通った諸磯の海の家だった!!

いやー、長く生きているとこういう数奇な読書体験があるのですよ!!!

何かと言えば、大学の授業に関する下調べで読み進めていた、山口由美著『アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』中、ゼッカがアマンのコンセプトをつかんだその原体験だと詳しく紹介されている「日本の別荘」があるのですが、その館、なななんと90年代に友人が3夏ほど借りていて、ワタクシが足繁く通った、「諸磯の海の家」(通称)だったのです!!!

アマンと言えば、今現在、すべてのリゾートでその影響下にないものはないと言われる最強コンセプトで世界展開するリゾートグループ。水面が地平線に溶け込む、ホライズンプール、中にテレビ設備一切無しのヴィラ、地元の歴史と文化を尊敬し土地と融和する建築&経営思想などを世に送り出したのは、エイドリアン・ゼッカ氏。遊び尽くしたヒッピー上がりの欧米貴族の次男あたりがそのトップと思いきや、彼はインドネシア人の富裕層に生まれ、欧米で教育を受けたコスモポリタンなんですね。それ、実はアマンによく現れている。

読み進めるうちに、ゼッカ氏は戦後、太陽族の頃に日本に特派員として数年滞在していたことがわかります。「アマンは日本の旅館にインスパイヤされている」という話はつとに有名ですが、彼は当時アメリカ人の写真家より借り受けた三浦半島の別荘に、東京から車で通い続け、その自然と溶け合った環境と空間こそが、アマンの原型だったというのです。

別荘があったのは、三浦半島の諸磯、と書かれており、モノクロの写真も載っている……。ななななんだと! とワタクシ、本当にヨギボー(ちなみに最大サイズ)からまろび出ましたよ。これって、あの「諸磯・海の家」じゃないかい!!!!

何でも山口氏が麻布ナショナルマーケットの貼り紙から借りるに至ったその館。ボロボロだけど妙にマーロン・ブランド主演の映画『八月二十五日の茶屋』系の趣があって、その独特のエキゾ風味に私は首ったけになり、ゲストとして何度も滞在したことがあったのです。

アムステルダムの音楽プロデューサー、リチャード・キャメロン夫妻を連れて行ったこともあったし、一度、現代美術家の曽根裕君と西原みんちゃんと企てて、東京に滞在していた、リクリット・ティラバーニャや韓国の作家、イ・ブルなどそうそうたるメンバーを引き連れてBBQをしたことがありましたな。ちなみに、その時、フェミニストのイ・ブルと酔っ払って意気投合して、室内プールで全裸で泳いだこともあったよなあ。ちなみに、その室内プール。キッチュな彫像とかが置かれていて、ハトヤのギリシャ温泉風呂っぽかったのですが、現実的にその先には、アマンのホライズンプールの未来があったと思うと感慨深し。

アマンは、アマンダリ、アマンキラ、アマンブリと泊まりましたが、一方の雄、フォーシーズン系と違って、なんだか土着の独特の“暗さ”と完成度とは別の“隙間”みたいなものがあるんですよ。でも、その理由がわかった。だって、原型が我らが諸磯の「海の家」なんだもの。自然と融合しすぎで、蒸し暑いし、虫は出るわで、改築を重ねたであろう廊下のドン付きにひとり用の棺桶みたいなサウナが設置されてもいて、スティーブン・キング感マシマシ。

この「諸磯・海の家」彼らに別荘を貸したのが、戦後日本の裏社会に関わった悪漢ガイジンらを描いた『東京アンダーワールド』にその名が出て来る、サロモンというユダヤ人のおじいちゃん。彼の話も非常に面白いのですが、それは荒井和子さんにのちのち書いていただこう。

ちなみに、ゼッカ氏がガールフレンドとしけ込んだと書かれている、海岸蔵の洞窟ですが、これ、ルーシーさん殺人事件の現場洞窟だと思われます。ホント、いちいちネタが多いのよ。この「諸磯・海の家」は!!!

現在、いったいどうなっているのか……。

写真は、荒井和子さん所有。当時は写メ、無かったんですよ。20210504note_諸磯海の家1

20210504note_諸磯海の家2

20210504note_諸磯海の家4


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