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坂本龍一さんとのこと。

坂本龍一さんが逝去されました。坂本さんと、月刊誌ゲーテの『男女口論』という対談連載で毎月のようにお目にかかって、食事していたのが10年前。人生の中では、とある期間非常に濃密な関係になる「人別ディケイド」がありますが、2010年アラウンドはまさにそういう期間でした。3.11以降、坂本さんは、社会運動におけるアイコン的存在にもなり、私は爆クラというクラシック音楽の新しい聴き方の提案という新しい領域に入っていきます(坂本さんは2回ほどゲストで登場していただきました)。坂本さんが音楽やその人生の果実を余裕とともに堪能していた、嵐の前の静けさ時期。坂本龍一という人間の中にある、快楽的、ユーモアー、遊戯的、貴族的な部分とともにたくさんの言葉を交わし、美味しいものを食べ、飲んで時間を過ごしました。

音楽はもちろんのこと、映画、小説、フェミニズム、天下国家、マンガ、海外事情、日本という国、人の噂、好きなもの、嫌いなもの等などなど。特に私と坂本さんは「嫌いなもの」つまり悪口の対象センスが非常に似ていた。チャイコフスキー以外は!(彼はチャイコのことを「アメリカ人が大好きだよね。砂糖たっぷりのお菓子っぼいし」と称し、評価は低かったのです)
つまり、観察と批評の人だったわけですが、それを常に「勉強」として自分に落とし込むことが常。そう、とても質問が多かった。

資本主義と人間の歴史がもたらした豊饒な文化(そこには徹底した個人主義が含まれ、また欲望がそのエネルギー源でもあります)と、自由、民主、平等、平和等人間の幸福を実現するための政治、社会的態度は対立し、個人の中で葛藤を生じさせます。先の対談中にはまさにその引き裂かれた感覚が存在したのですが、3.11以降、エネルギー問題や先進国のシステムの行き止まりが決定的となり、「人間の文化って、地球の前にはナンボのもんじゃい」感とガンの発症と闘病によって、「自分のような立場の人間が今、できること」という社会的意識の方が断然強くなり、それとともに表現のステージも変化していった。

彼のソロアルバムには、イタリアの近代機械化、工業化の美学を讃えた「未来派」という芸術運動をそのタイトルに折り込んだ『未来派野郎』がありますが、そんな美意識とは袂を分かって、その音楽はキャッチーなフレーズ感や粋な和声の響きから、音質と音色と移ろう時間感に集中していく、「自然領域」に入っていきました。

坂本さんとメールのやりとりは、続けていたのですが、その中で彼の音楽の印象を種田山頭火の俳句に重ねて伝えたところ、坂本さんから「山頭火の全部の作品が集まっている本は無いのか」と問われた。「分け入っても分け入っても青い山」もうもう、誰もが知っている句ですが、最晩年の作品にはそういった境地に入っていきます。これは、伝統芸能でいえば能に、また、心ある作家の断片に立ち現れる「日本的感性」そのものであり、今となっては、小雨に煙る日本の深い山道をひとり登っていく、蓑笠をしょった坂本さんの魂、というイメージとなって、心の中を駆け巡ります。

カンテサンス、銀座時代のあら輝、ドンチッチョなどの名店にお連れし、その後そ何件かは坂本さんの行きつけになったわけですが、何度か印象的な場面に出くわしています。ひとつが某有名フレンチでの出来事で、料理は申し分なかったのですが、坂本さんの評は芳しくない。その理由は「ソムリエが失礼だった」というものでした。ちょっとエスプリを効かせた皮肉っぽい口調に情報強者独特の圧があったことは確かで、そこに坂本さんはカチンときたのです。もうひとつは、バート・バカラックのコンサート帰りに行った、坂本さん御用達のレストランでの事件。居残っている常連らしい中年カップルが、若い店員をいじり倒して盛り上がっている。そこに教授大激怒。「直接、俺が言う!」というのを何とかなだめて帰途についたことがありました。

お分かりのように、権力や知識のある強者がその立場を利用して、横柄や傲慢、失礼な行動を取ることに対して、「本当に我慢ならない」という良識が坂本さんには強烈にありましたね。そういった権力の横暴に対するシンプルな反発の延長線上に、彼の社会的な発言が存在したのでしょう。考えてみればカルチャー分野の最高権力者とも言える坂本さんは、王様のようにふるまうことを社会の空気としては許されてもいるのに、そういう態度を嫌悪し、誰にでもオープンに、フラットに接する人でした。

今、SNSに多くの追悼文が載っていますが、たった一回のフォトセッションの逢瀬にもそれは発揮されていたことが分かります。ちなみに、権力と地位のある全共闘世代の男性は、たとえ言葉に出さなくても「俺様を尊敬しろ」「忖度していい気持ちにさせろ」という態度が、付き合っていくうちに漏れ出ることが多いのですが、本当に一切それがなかった。「アンタ、口で言っていることと、やっていることが違うじゃないか!!」とこれ、理想を語る人間のアルアルですが、坂本さんはその理想を人生に落とし込むことを不断の努力で実行した、恐るべき言文一致の人でした。

『Amore』『Borelish』この2曲が坂本作品の中で特にお気に入りです。そこには彼が少年期から大好きだったドビュッシーや、フランス近代、最後の調性音楽の時代に活躍した先達の響きがある。そして、彼のアプローチが無調の音響系になり、メロディーや和声が消失しても、そこには芋虫からさなぎになって、その殻の中では細胞が再編成されて、蝶になるがごとく、置換された情感が存在し続けていました。

表紙の写真は今から10年前。2013年の9月、坂本さんが審査員を務めたベネチア映画祭に同行したときのもの。坂本さんを『ラストエンペラー』も含め多くの映画音楽に起用したベルトルッチ監督と坂本龍一さんとワタクシという一生の宝のようなショット。坂本さんとともにバーで相当飲んだくれて、終電ならぬ終定期船を逃し、ひとり、片道一万円もするモーターボートで宿がある島まで帰った時の、あの暗い海の光景が今でも強烈に思い出されます。R.I.P_


P.S. 来月、5月28日(日)に宮崎県・諸塚村×爆クラアースダイバー「森の中のピアノ 坂本龍一の音楽とともに」というコンサートを行います。

「いいですね〜。ぼくは昔、ケニアのサバンナにピアノを持っていってマサイの子たち、そして象たちにピアノを弾いたことがありました。笑 ぜひクヌギたちに音楽を聴かせてあげてください」
坂本龍一(2022年12月22日のメール私信から)

坂本さん主宰のmore treesと深い関係のある村でコンサートは、私からの坂本さんへのご恩返しです。

https://www.morotsuka-tourism.jp/spot/morino-nakano-piano/

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