大量の素晴らしい作品があるのに、私はなぜ書く/描くのだろう
私は小学生〜大学生まで、友達と呼べる人が数人しかいませんでした。
学校帰りに遊んだり、部活したりという青春はないわけではないですが、とても少なく、帰宅後は自分の部屋にこもることが多かったです。
漫画や小説を読んだり、CDやカセットで音楽を聞いたり、アニメを見たり、そんな、何かしらの作品に触れる時間を過ごしてきました。
好きな歌詞を手帳に書く。好きな歌を小声で歌う。好きなキャラを模写する。そんな日もありました。
ただ、「オリジナルの何かを作る」という選択肢は避けてきました。
世の中には
こんなに素敵な音楽がたくさんあるのに
私が描かなくたって素敵な漫画はたくさんあるのに
素晴らしい映画が数え切れないほどあるのに
——私が何かを作る意味ある?ないよね。って本気で思っていました。
友達が少ない=人気がない、と思っていましたし、何か作ったところで見向きされない。意味ないよね…と。
私は今年、39歳になりました。
毎週月曜に短歌を、毎週水曜に4コマ漫画をnoteに載せています。(遅れる週もあって申し訳ないです)
これまでnoteにはイラスト、エッセイ、小説、歌詞≒詩を載せたこともあります。
そして現在、公募用に短編小説を3つ、長編小説を1つ書いています。
——おかしいですね。今はいろいろと作っています。
作り始めたきっかけって何だろう?と思い出したくなりました。
昔過ぎてはっきり覚えていませんが、たぶん、漫画のオリジナルキャラクターだったように思います。女の子の目を描くのが好きだったので、その延長線で描いたような気がします。数少ない友達から「上手いね」と褒められました。
noteでの影響もとても大きいです。人生で初めて4コマ漫画を描いてnoteに載せたとき、コメントが来たのを覚えています。とても嬉しかったし、とても驚きました。
特にコメントが多いのは、エッセイです。「ありがとうございました」とお礼を書かれることがあって、私としては「ご覧くださってコメントまで…なんと恐れ多い……」の気持ちでいっぱいです。
今は、私が何かを作る意味あると思います。
でも、誰かを励ましたいとか、誰かを元気づけたいとか、そういう意味や目的のために作ってはいません。私が他人をどうにかしたいだなんて、おこがましいかな…と。
結局のところ、「思いついたから作る」。意味はこれだけです。
世の中にはたっっっくさんの作品がありますが、頭に犬の神様を乗せた4コマも、私と全く同じエッセイもありません。どの作品とも違う、私ならではの作品を生み出せたことは意味があると思います。これはこれでおこがましい気もしますが…。
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ちょっと思うところあって、久しぶりにエッセイを書きました。脳内で考えていることをほぼそのまま書いたので、日記に近いですけどね…。
小説が、書けば書くほど分からなくなって、ゼロから書き直したくなりました(12/31〆切なので書き直しません)
正解がないのは、とても苦しいです。
書いても書いても、「これでいいのか?」「別の表現があるのではないか?」「こんなんで受賞できるのか?」などの答えは分かりません。「誰かの真似ではないか?」と思ってしまうときが一番苦しいかもしれません。
私らしいとか、自分らしさってなんでしょうね。この答えが分かったとき、迷わず小説書けるのかな…なーんて思ったりもします。
あーだこーだ考えても、最終的には書くしかないですね。小説に戻ります。
ご覧くださった方、ありがとうございます。
サポートしてくださった分は、4コマに必要な文房具(ペン・コピック等)やコーヒー代に使います。何より、noteを続けるモチベーションが急激に上がります。