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エッセイのような日記(1/8~1/10)

厳しい寒さが続く、年明け。

ここ数日のなんやかんやを書き留めたいと思いました。突如復活した、エッセイのような日記です。
(映画『パラサイト 半地下の家族』のネタバレを避けたい人は、読まないほうがいいです。ネタバレ書いてます。)


1月8日(金)
映画『パラサイト 半地下の家族』を初めて鑑賞。ストーリーはほぼ知らなかった。豪邸に移り住んだ貧しい家族が無理難題を言い、お金持ちは嫌々ながらも断れず、その家族の言うことをきく…そんな話だと勝手に思っていた。

全然違った。事前に情報を入れなかったぶん、予想を裏切られては裏切られた。ただただ凄かった。凄いでは片付けられないが、「凄い」以外の言葉がなかなか見つからない。

富裕層と貧困層、騙す人と騙される人、良い人と悪い人、半地下、描写、伏線。ただ「観るだけ」では済まなかった。でもこの感情をどう表せばいいのか、未だによく分からない。


高台・半地下の比較に注目しながら、途中まで「キム一家の嘘はいつバレるのだろう…」とソワソワしていた。

しかし、中盤で地下室が登場し、急展開。半地下のさらに下があるという、驚きと失望感。中盤からゾワゾワも加わり、自分がどんな感情を抱いているのか分からないまま観ていた。

考察記事をいくつか読み、散りばめられた伏線を知り、さらに「凄い」と思うばかりだ。階段、石、雨の考察は興味深い。



私は映画も小説も、分かりやすい伏線しか気づかない。制作した人に申し訳ないな…といつも思う。

だから正直な話、国語が嫌いだし苦手だ。「作者以外の人が問題を作り、正誤判断するのはおかしいだろ…」と思っている。

特に、小説の回答・解説は読んでも納得いかないことが多い。「雨が主人公の憂鬱な気持ちを描写している」なんて書かれても、「雨で憂鬱とは限らんやろ」と思ってしまう。幸せいっぱいの日に雨が降ることもあるし、憂鬱な日に快晴なこともある。

『パラサイト』で雨が印象的に降っていたが、考察記事を読むまでは、豪雨の日もあるよね…としか思わなかった。制作者の意図があるかもしれないが、雨は雨、曇りは曇りだと思ってしまう。ほんと申し訳ない。

ドラマ『カルテット』で「どうして曇ってると天気悪いっていうんですかね。いいも悪いも曇りは曇りですよね」の台詞を思い出した。



NHKで放送された、常田大希さん(King Gnu/millennium parade/PERIMETRON)のドキュメンタリー『常田大希 破壊と構築』。パラサイトの後に見た。

常田さんが作曲・作詞している姿を地上波で放送するなんて、とても貴重。曲ができるまで、いろんなアイデアを取り入れ、何度も何度も試し、何ヶ月も悩む姿を目の当たりにした。

「ただの天才」と思っていたので、韻を踏む単語を書き並べていたシーンに少し感動した。

私たちは完成した曲しか知らない。

常田さんほど才能がある人間は、ほんのひと握りだと思う。だけど、悩み、あがき、願いや希望を込めて何かを生み出す工程に、恐れながら親近感を抱いた。卵かけご飯が好きだなんて、卑怯すぎるぜ…。ギャップがえげつない。


1月9日(土)
昨日に引き続き、最低気温-4℃。3日連続で氷点下だ。

南国宮崎に生まれ育ったので、雪を心待ちにしていた。しかし、雪は降らない。ただ寒いだけの日に、ちょっぴり腹が立つ。寒いだけかーい。



緊急事態宣言が出ても出なくても、やることは変わらない。最低限の買い物に出かけ、家で過ごすだけだ。

感染者が増え続けている。すぐには減らないだろう。年始のニュースで初詣に行っている人々を見ては絶句した。あんなに人が集まっていたのだ。感染者が大幅に増えても驚かない。まあ、そうだろうな…程度。


私も夫も、インドア兼アウトドア派。また、いつまで経ってもやりたいことが進まない夫婦でもある。

旅行も帰省もカラオケもしばらくはお預け。最近はもう「家で過ごすしかないと割り切れる」のをありがたいとすら思っている。

どんな状況であれ、日常は続く。

こんな時でも、何かを作る人はたくさんいる。

「こんな時だからこそ生み出せるものがある」と常田さんのドキュメンタリーを見た際も思った。私が最近書いているエッセイも、きっと今しか書けない。

今を悲観しすぎず、なるべくニュートラルな状態で日々過ごしたいなと思う。



1月10日(日)
夫が5連休中だ。水曜日まで休み。

ソファーに座り、YouTubeを流しながら、夫も私もそれぞれの作業を進める。普段と大きくは変わらない。この日常が大事だなあと改めて思う。


「もし私が大金持ちになったら、今の感覚で日常を送れるだろうか?」と年に何十回か考える。今日はまさにその日。

今年は、エッセイで日常を切り取りたいと決意した。意味とか理由とか、実は深く考えていない。書きたいから書く。

私が大金を手にし、日常が大きく変わってしまったら、日常を書く意味あるのだろうか?とふと考えた。でも、意味がある・ないを誰が判断するんだ…とも思うから、結局書くんだろうな。いや、そもそも書かないのかな…。


昨年の年末ジャンボ宝くじ、1等賞金は7億円だ。もし私が7億円を手にしたら、エッセイは書き続けるだろうか?仕事は続けるだろうか?

うーん…バレないために、すぐにはエッセイも仕事も続けるだろうなあ。だけど、自然とバレてしまうのかな…。嫌だな…。

ランチで何も気にせず1,480円のパスタを選べるぐらいには、お金がほしいなあと思う。数百円で悩んでしまい、結局は安めのなかから選んでしまう。あーー、カプリチョーザ行きたいなあ。トマトとガーリックのパスタ食べたい。


・ ・ ・


そんなこんなで、貯金残高が増えることを期待しながら、ほとんどの時間を自宅で過ごしています。

最近は仕事後、エッセイを書くのが日課になりました。いい感じです。

今書いているエッセイ、なかなかまとまらず、8,000〜8,500文字を行ったり来たりしています。現在、8,139文字。

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火曜日に載せるのを目標に、最後の調整をがんばりまーす!

不定期ながら、また書きます〜。



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