委員長と呼ばれる彼女のこと
月ノ美兎にかなわない、初めて見たときからずっと。
古参のような言い方をしてしまったが、彼女を知ったのはほんの3年前だ。にじさんじの顔、箱で最初にバズった人、剣持の(自称)母親らしい、というごく一般的にもつ浅いイメージからはいった。自分でも気づかないうちに大好きになった。彼女の話す言葉ひとつひとつに、あるいは放たれるコンテンツに現在進行形で夢中になっている。
もともとお喋りを聞くのが好きだ。だから彼女にたどり着くのも必然のことだったかもしれない。なんせ最初に好きになったライバーは剣持刀也だった。彼の雑談アーカイブをあらかた見たところで、みとらじ、そして月ノ美兎の雑談配信へとたどり着いた。
彼女のとある配信の中で印象的だったエピソードが「シュレディンガーの海外」と呼ばれるものだ。「海外に行ったことがないのだから、友人たちが全員嘘をついていてることもあり得るとまで思っていた」「雲の切れ間から中国の街並みが見えたとき、本当に海外ってあったんだと思った」という彼女の言葉の素直さと瑞々しさに強い衝撃を受けた。事実や常識として知っていることと、経験して実感することの間の大きな隔たりを感じることはきっと誰しもあるけれど、この話を聞いたとき、体験を言葉で共有する以上の何かを感じてしまった。更には「宇宙の存在を劇団NASAが演じた結果、真実にせざるをえなくなるという脚本を書いたことがある」と、そう語り始めたときに素直に敗北した。もともと競うつもりもなく見ていた雑談なのに。恥を捨てて表現するのならば、これがときめきと言うのだと思った。
もっと頭の中を覗きたい、考えている事や見えていることを彼女自身の言葉で知りたい。そしてこの人がこの先為すことを見ていたい。その先がたとえいずれ掠れてしまうような、インターネットの小さな切れ端だったとしても、好奇心の擬人化と呼んでも差し支えないその探求心と楽しむ力は私を魅了し続けている。
ソロライブだってそうだった。今まで難しかったライブステージの付加価値を生み出す演出をいくつも見せてくれた。エッセイの中では彼女が身を隠すため誰にも覗くことのできなかった箱をライブでは大きな会場いっぱいに広げて、沢山の表現と挑戦を見た。歌やダンスの上手さとはまた違う角度での完成度において、Vtuberのステージの限界を取り払うさまを見たような、私にとって宝物のライブだ。
ここから先がこの怪文書の本題なのですが、私は胸張って自称するほど厄介で面倒なオタクなので、彼女を業界の開拓者としてやたらと持ち上げる声に悔しくなることがある。それは勿論彼女やその同期の功績であることには変わらないのだが、それ以外にももっともっと知ってほしいことがある。私なんかよりずっと強くそう思うファンは五万といるだろう。私が比較的新規のファンだから思っている可能性もあるが。
おもしれー女なんて既存の言い回しで括って終わらせるな。お前の生きる時代で更新されていく月ノ美兎をその目で目撃してからお前だけの言葉で語れ。これは懇願で祈りでただのオタクの叫びだ。お願いだから見てってこと。見て、あなたの感想を聞かせてください。お願いします。
私たちが日々取りこぼす世界の面白さを彼女は拾い上げて示してくれる。私たちがつまらないくだらないどうしようもないと勝手に見限った世界を、飛び跳ねて謳歌して焚きつける。私の人生も面白くなるんじゃないかと、私は私を楽しませることができるんじゃないかと彼女の在り方が教えてくれる。
月ノ美兎のチャンネル登録者数は100万人をゆうに超えていることも、彼女はもう”見つかる”なんて段階にいないことも理解している。けれど、Vtuberやにじさんじのファンが何倍にも膨れ上がった今、彼女のことを好きになれる素質があるのに出会っていない人はこの世界にいるはずだ。なんなら同じ箱の誰かのファンにだって、彼女を見逃したままの人もいるだろう。今一度、”にじさんじの委員長”ではなく”月ノ美兎”を共に目撃しないか。
人生は思うより短い、エンタメの寿命はさらに短い。いつ何時このリアルタイムの楽しさが途切れてしまうかわからない。恐怖心からではない、間違いなく今が一番楽しいからこそ届いてくれと願うのだ。V業界やにじさんじから離れてしまった人ももう一度だけでいい、今の彼女を見てくれ。いつだって最速で最高の地点で彼女は笑みを浮かべている。
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