三陽スピリッツ「国語を忘れた民族は滅びる」(その2)
昨今みなさんの感想文の中で多く見受けるのが「すごかったです」「よかったです」「わかりません」などの言葉です。話し言葉では「やばい」もありますが、これらの言葉を使った瞬間、皆さんはどういう思いを胸の中に湛えていますか?なんでもかんでも「よかった」「わかりません」「やばい」・・・この瞬間、おそらく思考は止まっていると思います。それ以上考えることが面倒くさいのでしょう。藤原氏の言葉を借りれば、「知的活動」ができていないということです。これでは想像する(創造する)力は付きようがないと思います。
果たして知的活動は、面倒くさいで片づけてしまってよいものでしょうか?煩わしいことしかないのでしょうか?例えば皆さんはこんな経験がありませんか?誰かに相談した時に、解決方法を知るより先に、まず自分の言いたいことを言葉にしてもらい、自分が何に悩んで、どんな気持ちでいたのかを整理してもらったらすっきりしたという経験です。言葉が心の形を明らかにしてくれるからこそ、冷静かつ客観的に自分を見られるようになります。言葉にできないときには感情的に行動にぶちまけてしまうことは、この裏返しなのだと思います。丁度赤ちゃんが自分を表現する手段が泣くことしかできないように。
(次回に続く)
福岡の中高一貫校で「令和の日本型教育実践校 No.1」を目指しています。サポートよろしくお願いいたします。