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【備忘録】哲学「凡人が天才になる」←「似て非なるものを抽象化する」ハイブリッド型フットボール思考とは

「ハイブリッド型フットボール」をテーマに日頃から指導していますが、
そもそもサッカーとフットサルは「似て非なるもの」であると言われています。

今日は「おうちじかん」を活かし、その根底に何があるのかを自分自身がしっかりと言葉として整理するため、また誰かの思考の整理の助けになれればと思い、書かせていただきます。
「その1」〜「その5」までありますが、「その5」が結論です。「その5」だけでも読んでください。笑


その1:そもそも「似て非なる」とは何なのか?

「似て非なるもの」の例を挙げてみます。

・ピーマンとパプリカ
抽象 ナス科トウガラシ属→野菜である
具体 色、栽培品種
米津玄師が「パプリカ」ではなく、「ピーマン」という曲にしたら子どもに人気はでなかったかもしれません。

・イルカとサメ
抽象 海の生き物
具体 肺呼吸⇄エラ呼吸
水族館のイルカショーは人気出ても、サメショーだったら子どもに人気はでなかったかもしれません

その他にも↓
・マリオとワリオ
・ジャガーとヒョウ
・イモリとヤモリ
・埴輪と土偶
・マグロとカツオ
・0ゼロとOオー
・:と;
・ビールと発泡酒

まだまだ挙げたらキリがないと思います。
一見、似ていますが、注意して見たり、深く考えたりしてみると、全く異なるものばかりです。
知識や知見が浅い人は、違いを説明できないかもしれません。しかし、深く知っている人からすれば、全く違うものであると言われるでしょう。

その2:抽象的か具体的か

その1で挙げたような「似て非なるもの」を、捉え方という視点見てみると、以下の2点が考えられます。

抽象度を上げる→似ている :同じようなもの、共通点があるもの
具体度を上げる→異なる  :全く別のもの

この抽象度具体度という2つの視点(というか尺度)を言い換えると
事象を捉える視点を画像に見立てることで「解像度」という言い方がしっくりくるかもしれません。

スーパーファミコンのマリオと、Nintendo Switchのマリオは同じマリオでも、解像度によってその姿は全く異なります。

解像度を下げて、どれだけ粗く事象を見るのか、分類するのか
解像度を上げて、どれだけ細かく事象を見るのか、分類するのか

その3:サッカーとフットサルに置き換えて考えてみる

まず、
①解像度を上げて比較してみると
・広さが違う 
  サッカー:105×68  フットサル:40×20
・ボールが違う 
  サッカー:5号級  フットサル:ローバウンド4号級
・ルールが違う 
  わかりやすいのはピッチ上の人数とアウトオブプレーの再開方法、オフサイド
  の有無、交代の制限、タイムアウト

当たり前ですが、ルールが違うので、戦略的・戦術的側面も具体化すればするほど異なります。例えば、両スポーツとも、「パワープレー」という言葉があります。フットサルのパワープレーを簡単に説明すると、「GKが自陣で何度も触れないルールを逆に利用して、相手陣地にGKを送り込む戦い方」と言えますが、一般的にサッカーで言われるパワープレーとは違います。
(これも抽象化すると「相手陣地に人とボールを多く送り込む」と言えますし、文字通り「力技」です

次に
②解像度を下げて比較してみると
・人がするスポーツ(これは極端すぎます!)
・フィールドプレーヤーは手を使ってはいけない、基本的に足でボールを蹴ることでゲームが進むスポーツ。
・決められた空間内と時間内で行われる1つのボールを使うスポーツ。
・ゴールが2つあり、ゴールキーパーが各チーム1人ずつ、双方向の攻撃方向が存在するチームスポーツ。

①と②をまとめてみると、
解像度を上げた視点(具体度up)を持っている人は「全く違う」スポーツであると見ます。
解像度を下げた視点(抽象度up)を持っている人は「スポーツという分野を分類したときには、似ている」スポーツであると考えられます

今の子どもたちがファミコンのマリオを見たときに、「こんなんマリオちゃう」というのと、
自分たち世代「懐かしい。ドットのマリオ!」と思うのと似ているかもしれません。(あえてわかりにくい例えです。マリオを使いたいだけです。)

その4:では、何が言いたいのか?(できるだけ具体的にしてください)

今までのまだまだ短い人生の中で、いろんな人と出会ってきて、いろんな本を読んで人の生き方を知って思うことですが、
「周囲に"できる"と言われる人」(これまた抽象的。)というのは、「抽象化」(解像度を下げる)が、うまいんだと思います。抽象度と具体度のコントロールをしながら話ができるので、例え話や経験談の話し方も面白い人が多い気がします。

例えば、強豪校と言われる部活動で指導されていた方々が、現在はいろんな学校で管理職になられているのも「組織をどう動かして成長させていくか」「人をいかに指導して、成長させていくか」という視点で抽象化しているから、結局同じと捉えていらっしゃるのではないかと思います(本人の意識的、無意識的は別です)。「部活動単位→学校全体」というように視野を広くするものの、今までの経験との共通点を見つけ、うまく変換して活かされているのではないでしょうか。

古くはピタゴラスやアリストテレスも哲学者であり、同時に後世に名を残す数学者であるという「できる人」(抽象化が得意)であったのでしょう。

具体性を求める思考」によって、【間違い探し】をして事象を分けることは難しくないと思います。「具体的にする」ということ自体が悪い行為でもありません。
でも、自分の指導哲学でもある「ハイブリット型フットボール」というテーマは、「抽象的な思考」を成長させることで、事象と事象の【繋がり探し】をして、何かと何かを関連づけて生きていく、その結果新しいものを生み出せる、その結果困難を乗り越える、そんな人間に将来的になってほしいという思いが根底にあります。

日本の部活動指導でよくあると思われる言葉で、「オフザピッチ(日常生活)は、オンザピッチ(試合でのプレーや非日常生活)につながっている」があります。

「別につながっていない」ということは簡単ですし、自分自身も高校時代までその思考回路でした。
でも、「あれとこれはつながっているんだな」と考えられる思考の方が、日々のポジティブな緊張感、そして、プレー中の熱量や精神的な自信につながっていくのではないかと思います。(そういった思考回路だと、失敗体験やうまくいかない時も自分の振る舞いがどうだったかという部分にベクトルが向きやすいかもしれません。)

わかりやすく英文法で言うと現在完了形的な思考です。笑(わかりにくいですね)
※過去形は、終わってしまった過去。(過去、〜だった。)
※現在完了形は、今につながっている過去。(過去があったから今がある。)

その5:何が言いたいのか?2(そろそろ締めてください)

「サッカーとフットサルは違う」
もちろん、それも正解です。

でも、これまでの短い指導経験上で【繋がり探し】ができる選手はサッカー、フットサル、どちらの練習をやっても、どっちもうまくなっていきました。しかもそれだけでなく、受け入れる器が大きくなったなと、人間的に大きく変わったなと、感じさせてくれます。そういう生徒が多いシーズンは、結果に関わらず、チームが大きく成長しました。(たぶん、高校時代にした悔しい経験もその後の人生にポジティブにつながっていくと思います。)
この「人間的に大きくなる≒大人になる」ということが、多くの高校生がスポーツ選手として伸びるために、必要なのではないかと今の自分は思っています

いよいよ結論です。

「ハイブリッド型フットボール」の指導哲学の根底は、
単に「サッカーとフットサルをつなげる」という思考ではなく、
【繋がり探し】という抽象的な視点と思考をサッカー(フットサル)を通して、身につけることで、「凡人が天才になる」「人間的に大きくなる」ための種を撒くことです。

そのために自分も「今できること」「今しかできないこと」を地道に探してやっていきます。



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