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三流三分散文:WiFiなき生活と炊飯器(1431文字)

この家にはWiFiがない。
WiFiがない生活は不便で、動画を見ることもできなければ、Instagramを見ることも億劫になる。
それに加えて昨今の画像やJavaScriptの多用された美麗なサイトも開くところから時間を取られ、肝心の本文にたどり着くまで画面端の「データ使用量 今月:2.96 GB」を睨み続けるハメになる。
ちなみに僕の制限は3.1GBのはずなので、少々まずいかもしれない。

それにつけてもWiFiがないことにはかなりの手間を強いられる。

まず電話。基本的にしない方がよろしい。しかし、WiFiがないということを知らずに来た電話には、怒るのも当代の価値観に反しているため、緑のボタンで受信する。それからまた画面端だ。
悲しいことに人と話すことに飢えている僕のような人間には、他者からの電話はありがたいもので、ついつい時間がかかってしまう。1GB。

次に音楽。Spotifyはあえなく解約し、もはや前時代的遺物となりつつある円盤を食わせて音を聞いている。映画も同様で、サブスクライブなどもってのほかだ。
しかし大きな誤算だったのは、僕にそのようなものを買うだけの大いなる余裕がない、ということである。幸いDVDはジブリ作品を十本程度、ゴッドファーザー三部作にセッション、映像の世紀とあるが、CDはHomecomingsの『MOVING DAYS』しかない。これは困ったもので、早く赤い公園あたりのCDが欲しいところだ。YouTubeに甘えて2GB。

最後に言葉。新居に移ってからInstagramやnoteを開く時間が格段に増えた。文字を書いて、消して。それに青空文庫を読もうとすれば、軽くはあるがデータ通信が必要になる。毎日の日経新聞も良くないのだろうな。古本屋に行って本を買わなければ生きていかれない。そうだ、『老人と海』の原文は……と調べて3GB。

ついでに言えば、冷蔵庫と洗濯機もない。ないないづくしは決して「Z世代の環境志向」でも「ミニマリストの卵」でもなく面倒がっているだけだ。面倒だからこそ苦痛に感じず、苦痛でないから解決しない。きっとこれはメガバンクの送金システムや自治体の窓口にも通じるところがあるのだろう。わかる。せっかくないのだから、ないこと自体をコンテンツにできないだろうか。人生を消費していく。

そうだ、ラジオを買おう。ラジオは固定資産税もかからないし、受信料も無料だ。この手の無料のいいところは、お金がかからないというところにあるのでなくて、契約などの管理や、その書類の保存という手間がないことにある。ラジオか、夢がある。

最近お皿を買った。NIPPON CRAFTという会社の引出物らしく、リサイクルショップで買ったのだ。どうせ買うなら今まで持っていないものがよかった。結果六枚入って六八〇円はなんだかよかった。紙皿を脱却できたのも、引っ越してから五日後だ。久しぶりに今日はゆったりできた。

あと二十分でお米が炊ける。床に置いた炊飯器が湯気を吐いている。梅干しでも買いに行こうか。塩分濃度が二十を超えるような、常温保存の利くものがいい。僕は生きている。僕は生きていると思うのは、なにも世界と繋がっているからじゃない、と、やっと気がつきました。生きるも死ぬも、その影響は大してないこの世界で、僕はどうして存在するのでしょう。これだよ、とは言えないけれど、二十三歳の僕が、十八歳の僕をなだめられる理由があるとしたら、それは、誰かと笑い合うことだ。

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