利他愛とはなんぞや?

大我の愛、慈悲、無償の愛、滅私など様々な言い方があります。

江原啓之氏はよく「大我の愛」と表現しています。その反対の利己心、自己愛を「小我の愛」と言ってます。「大我」と「小我」で表現できるので分かりやすいです。その他には「霊的価値観」と「物質的価値観」とも表現しています。

想像してみてください、自分の肉体は死によってなくなり、たましいだけ、もしくは心だけの存在になったら。死の恐怖もない、病気もない、お金もいらない、地位も名誉もいらない。身軽な状態を想像してみてください。自己愛がなくても生きていけますね。

たましいは死後も生き続ける

ですから主体は肉体(物質)ではなくたましい(霊体)です。つまり私たちの主体は現世である「この世」ではなく、霊界である「あの世」なのです。ですから「利他愛」である「大我の愛」が私たちの主体であると言えます。

この世に生まれる際、たましいが肉体に宿った時点で、自己愛である「小我の愛」が生まれたのです。この世で生きるには肉体を維持するために「小我の愛」が必要です。しかし、大切なのはその割合。この日本において「今だけ、金だけ、自分だけ」の人間があまりにも多くなりました。

物質界であるこの世でいかに「小我の愛」の割合を小さくして、「大我の愛」を発揮するかが、この世に生まれてきた人間に課せられたテーマなのです。実はそのテーマを持ち合わせていない人間はひとりもいないのです。残念ながら為政者が小我の愛を、存分に発揮しているのが現状でしょう。ですから、国民が自分勝手でマナーを守らない状態になりますね。

「大我の愛」は一人ひとりの人間のたましいに宿っているもので、それを発揮する人もいれば、しない人もいる。当事者会のように利他愛を発揮することは自らを助けることになる。

次回は利他愛の本質について。

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