支配と従属と共依存

「先生や親の言うことをききましょう」

儒教の影響か日本では目上の人を敬ったり、従うことを善とする文化があります。明治時代から始まった近代教育も「従順な軍人」を育てるためでした。私の時代も体育で一糸乱れぬ行進の練習を行っていました。先生や親が言っていることが、子どもながらおかしい、間違っていると思ってもよい子を演じていたのだと思います。

奴隷は奴隷を止めることを自ら望みませんでした。

支配されて育つとその支配がなくなったとき、自ら考えて行動することをしてこなかったので、何をして良いのか、どうしたら良いのか不安になります。従属する人は常に支配する人からの指示に従うだけですから責任がありません。無責任であり、依存的であり、すべてにおいて受動的になる。

国を動かしている為政者にとっても、従順な国民の方が都合が良い。「地元の有識者だから、先生を信頼している」と何の根拠もない思考を持ってもらうことが支配しやすい。知識や知恵や思考を持たず、スポーツや芸能やエンターテイメントに夢中になる人ばかりだと支配しやすい。

ヒットラーのように「悪いのはユダヤ人だ」と他民族や他国をつるし上げる為政者もレベルが低いと言えるでしょう。つるし上げる前に、どうやったらその問題を解決できるか思考して、行動するのが為政者の仕事のはず。その善悪の思考すら持たない国民が扇動されて、ヘイトスピーチを起こす。

会社内でも指示待ち人間が多いですね。でも仕方ないこと。支配の中で育ってきたのですから。ドラッカーは「社員一人ひとりが経営者的な感覚を持たないと、その会社に未来はない」と言っています。しかし、奴隷は自ら奴隷を止めないように、簡単に「支配する人間」つまり他人ではなく「支配される人間」つまり自分から脱出できないのです。

ひきこもりもDVも近親者とのトラブルも共依存がもとにあると言ってもいいでしょう。他者との距離が近すぎたためであると。つまり相手を依存させて、実は自分もその人に依存している。依存心は自己愛であると言えるのです。江原啓之氏は「家族といえど腹六分の関係性」と言っています。

私自身「そんな冷たい」と思いました。しかし、今となってはそのくらいが一番トラブルもないし、居心地が良いと感じます。もちろん、どっぷり共依存関係であるなら、そこから脱却するにはかなりの苦労が伴うでしょう。そしてカウンセリングなどに頼るのも一つの手段だと思います。

「相手を深く理解して自律と自立を促す」親亡き後を考えて、自律した子どもを育てないと、親を亡くしたとき残された子どもは、糸の切れた凧のように宙を彷徨います。ですから、お友達のような親子関係を築いたならば、親には子どもに対して利他愛がないと言えるのです。

広い視野と深い考察がないと、真実は見えません。

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