真面目な人はうつになりやすい?

よく世間一般で言われます。真面目で一生懸命な人ほど、うつになったりバーンアウトして辞めてしまう。最近の教師も熱血漢であればあるほど、自分の理想とのギャップで、気分の落ち込みを感じて休職する人がいると。モンスターペアレントも問題になっていますし、子どもに対して叱ることが許されない風潮もあるようで、教師もご苦労さまです。

国会議員も党の方針を愚直に聞いて、実践している人が重宝されて、夜の会食に参加しなかったり、自分の意見を言う人は出世できないようです。このような社会を「立場主義」と東大教授の安冨歩氏は言っています。

日本社会において慣例や慣行をぶっ壊そうとすると、抵抗勢力が勢いを増します。判子にしても、明日からトップが「無くす」と言えばなくなり、さりとて問題は起きないと予想されます。しかし、多くの会社では、未だハンコを押すことに意義やステータスを感じている。

話しを元に戻します。「真面目」の定義は何でしょうか?忍耐力があるひとでしょうか?会社のために働く人でしょうか?親孝行をする人でしょうか?常に一生懸命な人でしょうか?つまり、真面目の定義はないのです。悪い言い方をすれば、視野の狭い人と言えると思います。仕事とは、適職とは、健康とは、人生とはなどの哲学がその人に備わっていれば、柔軟に対応できるでしょう。

仕事とは人生や生活を豊かにするために行うものであって、物質界ならではの行為になります。ですから、働いて病気になるのであれば、辞めれば良いだけです。「仕事がない、この仕事じゃなきゃだめだ」という思考であれば、それは視野が狭いと言えるでしょう。最終的には生活保護制度があるのですから。

せっかく、一流会社に入ったのだから、国家公務員になれたのだからと周囲の人々のプレッシャーやプライドがうつを悪化させることもあるでしょう。それも立場主義ならではの病理と言えると思います。ひとりの人間として、その仕事が自分のやりたいことなのかどうか、見極めることが大切なのだと思います。

かといって、自分の好きなことで食べていける人は極わずかでしょう。そのバランス感覚も必要なのだと思います。基本的にお金を稼ぐということは、誰かのお役に立っていることが条件になります。他人が喜んでくれた、その対価としてお金が支払われるのですから。他者の喜びを自分の喜びに変えて、尚且つお金も頂けるなんて仕事ならやりがいも起きます。

しかし、近代化した仕事はシステムの一部として働いている状況が多くなっているのではないでしょうか?工場での流れ作業から始まり、最近では物流倉庫にてAIにルートを支持されて商品をピッキングする。本部で決めた価格の商品を並べて売る。マニュアル通りできれば良い社員として表彰される。人間としての喜びややりがいを見つけるのに苦労する仕事が多いのではないでしょうか?

陶芸家のように、土の配合から染め付け、焼き方まで自分で行い、お客さんが選んで買っていく姿まで確認できたら、自分が陶芸家として働いているという自負が育っていくのだと思います。大量生産、効率化のため、土の専門、染めの専門、焼きの専門と分かれていくことは致し方ないのかもしれませんが、お客さんとの繋がりは薄くなるし、人間を機械化してしまう仕組みだと思います。

つまりうつという病気も、この経済優先主義の社会ならではの病気であり、うつ病を克服するのであれば、人間らしさを取り戻すことが肝要であると思います。今の社会が異常であると認知して、自然の営み、霊的真理のもとで私たちは生きているのだと認識することです。

うつ病にならないためには、自分を知ること。無理をしていないか、このまま進んで良いのか、自分のたましいは喜んでいるかなど自己分析することです。それは、自分の中の神との対話とも言えます。それらをせずして、様々な小さな霊界からのメッセージを見落とすと、ヒヤリハットの原理で大きな事象として自分に起きるのです。

一番怖いことはなぁに?

「自分が見えなくなること」

内観は大切です。深い内観は理性が強くないと出来ません。理性とは利他愛。利他愛が大きくなるとは、自分を理解出来ていることになります。なぜなら、自分を理解できない人は他者を理解出来ないから。他者を理解できなければ、利他愛へは行き着けません。

他者を理解するためには、社会情勢などを知る必要があります。どのような背景で生きてきたかを深く知るためです。そうすると、スピリチュアリストはリアリストでなければならないのです。現実を地に足着けて生きている人がスピリチュアリストと言えます。



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