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【自己紹介③】その選択は納得できる生き方か

みなさん、こんにちは!中村攝太朗(せいたろう)です!

大学生は春休み真っ只中だそうですね!
高校まで続けた野球は大学進学とともに第一線からは退き、
サークルでお遊び程度に楽しんでいました。

理由としては、
高校までで完全燃焼したと感じていた
体の限界(利き腕の肘の靭帯が伸びまくってます)
技術・体力面で進学先のレベルについていけないと感じた
(立命館大学という関西の学校で、毎年一人ぐらいはプロに行きます)
でも野球は好きだから楽しくできればいい と思っていたからです。

(※僕にとって野球は苦しい、嫌な思い出が圧倒的に多いため、そういった内容が苦手な方は、これより下を読むのはお勧めしません(笑))


中学校ではかなりレベルの高い野球をさせて頂いてました。

それから高校に進学し、野球部に入って、自分が小さい頃から思い描いていた高校球児になるべく、日々精進しました。

後から振り返ると、もっと頑張れたたな、とは思います。
ただ、その野球部内では一番多く走ったし、人の3倍4倍はバットを振ったし、オフシーズンが終わっても筋トレも毎日継続していました!


恐怖の独裁政権

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野球部の監督は進路指導と生活指導を任されて、体育教諭の主任?でした。
立場的には教頭の次ぐらいでしょうか。
実質、教育現場では生徒・他の先生に対して一番の権力者でした。


典型的な独裁体制で、口答えする先生は学校内で干され、生徒のあいだでも噂になります。
ちなみに、監督は生徒の前で対象の先生の悪口を普通に言います(笑)
そりゃ誰も口答えできないし、生徒も推薦貰いたいし反抗できません。


ただ、その監督は、野球経験がありませんでした。

テニス経験者でソフトテニス部を国体出場、
ハンドボール部でも国体出場、
サッカー部では選手権出場に導きました。

その経緯から野球でも監督を任されるようになったのでしょうか。


先の記事でも書かせていただきましたが、
ぼくは監督などの強く裁量権を持つ指導者に嫌われる天才です!

よく干されます(笑)
高校では2年半干され続けました(笑)


評価の基準は明確か

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「結果(数字)ではなく好き嫌いで人を評価をすれば、そのチームの機能は鈍化する!」
それは、10年間の団体競技を通じて得た価値観です。

学生スポーツは好き嫌いでの選手起用が顕著に感じます!
・「昭和的」な上下関係から生まれる、監督の絶対性
・高校野球はプロ野球とは違い「教育」の一環で、
監督起用法やチーム運営の機能を持つ部門がなく、
その監督の選手起用法に異を唱える人が学校内部からは出にくい
などの理由が挙げられるからでしょう。

野球だけの話だけではなく、
あらゆる組織で起こりうる事象だとは思います。


ぼくがいた野球部の監督がとる選手起用法もそうでした。



好き嫌いの選手起用法なので、どれだけ結果を出しても変わりません。


頑張る理由

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まともに評価してもらえない悔しさから人一倍、二倍練習しましたが、
結果を出してもいつもと変わらずチーム編成の際は構想外。

それが一番辛かったです。


心はとうに折れていました(笑)


何のために頑張っているのか、分からなくなりました。


小さい頃にテレビや球場でみた姿に自分を映した、
広い球場のたったワンプレーで多くの観客を沸かせるような「高校球児」になれないことは、途中からうすうす気づいていました。


試合に出られないなら、それ以上に上手くなる必要はありません。
練習をすればするほど、費用対効果は悪化します(笑)

途中で辞めようと思ったことは数えきれないほどありました。

でも、きっと、
誰に言われても自主練習はやめなかったでしょう。


高校3年生の夏までの18年間、人生の大半を野球に捧げました。

野球をやったこともない人(監督)に、自分の野球人生を終わらさせることは、絶対に許せませんでした。


自分の野球人生は多くの犠牲の上に成り立っていました。

ぼくには姉と妹がいましたが、
中村家は僕の野球を中心に回っていました。

姉も妹も、ぼくの野球のために振り回さていたのに、僕が聞こえるところでは文句ひとつ言いませんでした。

直接言葉で応援されることはありませんでしたが、
ぼくの活躍を陰ながら見守ってくれてさえ、いたように感じます。

ぼくが途中で諦めてしまったら、中村家の18年間がその監督によって否定されてしまう気がしました。


自分が理想とする野球選手になるために頑張ることはできなかったですが、
ぼくは最後は家族への感謝の思いだけで野球を続けました。


「継続は力なり」がモットー

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ただ、この経験はぼくの人生だから起きたことだとは思っていません。

野球が違うものに置き換わったり、
対人関係がうまくいかないことが他のことに置き換わったり、
自分の意志でやっていることだったとしても、諦めてしまいたくなったりする。

そんな葛藤を抱くことがあるかも知れません。


葛藤を抱いたときにとる行動が、その人の「生き方」だと思っています。


人は1日に5千回もの「選択」をしているらしいです。
80年生きるとします。
自分で物事の判断がつくようになったのが10歳だったとしましょう。
亡くなるまでの70年間はっきり意識があったとします。
少なくとも17回うるう年が来ます。
366日×17年=6,222日
365日×53年=19,345日
合計 25,567日
25,567日×5000回=127,835,000回

「やめる」「やめない」は 1回/1億2783万5千回 の選択にすぎません。


ただ、「選択」にはその人の生き方が表れます。

人生は選択の連続です。

一時の気分や感情、自分の気持ちだけで判断するのも人の勝手ですが、
どんな生き方をしたいか、から判断できるか。

葛藤した時ほど、その選択をするのは、自分の生き方として納得できるか。
一度立ち止まって考えることが大事だと感じます。

それを気づかせてくれたのが10年間の継続でした。


「継続」だけで終わった野球だったとしても

10年間「継続」だけで終わったとしても



「継続は力なり」

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