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まつ毛と羞恥心

電車は公共交通機関の代表ともいえる
乗り物であり、公共というだけあって
電車はプライベートスペースではないし
迷惑が掛からねば何をしても良い
というところでもない。と思ってる。

公共という言葉の意味を擦り合わせても

公共(こうきょう)とは、私 (private) や個 (individual) に対置される概念

あるので、私的とはは遠いものとなる。

電車に乗ってると、たまに出くわす
電車内が公共お化粧室になるメイク女子。

今日も目の前に現れた。
コロナのおかげか、顔が半分隠れている状態で
電車内でフルメイクする人は
最近はそこまで出没率が高くなかったので
まだいたか!と少し驚いた。

さらに驚いたのは
若い女性ではなかったことだ。

私の中で公共の場所で
恥ずかしげもなく大胆に己に集中できるのは
羞恥心というものが備わってない
子供の心を持った人だと思ってたのだが

まさか自分よりうんと年が上であろう女性が
たったまま、5駅の間ずっとマスカラブラシを
入れたり出したりして
シュコシュコ音を立てながら
自分のまつ毛に塗りたくってる姿を
見るとは思いもよらなかったからだ。

さらに驚いたのは
どんなに揺れてもフラつかず
マスカラを塗り続けていたことだ。


すげぇ体幹だな。
私は彼女の体幹が気になって仕方なかった。
が、フワッとしたチュニックとも言える
腹回りを隠したスタイルで
体幹を目視することはできなかった。


わたしはこの女性をみながら
幼い頃から母に言われた言葉を
思い出していた。

一時が万事。

取り繕っても普段の言動が、
ふとした時に無意識に出ると。


私はこの女性、
きっと今、まつ毛をマスカラで強固に
濃くして見た目を整えてあるけど
このマスカラの独特な匂いを
公共交通機関に撒き散らかしてることに
気づかないんだろうな

ということは
普段からもきっと周りに配慮ができなかったり
何かトラブルがあっても
自分を振り返ることはないんだろうな
そんなことを妄想したりした。

たった5駅のまつ毛に起きたドラマではあるが
私の中にいろんなことを思い起こさせた。


羞恥心って
人を美しく見せる大切な感覚なのかも。
恥ずかしいっていう気持ちは
他人と共存する上でも
かなり重要な感情なのかも。


そんなことを電車の中で揺られながら
思ったりした。

あ、ちょうど新宿についた。

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