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よかれの暴力

いい人とめんどくさい人

同じことをしているのに
どこからか明らかな境界線ができるのは
なぜだろうか?


よかれの範疇が異なるからでは?
とおもったりもした。


どこのコミュニティにでもいる
いろんな情報をシェアしてくれる人。
有益なものからそうでないものまで。


これいいから使ってみて!
これすごくいいから今度行きましょう!
この人すごくいい人だから紹介します!


いい人とめんどくさい人。
やってること言ってることは同じなのに。


どこから境界線なのやら?



シェアした後は
その人の選択や決断を
尊重して見守ってくれる人


と、


使ってみた??
使ってどうだった??
今なら半額だけど買う?


とか


行ってみた?
今日までだから絶対行きなよ!
いったら感想聞かせてね!


とか


シェアするまではいいが
その後の人の人の選択まで
コントロールしようとすると
急にめんどくささがフルスロットル。


情報は与えるだけで
あとはその人が決めれば良いこと
と私は思う。



実際にそれを使うかどうかとか
そういうのは越権行為だと私は思う。


私も情報は割といろんな人に
シェアをするタイプではあるが
渡すだけでそれ以上は踏み込まない。


先日あるクーポンをいただいて
それを使うまで見張られると言う事件が起きた。


使う使わないは私が決めるし


非常にこう言う人はめんどくさい。
そして「よかれ」で動いているので
一ミリも自分が間違っていることや
相手にうざがられていることには気づいてない。


なんなら感謝すらされると思っている。


感謝されないと
非常識な人!なんて逆に
罵られたりすることもある。


感謝ってのは
するものではなく湧いてくるものであって
もしありがとう、と思うなら
自然とその言葉は出るだろう。


感謝されないと言うことは
そう言うことなのだ。


よかれって過ぎると暴力にもなるよな。


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