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思春期の時に私を支えていたもの

これと言って飛び抜けて何か目立つものがある!
そんな子供ではなかった。


ちびっこの時に比較されがちな
運動は全くできなかったし
勉強も飛び抜けてできたってほどでもないし
みんなに好かれる良い子でもなかったし
先生に好かれる子供でもなかった。


ただ、個性がはっきりしていて
自分の意見がちゃんとあって
集団行動には全く向いてない子供だった
というのは、今私が振り返ってもよくわかる。


本は好きだったが
あれこれと読む、というよりも
偏食で好きなものばかりを読むと言った子供だったし
図画工作の時間も言われたものを書いたり
言われたものを作ることは皆無だったので
仕上がりは良くても成績が悪かったりした。


そんな私だから成人を迎えるまで
自分の持ってるもの、感じたことは
おざなりにしたくないのに
周囲からは全く受け入れてもらえないから
とにかく自分を抑えることしかできなくて
自分の中ではいつも衝突や葛藤が起きて
不安定な私がいたのだ。


そうしているとどんどん性格は卑屈になって
捻じ曲がっていき、全く人と馴染めない思春期を形成した。


そんな私だったが
一つだけ周囲からも受け入れてもらえて
賞賛してもらえることがあった。


歌だ。


歌手になるなんていうそんな大それたことは
自分のビジュアルの具合もしっかりわかっていたので
考えたことはないが
ただ、歌を歌うとどこに行っても褒められた。


子供の頃は親戚が集まると
偽のマイクを持たされて
その時の流行の歌を歌わされ

よくわからないけど
拍手とテッシュに包まれたおひねりをもらえたし


学校で音楽の時間でも
一人だけ声が大きかったので
見本にされることも多かった。


カラオケというものが
世の中でブームになり始めた頃は
大人たちにカラオケボックスに連れて行かれて
歌わされ


お父さんに連れられて行ったスナックでは
全く意味のわからない感情移入できない
ムード歌謡を歌っては喜ばれた。


思春期になり数少ない友人を経て
私の歌が聞きたいと
ほぼ接点のない人たちからも
カラオケに誘われることも少なくなかった。


期間限定で
ボーカルが欠員したバンドの代理を務めることもあった。


そんな感じで
知らないけど私は歌を歌うとその時だけ
社会で認められた感じになって
その時だけ存在してもいいような
そんな気持ちになれた。


自己肯定の一つだったと思う。


唯一と言ってもいいほどの
自分の中での肯定できるものだったものなのに
ここ最近歌を歌っても
なんだか音が外れてしまうし
声もそんなに出ない。


思った以上に自分がショックを受けていることを感じて
なんでだろう?と思い返した時に
冒頭に書いたようなことを思い出したのだ。


人と仲良くできなかった私が
歌を通すと人が寄ってきたり
普段話せない人と話せたりした。


若い頃の私にしたら
随分と強力な武器だったのに
それが全くもって役に立ちそうにない。


しかしその時はそうだったかもしれないが
今は違う。
別に歌がなくても私は人と繋がれるし
人と仲良く話すことだってできる。


いうても歌を選べば
まだそんなに下手ではない。


無意識で自分の中にある
いろんな当たり前や、過去の私が
私の感情を揺さぶってくるが
その都度アップデートしなければ
古いままの価値観で自分がずれたりぶれたりもする。


そう、私は歌をいま上手く歌えなくても
社会の一員として存在できるし
人と仲良くできる私なのだ。


うん、でもやっぱり歌ってて
音を外すのは気色が悪いので
時々歌って喉を鍛えることにする。

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