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何度も何度も同じことを繰り返してしまう

生きていて、これは乗り越えなきゃねっ
ていう試練(ドリル)は
逃げても逃げても形を変えてやってくる。




自分にとって重大なことだと
どんどんわかりやすく、つまり
状況が悪化したり、動かざるを得なくなったり
ものすごくわかりやすいエマージェンシーでやってくる
ってのを私は経験した。



いろんな考え方があると思うけど
私は「おのせしぼん」というソフトを選んで
何かしらの「学び」を得るために
この世に生まれ落ちてきてるっていう認識。



なので、ドリルが終わらないと
おのせしぼんを多分また来世でも
やらないといけないと何となく思ってて
いつの頃からか、目の前の苦しいことや
辛いことから逃げることをやめた。



というか逃げれないのだな、
いつかやらないけんのだな、
夏休みの宿題みたいに
怒られたら終わりじゃないんだな
(宿題は7月に全部終わらせる子供だったけど)
と観念して、さっさと向き合って
さっさと成仏させることを優先している。



苦しいって思った時や
辛いって思った時は
ドリルレベルが上がってる時なので
辛くて当然だし
苦しくて当然。


感情がそこに伴うともっとややこしいことになって
冷静な判断や選択ができなくなるから
感情は感じ切って大人しくさせるのがベスト。


人生はドリルだとしたら
過去の辛くて悲しい経験から
何を「学んだ」か?成果をはっきりと
私の中で認識できないと
ただの事故でしかない。
しかも被害者のまま。
ずっと過去に縛られて囚われたまま。



そしてその「学び」がいつまで経っても
腹に落ちないと
ほんとに何度も何度も同じことが起きて
もっと酷い状況になって
もっと痛くて辛い状況になって
これでもかっこれでもまだわからんのかっっ
って魂が戸塚ヨットスクールに
変わっていっちゃう。



で、私は思った。



私がいつまでも
気づかないから、ドリル終わらせないから
何度もやってくるんだ。と



逃げているから


はよやれ!はよやれ!
って鬼教官(自分)が

その状況できづかないの?
じゃ、これはどう?
えっ気づかないの?
さらにひどくしちゃおう!
もっと辛くしちゃおう!



ってあの手この手で
わたしに「気づく」ように
促してくる。(と思ってる)

優しくするんじゃなくて
ひどくするところが
鬼教官。


ぺちって叩かれて何も気づかないから
今度はゲンコツ。

それでも気づかないなら
ハリセン。

それでも気づかないなら
ハンマー。

それでも、それでも。。。

そうやって状況はどんどんひどくなる。



じゃぁさ。



痛くもない苦しくもない状況でも
同じ「学び」が得られるのなら
さっさと学びを終えて次に進んだ方が良いじゃないか?
ぺちの時に、しっかり学べたら
いいんじゃないか?


とおもって
私は状況がひどくなる前に
さっさと自分や出来事と向き合って
学びを得ることを選んだ。



そしたらすんごく生きやすくなった。


でもちょっとしたサインに気づかなきゃなので
ものすごく意識を研ぎ澄まして
今何が起きてるのか?を
クンクン嗅ぎ分ける必要があるけど。


ぼーっと生きて入られない。





つまづいて苦しくて
何かしら如何にもこうにも
四面楚歌の場合って



向き合うことが違ってたり
学びや気づくことが違ってたり
自分の向かう先とは別のところだと思っている。
要するに独りよがり。
自己解釈。勘違い。



だから。
逃げてもどうにもならんから、
蓋してもなくならんのだから
さっさと観念して
向き合った方がいいよ。って話。


ただ、私も全く逃げないわけではない。
私の場合は逃げるのではなく
保留。

あとで自分がバージョンアップした時に
ちゃんと取り組むという確約は必ずしていて
完全に逃げるということはしてない。


一時避難はありだと思う。


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