眼球にくちづけを。中野視点8話

その後、私は転校先の盲学校に通い、卒業した。
高校在学中はドナーの適合があわず、手術をすることはなかった。
でも、正直手術なんてどうでもよかった。
高校を卒業して、盲学校の職員として働かせてもらった。
なかなか普通の会社で働くのは難しいと思っていたし、
働かずに家にいてもいいと親には言われたが、
何かをしていないと、暇に耐えられなかったのだ。
転校しても音楽を聴くのは辞めなかった。純粋に好きになった事と、
彼との思い出が詰まった音楽を捨てきる事は
私にはどうしてもできなかった。
彼の中に思い出として残ってほしいと願ったはずなのに、
私の心に彼が残ってしまった。
でも、もう会うこともない。
私の中の記憶として残ってくれればそれで充分なのだと。
そして、彼が私を恨んでいるのなら一生背負っていく覚悟もある。
転校以降、私はその覚悟をもって生きている。
あれ以来、一度も泣いていない。
そうこうしているうちに2年の歳月が過ぎたころ、
ようやくドナーの適合があって、手術を受けることになった。
成功率は当時聞いていた、20%から数%にまで落ちていた。
もう手術は受けなくていいと、親に打診をした。
目の見えない生活にも慣れてたし、世界は狭くなったような気もするが、
目が見えない分、広くなったような気もする。
こんな私に対して、お付き合いを申し込んでくれた健常者の方もいたが、
全て丁重にお断りをした。もう彼の事を思ってないといえば嘘になるが、
それでも彼より幸せになってはいけないと思った。
それが私が出来る唯一の贖罪なのだ。
ただ、親からは可能性があるのなら手術は受けてほしいと
何度も説得をされた。手術費もタダではない。莫大な費用だ。
そんな迷惑をかけるくらいなら、
この先目が見えなくてもいいというのが本音だ。
ある日、母から
「お金の事なんて、どうでもいいの。可能性があるならやってみたいのよ。   
 これはパパとママのエゴなんだけど。」
と言われたので、受ける決意をした。
入院先に着き手続きを済ませるとその日から入院する事になった。
なんでも手術をするために検査入院が必要とのことだ。
まぁ、もう目が見えなくても生きていける自信もあったし、
気楽に受けようという気概でいた。
担当の先生から、いろいろ質問と検査を受けた。
それ以外は、特にすることもなく暇だ。
病室も個室らしく、誰の話声も聞こえない。
看護師も担当制らしく、私の中では珍しい男性の方が担当になった。
普通、患者が女性だったら女性じゃね?とも思ったが、
そんなことどうでもよくなった。手術が成功しようがしまいが、
入院→手術→経過観察→退院まで、約2か月もかかるらしい。
することもないので、音楽を聴いて1日目を過ごした。
次の日も音楽を聴いて過ごそうかと思っていたが、
看護師の方が話しかけてきた。と言っても、
治療以外で患者に触れるのはご法度らしく、
私が気づくまで布団を揺らしていたようだ。
せっかく、大好きな音楽を聴いていたのに邪魔しよって。
「なんですか?」
「中野さん、音楽何聞きはるんですか。」
「あなたに関係ありますか。」
「冷たいなー。これから2か月、中野さんの担当をするので、
 今のうちから仲良くなりたいんですよ。」
そうか、目が見えなくて1日中の暇を弄ぶから、担当制なのか。
患者が暇な時の話し相手もしてくれるというわけか。
「私が聴くのはもっぱらロックバンドの音楽ばっかりですよ。
 知っていると思いますが、私は後天性の病気で最初は目が見えてたから、
 その時にロックバンドを知ったんですよ。」
「そうなんですね、誰かに勧められたんですか?」
なんだこいつは、ズケズケと聞いてくるな。まぁ、いいや。
「2か月間、担当していただけるんですよね。だったら、
 2か月かけて、私の話を聞いてもらっていいですか?」
余りに暇だったので、それこそ生まれてきた時からの事を、
全て話してやろうと思った。
別に名前も知らない看護師に言っても問題はないだろう。
検査入院の3週間の間に、私は中学校までの話をした。
もちろん病気になって腐っていた事も含めて。
担当看護師はなかなか話を聞くのが上手い。相槌の打ち方も的確だ。
そして、手術を行った。するからには成功してほしいが
期待をし過ぎて失敗されるとショックが大きいので、期待はしなかった。
全身麻酔から目が覚めた時、担当看護師から、
「おめでとうございます。
 移植手術は無事成功いたしました。
 ご両親は、今日一緒に病室に泊まる申請を出しまして、
 着替えを取りに帰ってます。本当におめでとうございます。」
と、泣いていた。え?会って3週間しか経ってないのによう泣けるなと、
笑ってしまった。
その後、親が病室に入ってきて、私が起きているを見て抱きしめてきた。
「もう子供じゃないんだから、恥ずかしいよ。」
そう言って、離れようとするが離れてくれない。
しかも両親ともにめちゃくちゃ泣いてる。
成功したといってもどこまで見えるようになっているかは、
私が実際に見てみないとわからないそうだ。
全身麻酔を打って、
移植手術した後に光を当てると瞳孔の収縮運動が見られたため、
成功したという判断にらしい。
知識のない私からするとなかなかいい加減な判断だと思ったが、
医者が言うことだからまず間違いないんだろう。
その日は目が見えるようになったら何をしようかという話を
親としながら一緒に過ごした。次の日からは経過観察が5週間あるらしい。すぐに包帯をとって見えるか確認したかったのに、駄目との事。
全く機能していなかった私の目の周りの筋肉などを慣らし、
移植した目を私に順応させないといけないらしい。
結局手術が終わっても暇だったので、担当看護師との会話が続いた。
「手術前にどこまで話しましたっけ。」
「中学時代までですよ。でも高校時代は、
 近くの盲学校に通われてたんですよね。」
「いや、7月までは市内の高校に通ってたんですよ。
 私のこれからの人生の中でも一番大切な4か月間を過ごしたんです。」
「それは、すごく興味がありますね。」
「涙なしには聞かれへん内容ですよ?」
「仕事に支障が出ない程度で泣きます。」
泣くんかい。なんだか、声のトーンとかが聞いていて安心する。
看護師の仕事も多岐に渡って大変なんだなと思った。
それから3週間ほどで私の一番大切な時間の話をした。
担当看護師はまぁまぁ泣いていて、その都度突っ込んでしまった。
人生で一番特別な期間の話をし終えた日、
「私は彼にいっぱい酷いことをしたの。
 彼からいっぱい思い出をもらって、
 彼からたくさんの事をしてもらったのに、
 何も返すことなく、突然彼の前から消えたの。」
いつもは黙って聞いて相槌を打ってくれていた看護士が、
「それは酷いですね。」
とだけ言った。
「私の事、軽蔑しますか?」
と聞くと、彼はしばらく黙っていたが、
「いえ、しません。たぶん彼も最初は恨んだかもしれませんが、
 それでも彼の中にも強烈なインパクトとして
 中野さんとの思い出は残っていると思いますし、
 意外と今でも想っているかもしれないですね。
 私が酷いといったのは、その彼を信用して、
 病気の事を話さなかったことです。」
「話して離れていったら、私は耐えられなかったの。」
「それが信用してないという事では?」
いちいち的確に急所を突いてくる看護師に腹が立った。
「あなたに何がわかるんですか。
 私と同じ病気になった事があるんですか!?」
思わず声を荒げてしまった。
「申し訳ございません、少し言い過ぎてしまいましたね。
 でも、それだけ言うって事は今でも彼の事が好きなんですね。」
そういわれた瞬間、枯れていたはずの涙が溢れてくる。
「好きに決まってるやん!本当は離れたくもなかった!
 彼のやさしさを独り占めしたかった!私だけを見ていてほしかった!
 でももう5年も会ってない。
 絶対私の事なんて忘れて違う人と仲良くしてる、、、」
思いの丈が溢れてくる。もう泣かないと決意したはずなのに、
涙が溢れてくる。
「会いたいよ、真田君に会いたい。めちゃくちゃ嫌われててもいいから、   
 死ぬほど罵倒されてもいいから、一度だけでいいから、、、」
「そうですか。」
という看護師の声が震えてるのがわかる。
なんでこの人はすぐ泣くんだろう。
「包帯が濡れて、目元がかぶれるかもしれませんので、
 涙が止まったら、ガーゼと包帯変えましょうね。」
と言われた。今自分が話したことを思い出して急に恥ずかしくなった。
「ごめんなさい、急に子供みたいに泣き出して。」
「いえいえ、中野さんの本心が聞けて良かったです。」
心からそう言ってくれているのがわかる。
名前も知らないが彼は良い看護師だ。

余計打ち解けた看護師とべらべら話しているうちに、
包帯を外して、目が見えるか確認する日がきた。
親は仕事をしているがわざわざ休んで病院まで来てくれた。
「今日、いよいよですね。意気込みをどうぞ。」
看護師がチョけたことを言ってくる。
「この日の為に、全てを犠牲にしてきました。
 絶対成功させたいと思います。」
と、答えてあげた。
「中野さんがいうと、意味が重すぎますね。」
と看護師は笑った。
「今日はいい天気ですよ。5月の風も気持ちいい。」
そう言って窓を開けてくれた。風が春のにおいを届けてくれる。

両親が到着し、担当医が来て、再度、完全に治っているかは
私が見てからじゃないと判断がつかないと説明された。
見えない期間が長くて後遺症がある可能性の事も話された。
そんなことはどうでもよかった。
5年ぶりに親の顔を見て見たかった。
とりあえず、2か月間付き合ってくれた看護師の顔をみて、
私の本音を聞いてくれた事のお礼を言いたかった。
「それでは、包帯を外します。
 目は閉じていて、先生が良いというまで開けないでくださいね。」
と、看護師が言った。あれ?こういうのは担当医が
やるもんじゃないのと考えているとスルスルと解かれていく。
「最後まで、私の名前を聞かなかったですね。」
と、小声で言われた。
「中野さん、それでは目を開けてみてください。」
ゆっくり目をあけていくと、とにかくまぶしかった。
5年間光を見ることができなかった目は最初、光に慣れなかった。
洞窟にいる蝙蝠みたいだ。それでも時間をかけて人の輪郭が見えてきた。
遠くで白衣を着て一人立っているのが担当医だろう。
2人寄り添っているのは両親だろう。
という事は、私のすぐ近くにいるのが包帯を外してくれたかんご、、
脳が完全にフリーズした。看護師と目が合っている。
ぼやけた輪郭がはっきりとして人の顔を認識した時、
私の眼から大粒の涙がこぼれ出した。担当医が遠くで、
「無事、人の顔が見えてますね、手術は大成功ですね。」
と言っている。両親は私と同じくらい大号泣して先生に
何度もありがとうございますと言っているのが聞こえる。
「中野さん、手術は大成功のようですね。」
といった看護師も泣いている。
「どうして、どうして真田君がここにいるの。」
私は声にならない声で話しかけている。
「それは僕が中野さんの担当看護師だからですよ。
 でも本当に良かった。」
真田君も私と同じくらい泣いている。
状況の把握ができていないうちに両親が私のもとに来て抱いてくれた。
その温かさと、両親の顔をもう一度見ることができて、
さらに泣いてしまった。
「おめでとうございます。おめでとうございます。」
と、何度も真田君は私の親に言っている。
父が真田君と握手をしている。
全く意味が分からないまま、暫くみんなで泣いていた。
「え?いつから真田君がいるの?」
「中野さんが、入院した日からだよ。ずっと喋ってたやん。」
「なんで言ってくれなかったの?」
「聞かれなかったからだよ。」
そんなの反則だ。私は真田君じゃないと思って、、、
最初から?私がしたことをすべて本人に話してきたって事。
最悪や、、、
「声バレするかと思ったけど、意外とバレなくてよかったよ。」
笑いながら真田君は私を見ている。
今、両親は親戚中に手術が成功したことを
電話をしまくっていて病室にいるのは2人だ。
どうしても言わないといけない事がある。涙が止まらない、
それでも言わないと。
「真田君、その、本当にごめんなさい。私は真田君の事、利用してたの。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。」
どれだけ罵られようが蔑まれようが、とにかく謝るしかなかった。
「中野さん、ちょっといいかな。僕は君が思っているほど、怒ってないし
 最後に会ったあの日、言った想いは今でも継続してるよ。
 そりゃ、最初は途方に暮れたし憤りも感じたけど、
 中野さんに降りかかった不幸や抱え込んだものに比べたら
 大したもんじゃなかったよ。病室で僕が言った事覚えてるかな?
 信用して、話してほしかった。今回の手術が上手くいかなくても
 僕は一生君の眼になるつもりやったで。」
彼が話している間もずっと涙が出て止まらなかった。
こんなぐちゃぐちゃの顔を見せれないので、布団を顔に押し当てていた。
「ご両親も来ているから、今日はいっぱい親と話して。
 また二人で話せるときに、今度は僕のあの日からの
 5年間の話を聞いてくれるかな。今度は突然消えるのは無しな。」
と笑いながら真田君に言われた。
聞きたい。真田君の事を知りたい。
その気持ちだけで私は頷いた。

真田視点7話:眼球にくちづけを。真田視点7話|宇吉 (note.com)

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