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日記: 突然の終わりで気づくこと

ここのところ日記を書けてなかったので、その間に学んだことをまとめて書こうかな。


過去の記事をチェックしてみると、2021年10月から書いてないから、3ヶ月以上経ったってことだ。

その間、私が学んだことは、「人っていろいろな定義に支配されてる」ってこと。


おかげさまで、いろいろな「最後」を体験したから、その定義という重荷からも解放された感じがしてる。


ひとつの大きな「最後」は、


「子供たちが揃うクリスマス」


何かがふとよぎるってことない?

私はたまにある。ふとよぎったことって、結構当たるから割と覚えてることが多い。そういうのって、虫の知らせって言うのかな。

今回もふと、「あ〜これが我が家の最後のクリスマス会だな」って感じた。


だから久しぶりに子供たちが小さかった頃に作ってたりんごケーキを作ったり、子供たちが好きなハンバーグとかスープとかいろいろ作って、みんなで食べた。

これが本当に最後か?と言ったら、それは違うかもしれないけど、最後だから丁寧に過ごそうと思うことで、今までと違ったものが見えてくる気がする。


例えば・・・

言ってみたら、定義ってやつかもしれない。

アメリカ留学時代の刷り込みと日本の商業的な売り込みのせいで、クリスマスは好きな人だったり、家族と過ごすものという定義が出来上がってた。私の中で。


それがお亡くなりになりました。


私はキリスト教信者ではないので、イエス・キリストの誕生を祝うわけでもないし、家族との集いを大事にするのは、常日頃やってて後悔ないようにしてるつもりだし・・・

そうやって考えると、クリスマスにわざわざやる必要もないのかって思ったりした。


ということで、来年からは、お正月と混ぜて、1年間お疲れさまでした。そして、来年はどんなことして遊ぼうか?と各自の抱負を聞くのも楽しくていいのかな。

だから、年末年始のどこかで会えればいいやというところに落ち着いた。


こうやって考えると、思い込みってたくさんある。

その思い込みが自分の大事にしていることと同じであれば問題はないのだけど、自分が大事にしたいこととずれていたら?って考えると、とっても勿体無いことに労力を費やすことになってしまう。


私はお祝い事をするより、集うとか、子供たちの心を知ることのほうが大事なので、そこはズレないようにさせていきたいな。これからも。


そうやって考えると、誕生日もそうだよね。

今までお疲れさま、そして、これからの人生どうしますか?って聞く日にしようかな。

となると、クリスマスより、お正月よりも大事な日ってことになる。私にとって。


これからは、大事にお誕生日を祝おう。私の好きな人たちのために、そして、自分自身の心の満足のために。



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