わかり合えない母娘が直面する“普通”の生活『娘について』 #447
「安」という漢字は、「女性が家の中で平穏に暮らしていることを指す」と聞いたことがあります。「安らか」を広辞苑でひいてみると、「①おだやかで無事なさま。安穏 ②ゆったりとして気楽なさま」と出てくるので、そうなのかなと思っていたのですが。
漢和辞典をひいてみると、ちょっと違いました。
ウ冠は、祖先の霊を祭る廟(みたまや)の建物のことで、その中に女性が座っている形が「安」なのだそう。嫁いで来た新婦が廟にお参りする儀式を意味する漢字なのでした。
「家」にいて、女は「安らか」だったのかしら。
次の世代に「家」を受け渡す役割まで背負ってしまった女は、「平穏な暮らし」を手に入れられたのかしら。
キム・ヘジンさんの小説『娘について』を読みながら、主人公にとっての安らぎについて想いをはせていました。
<あらすじ>
介護施設で働きながら、ひとりで暮らす初老の女性。家を追い出されてしまった娘を仕方なく受け入れることにしますが、娘には同性の同居人がいました。おまけに勤め先の大学でも問題を起こしているよう。自身がひとりで介護してきたジェンは認知症の症状が進み、別の施設に送られることになってしまい……。
小説を読んでいて、身近な誰かの顔を思い浮かべてしまうことってありませんか? もしくは俳優など、「この人がこの役を演じたらこうなるだろうなー」と思いながら読む。そんな時間も好きなんですよね。
『娘について』の主人公は、ドラマ「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」でジナのママを演じているキル・ヘヨンさんを当てながら読みました。
(画像は韓流ドラマ・韓国タレント情報館より)
ドラマを観ていない人にはよく分からないたとえですよね。もしくは冬彦ママでもいいです。
(画像はLuupyより)
よけい分からない? 気にしないで先に進みましょう。とにかくゴリゴリに保守的なママなんです。
私は善い人間だ。
生涯にわたって、そうあろうと努力してきた。善い娘。善い兄弟。善い妻。善い親。善い隣人。そしてずっと昔は善い先生。
仕事を辞め、育児に専念し、娘を大学にやり、大学院にやり、してきたのに。娘は「流れ仕事」のような不安定な職業である非常勤講師。おまけにパートナーに選んだのは女性。彼女にとっては、とうてい受け入れられない現実なのです。
見ざる・言わざる・聞かざるで人生を生きてきた主人公ですが、介護施設で面倒をみることになったジェンに、自分の近い将来をみてからモヤモヤが急速度で発酵していきます。
ジェンは若い頃、世界をまたにかけて活躍した活動家らしく、恵まれない子どもたちに金銭的な支援をしたりもしていました。入所の話を聞いたメディアから取材がくるくらいの人物。ですが、いまは汚物を垂れ流し、同じ話を繰り返すだけ状態で、身寄りもなく、見舞いの人もいない。
主人公は今後も「善い人間」であり続けようとするのか。娘との和解は叶うのか。心安らかに生きることはできるのか。
キム・ヘジンさんの本はこれが初めてだったのですが、場面の展開がスルッとしているので、自分がいま現実にいるのか、回想の中にいるのか、足下が何度もみえなくなりました。ハラハラする展開、というよりは、深く深く沈み込むような一冊です。
「私の育て方が悪かったんですよね」
世間体がすべての主人公にとって、この考えは言い訳であり、逃げといえるものです。老い、LGBTQ、就職、家賃と、韓国が現在抱える社会問題を一身に引き受けたような主人公。彼女が繰り返し語る「普通」に、心に刃をあてられたような気がしました。
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