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沼へようこそ 『美しい万年筆のインク事典』 #471

子どもの頃に満たされなかった欲求は、大人になって何かにハマる原因になるように思います。自分のお金で思う存分味わえるという満足感に、墜ちてしまう。

わたしの場合、最初はたぶん「生クリームのケーキ」でした。

小学生の頃までは、お盆やお正月のお休みに、父の実家がある福井の山奥に行っていました。その際、母はいつも「生クリームの一番大きいケーキ」を手土産にしていたんです。長いときなら2週間くらい泊まるのに、わたしたちきょうだいは、そのケーキを食べたことがありませんでした。

ある時、見ちゃったんですよね。伯母と従姉が、キッチンでケーキを食べているところを。

わたしたちきょうだいが戻ってくる前にと急いでいたようで、立ったままホールケーキにフォークを突っ込んでいました。

母が「生クリームの一番大きいケーキ」を用意する理由は、伯母が好きだったからです。

そして、その町にはケーキ屋さんがなかった。

当時、我が家でもケーキを食べることはほとんどなく、クリスマスに親戚のおじいちゃんが「バタークリームのケーキ」を買ってきてくれるくらいでした。だから、わたしだってずっと、「生クリームのケーキ」を食べたことがありませんでした。

大人になって。

京都で働くようになり、先輩とカフェでご飯を食べた後、わたしの目は入り口近くにあるガラスケースに釘付けになりました。

イチゴがのった、真っ白なクリームのケーキ。

これまでずっと箱の中に入った姿を崇めるだけで、実際に口にしたことがないことを、突然思い出しました。

ケーキが食べたい。生クリームたっぷりの、ケーキが食べたい。スポンジがフワフワだとか、そこにイチゴがサンドされているとか、まったく知らなかったので、わたしの「ケーキが食べたい」は、イコール「生クリームが食べたい」でした。

5号サイズのホールで「イチゴと生クリームのケーキ」を購入。たったひとりで食べきりました。この満足感といったら!!!

という話を姉にしたところ、姉もまったく同じ行動をしたことがあったことが分かりました。

このケーキ事件(わたしにとっては生まれて初めて経験した大事件だった)以来、「子どもの頃に欲しかったけどできなかったこと」をいっぱいやった気がします。

東京に来てすぐの頃、めちゃくちゃ集めていたのがカラフルなペンです。銀座の「伊東屋」の色鉛筆売り場に足を踏み入れてびっくりしました。

こんな夢のような空間があるなんて!

思い切って120色セットを購入。この満足感といったら!!!

水彩画のように使える色鉛筆セットや、太さの違うサインペンなど、ガンガン買いそろえてカラフルな世界にひたっていました。そして万年筆が好きになってからは、もちろんインクも。

そんなこともあって、本屋さんで一目惚れして買ってしまった本がこれ。『美しい万年筆のインク事典』です。

色別のページと、インクが買えるショップ別のページに分かれています。

もう少し自由に旅できるようになったら、インクを巡る旅とかしてみたい。そしてまたインクの色の名前が個性的なんです。「月華紅蘭」とか、「エーゲ海の午後」とか。名前や色から想像を膨らませる時間も楽しい。ハッと気づくと、「インク沼」のほとりに立っていた……。

数種類のインクを使うときはガラスペンもいいですし、LAMYの透明軸万年筆もリーズナブルでいいですよ。

考えてみると、なぜか空気を読む子どもだったなーと思います。抑圧された欲求は、現在「コンプリート欲」になっているのかもしれません。痛みの記憶をそっと抱きしめてあげたい。

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