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メタルギアソリッドΔスネークイーター

"メタルギアソリッド3"の完全リメイク
"メタルギアソリッドΔスネークイーター"が発表された。
完全に止まっていた小島秀夫が紡ぎ出したメタルギアサーガという巨大な循環の輪が再び動き出す。
小島監督は以前からメタルギアを次の世代に託し、007のように続いていって欲しいと色々なメディアで発言していた。しかし2018年に発売された"メタルギアサヴァイヴ"以降すでに5年の月日が流れている。
リメイクの噂は何度かあったが本当かどうかはわからなかった。
だが2023年ついにプレイステーションショーケースでその姿を現した、数十秒のティザーだったがジャングル、スネーク、スネークイーター、それは紛れも無く”メタルギアソリッド3”の完全リメイク。
小島監督が関わらないのであればそれは全くの別ゲーだろう、そして作品の質は全く変わってしまうのはしょうがない。面白さとはグラフのように一方向のものではない、オープンワールドのように様々な方向に面白さは存在する。限られたメモリや技術、時間、人をどこに向けて集中させるかで作品の質は変わる。そして完成したものが評価されるのか否かは舵取りを任された人のセンスに託される。それを担っていたのが小島監督でありメタルギアが世界的に評価された所以である。センスは後世に残すことはできない、それはメタルギアを体験したものにはわかるはずである。
メタルギアという作品の特殊性もリメイクや続編が難しい理由の一つだ。
表面上、メタルギアは銃をつかったアクションもので敵に見つからずにミッションをこなしていくゲームだと思われている。そう、ゲームなのだからゲーム性が作品の判断基準になってしまうのはしょうがない。ただメタルギアの魅力はそのゲーム性に合った音楽、ストーリー、テーマ、演出……etc.
全ての要素で言いたいことで溢れるが特に言いたい点それは、
"一つの作品内での多層レイヤー構造"である。
他の映像作品やゲーム作品には物語を進めるうえで一つの軸がありそれに沿って広がりをみせる。しかしメタルギアを含む小島秀夫監督作品にはそれぞれで一本の軸になりえる要素がいくつも存在している。
例えばMGS1を考えてみても、核廃棄処理施設でのテロ、強化骨格を用いた違法軍事医療行為、遺伝子を用いた登場人物の相関関係、ナノマシンによる殺人ウィルス、メタルギアといったSF的ロボット、そして潜入というゲーム性、ほかにもいろいろあげられるが、この各要素が破綻なく混在し一つの作品として成立させる力、それがA HIDEO KOJIMA GAMEのもつ凄さであり小島秀夫の凄さである。こんな多層レイヤーを持つ作品なんてゲームはおろか映画でさえほとんど見ることはない。この特殊性ゆえに簡単にメタルギアのリメイクや続編を作るのは無理だろう、というよりも、別ベクトルの別ゲーにならざるを得ない。これは”スターウォーズ”のフランチャイズが成功していないこととほぼ同義である。このセンスは映画や演劇、脚本で培われるものというより、小説家の世界観を生み出す能力のほうに近い、そこをはき違えると”スターウォーズ”のフランチャイズ展開の事態になりかねないだろう。
よく小島監督は右脳で考えをめぐらし、その考えたものが左脳で論理的に収まっていくという。まさにその力が小島秀夫監督作品が唯一無二のものである理由だ。
メタルギアソリッドデルタ”が発売されれば買うことになるだろう、なるべく当時の演出そのままに完全リメイクがなされるそうだ。しかしそれは物語の可能性を広げてきたA HIDEO KOJIMA GAMEではない、だがエンタメの可能性を広げてきたメタルギアを後世に残すという意味では素晴らしい機会になると強く思う。


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