夜の側に立つ(小野寺史宜)
「ひと」という小説を読んでいたく感動し、すぐさま同じ作者の別の作品を手に取りました。
全然違う世界に住む人々なのに、かなり近い体験だなぁと感じられる物語です。
ごくごく簡単にいえば、バンドメンバーだった男女5人の、高校時代から40歳までの物語です。設定の時点から私にない要素を持っている5人であり、物語の中で起きている事件も、私のような人間では体験できないことばかり。しかし、そこで感じる彼らの心の動きにはとても同調できるのです。不思議です。
ある事件が起こったとき、主人公はこう思います。
忘れるしかなかった。これは忘れるための機会だったのだ。(略)自分にそう言い聞かせた。
ああそういえば、という事は自分にも思い浮かびました。すっかり忘れてました。
高校生の頃に好きだった女性がいて、でも一度も何も声をかけることができず卒業。自分の意気地のなさを嘆き、情けなさを嘆きました。
卒業後某ファストフード店でアルバイトを始めたら、その子もバイトのメンバーだったことが判明。「追っかけて来たのか?」と彼女に思われるのがイヤで、あえて時間は合わせないようにしていました。
しかし、そうもいかない時がやってきて、二人が初めて同じ時間に働く事になり、終了時間も同じ、という日が初めてやってきました。
もう卒業して数年経つから自分も少しだけ肩の力が抜けていたので、「終わったらコーヒーとか軽い食事とかぐらいには誘ってみようかな」と思ったバイト終了20分前、大爆笑が店内に響き渡ります。
同級生がやってきて「お前らなんで並んでここにいる?」と。
瞬間、
「あー、チャンス消えた」
その後は3人で深夜営業していた喫茶店へ入り1時間ほどあれこれ近況を話し合って、解散。
その時思いました。
「彼女とはたぶん縁がないということだ」
と。
もうアルバイトの時間を彼女とは絶対にずらそうと思いましたが、やがて自分が別の店のバイトを始める事になり、某ファストフード店からフェードアウトしました。
いや、たぶん、そいつが来なくて自分が彼女に声をかけたところで「ごめんなさい!」と一喝される可能性もあったわけで。というか、きっとそうだったんだろうから、それをさせないために神様が彼を店内に呼び寄せたのかもしれない。
この物語の主人公には「その後」があるのですが、私は特にそういう事はありません。というか、会おうという気持ちを持たないようにしています。私はそういう星のもとにはいない人種である、と思っているので。
巻末の「解説」にある
「こうであったらなあ」と言う悔悟
これこれそうそう、と思う私。
人間にはとっさに動ける者と動けない者がいる。(略)動ける者は得られる。動けない者は得られない。
これも、そうそうあるある、まさにこれ自分のこと。と思います。
住んでいる環境は違うのに共感できることの多い、不思議な一冊です。
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。