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久しぶりの投稿になりました。

1年前、私は信頼されることについて書いたと思う。信頼されること、それが1年前の自分にとって一番の目的になった。その時、私は信頼していた人に、信頼されていないことを知ったのだ。その人からは、信頼されるように行動せよと伝えられた。まるで雷に打たれたみたいにびっくりした。

あれから1年。信頼されることへの壁はまだまだ厚いと感じる。もう少し、1年で進んでいるだろうと思っていたけど。意外に厚いなと思う。

そして、今自分のテーマとなっているのは「鏡」だ。

「信頼」の一つ下の土台のようなことかも知れないけど、「自分が相手からはどのように見えているか」を考えること。これが私にとって「鏡」という言葉の中に込められている。「鏡」を見ること、そして鏡を見て違うと思うことは正してを繰り返して、積み重なると「信頼」に繋がるのだろう、きっと。

そもそもそういう概念が無かった自分なので、意識することだけでもすごいんだと思う。

「鏡」を考えることで、いつも内心では一杯一杯だった自分も、案外しっかりと見えていることもあるんだろうと思えたり、今まで無意識にしていた行動も、人から「見られる」ことを考えることで、軽はずみだったと感じることだってある。

だから日々もっと、鏡について考えたいと思う。

少し違う話。

よく言われる話だが、相手は鏡のように自分の心を写すのだ。

歳をとって、以前よりも強くそう感じる。

これはとても重要なことだ。

私は人に笑いかけるのが苦手だが、そう言っていていては誰も笑いかけてはくれないのだ。

鏡に向かって自分が笑わなければ永遠に鏡の中の自分は笑い出すことはないのだ。

鏡に向かって笑うことは誰の助けも要らないから、人に対して笑うのもそのはずで。

もうひとつ。

行動しながら「鏡」のことを考えて、いくつかの角度から見ておかしくないと思えるように整えること

そうすることで、私が長年疑問に思っていた、人々の行動原理は形作られているのだろう

見えないレーザーで形取られるように、人の行動は同じ方を向いたり、整えられたり、「大人」と言われる行動を取れるようになるんだろうなきっと。

これは10代の頃に教えてよと思うくらいの大発見だと思っているのだけれど、本当にそうかは、何年か経たないと分からない。

とにかく今の自分にとっての大発見なのは間違いないなので、書いておきました。

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