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音がする

子を産む
母親になる
予定は全く無かったんですよ

初めて生理が来た時も
「母親にはならないのに」
身体が準備したって仕方ないのに
なんでなんだろう
そう思いました。

子供が嫌い、苦手
というわけではなかったです。
むしろ、好きだったかも。
特に赤ちゃん。

わたしの小さい頃の学童保育は
まだあまり一般的ではなく
働くお母さん達が
自分達で運営してる感じでした。

なので、管理者みたいな人も
大学生のアルバイトみたいな人や
退職後の保育士(当時は保母さん)経験のある人、たまに誰かのお兄ちゃん、お姉ちゃん。中学生くらいも居た。

みたいな感じで、
場所もちょくちょく変わりました。
学区からすごく離れた場所のこともあったし、マンションの一室の時もあれば、保育園の2階という時もありました。

この、保育園の2階。
赤ちゃんがいっぱいいたのです。
わたしはそこに居るのが大好きでした。

当時の学童保育は、だいぶゆるい感じだったので、みんなで図書館に行くとか、イベント的な予定がない時は、普通に自宅に帰宅するみたいに、それぞれランドセルを置いたら、公園に行ってもいいし、友達の家に行ってもいい。

そんな感じなので、決められた時間になるまでは大抵みんな外に出掛けて行きました。

でも、場所が保育園の2階だった時は、わたしはどこにも出掛けず、ずっと赤ちゃんと一緒にいました。
おむつ替えを手伝わせてもらったりもしましたが、たぶん先生達にとっては邪魔でしかなかったと思います。

ただひたすらに
かわいくて、不思議な生き物。
とにかく赤ちゃんを見ていたり、
赤ちゃんに触れたりすること以上に魅力的なものなんて、当時の自分にはありませんでした。

しかも、当時は家にも赤ちゃんがいました。

小学生になる前
わたしは母子家庭だったのですが、
小学生になるタイミングで父親と新しいお母さんのところに行くことになりました。

父親に引き取られるまで
月一くらいで赤ちゃんに会っていました。
新しいお母さんは赤ちゃんと一緒でした。

お父さんが一緒でお母さんが違う
カンタンに言うと腹違いのその赤ちゃんは、それはもうおそろしくかわいかったのです。

髪の毛が、それまで自分が見たこともないくらいフワフワで、ひと目でトリコになってしまいました。
弟は天パだったのです。

父親の元へ行くことを承諾したのも
あの天使と暮らせるなら
それは是非に!!!!

幼少期の記憶が、本当に全くと言っていいほど無くて、ほとんど何も思い出せないのですが、
天使に一目惚れしたことはよく覚えています。

お姉ちゃんと呼ばれることも
嬉しかったり、誇らしかったり
慣れてくるとめんどくさかったり。

小さい子の面倒をみたりするのはずっと好きでした。

だから、自分でも不思議でした。
子供が嫌いなわけじゃない。
むしろ好きなくらいなのに、
どうして自分は
「母親にならないんだろう?」

色々ありましたし、新しい家庭の環境も、すんなりと結婚や出産に憧れを持てるようになるとは、ちょっと思えない環境だったかもしれません。

不思議だったのは
「母親になりたくない」
「出産は嫌だ、こわい」
そう思っていたのではなく
なんていうか
もっとずっと、当然すぎることみたいに
「母親になることはない」
そう思っていたことです。

どうしてなのか
未だに謎です。



息子がみつけた 赤ちゃん虹




そして
予想外に母親になりました。
ほとんど 突発事故のように
と思うくらいです。

こういうことも
実はぜんぶ
シナリオ通り。
自分が決めてきたこと
なのだとしても

さっき
ちょっと、ハッとしたんです。

ベランダで植物に水やりをしていました。
息子が声をかけてきたのです。

「雨ふってるー?」
      「降ってるよ」
「だねー。音するもんね」



息子が赤ちゃんの時、
母親になる準備が
全くできていなかった自分は、
あの時代をどうやって乗り越えたのか、もう全然細かいことは思い出せないのですが、
その赤ちゃん時代に
「生き物」から「人間」になった!
みたいに感じた瞬間のひとつが
「会話ができるようになった時」
でした。

毎日24時間一緒に居るので
そこに「言葉」や他のわかりやすい意思表示が無くても、汲み取れる、伝わり受け取れることや
「伝わっているな」
と確信できるようになったことはありました。

当時の、いや今もですが
「母親をやってない時間」
の方が遥かに長くて
「言葉」や「明確で分かりやすい意思表示」を通して他人と関わっていた時間しかなかった自分の日常に、
全く未知の世界とそれに伴って、ほぼ強制的に鍛えられた何か、新しく開発を余儀なくされた部分、筋肉みたいなもの。

その、どうにも頼りなく不完全なツール(筋肉)を使うしかコミュニケーションを取れなかった生き物(息子)と、「会話」的なものが成立した時の驚き。

「驚き」というより
「わあ!この感じ久々だ 懐かしい!」みたいに感じたこと。

その時の感じを
「だねー。音するもんね」
と、息子が返してきた時に
なんだか強烈に鮮明に思い出したのです。

どうにかこうにかやっとの思いでコミュニケーションらしきものがとれるようになって、
その強制訓練で獲得した怪しげで頼りない筋肉を使わずとも
「会話」が成り立って
    しまった
あの瞬間。

今の息子は
「だねー」って言う。言える。
雨が降ってるかどうか
「音がしているかどうかで判断」それもできる。
「音してるもんね」と言えば、自分が今雨が降っていることを知覚できていることを、母親に伝えることができることも知っている。

ものすごい!!

と。

いや 何が?
と、多くの人は思うかもしれません。

でも、なんでしょうね
ヒタヒタ〜と
すごく心地よい何かが
身体から空間から
そこらじゅうに満ちて
それに浸って
満たされている感じです。

この透明で
時々キラッと光る
空気みたいな
水みたいなものは

母親にはならない
突発事故で母親

そういうことと無関係では無い
なんとなく
そういう気がします。



「だねー。音するもんね」


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