giverとtaker

最近、何もしてないのに右肩が痛くなる時がある。
なぜか、財津一郎さんのポーズをすると和らぐ。

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振動のせいか、自転車に乗ってる時が一番痛い。
だから、通勤退勤の時はずっと「きびしー!」のポーズで自転車を漕いでいる。

年齢的に、四十肩や五十肩になってもおかしくはない。
でも、四十肩は「腕が上がらない」って聞いた。
僕の場合、下ろしてると痛くて、上げた方が楽。
これはどういう状態なんだろうということをツイートしたら、柔術の先輩からリプライが付いた。

あっ、堀さん! お久しぶりです! コロナのせいで柔術お休み中なので、長いことお会いしてませんね。その後お変わり……

6ヶ月!?

重症じゃないですか!
困ります!

ぜひ診て下さい……!!

早速翌日、大阪モノレール千里中央駅で待ち合わせた。
「どこで診ましょうかね……」
プラプラしてたら、お高そうなタワーマンションがあり、エントランスにベンチがあった。
「ここでいいでしょう」
いいのか?
肩や首や腕を、伸ばされたり捻られたり揉まれたりしながら、入念に診ていただく。
出入りする住人がジロジロ見て行く。
「こういう時はこっちから先に見てやったら、向こうの方が視線を逸らしますよ」
勉強になります(なんの?)。

しかし、物理的にも金額的にも高そうなマンションだ。
「こんな所に住むなら、宝くじでも当たらないと無理ですね」
「僕は宝くじ当たっても、こういう所に住みたいとは思わないっすねぇ」
「やっぱ道場建てます?」
「いいすね! 道場兼住居とか、理想ですよね!」
実際に空道の支部長の方々の中には、「道場兼住居」を構えておられる方も、何人かいる。
僕もすんごい田舎に引っ越して、採算気にせず道場やってみたい。
道場生の月謝は、各々の畑で取れた野菜とかでいい。
住居スペースには囲炉裏。
これは絶対外せない。
そこで、鍋でも囲んでみんなで酒呑みたいね。
イメージは、人間だった頃の猗窩座がいた道場ね。

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人間だった頃の猗窩座の話を思い出したら、また泣きそうになった。

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この辺の話が映画になったら、また号泣するんだろうな。

僕が妄想している間も、堀さんは僕の上半身をこねくり回して診てくれている。
「棘下筋を痛めてますね」
「きょっかきん……!」
「あと、肩甲下筋も良くないですね」
「けんこうかきん……!!」
「あと、肩の可動域が狭過ぎますね」
確かに、肩の可動域は絶望的に狭い。

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これは冗談ではなく、本当にこの有様なんだ。
自分のパンチで肩脱臼したこともあるし、それもやっぱり、肩関節の固さのせいなんだろうな。

「今日は本当にありがとうございました!」
「いえいえ。僕は、身近にケガしてる人がいて、その原因も治療法も予測がつくのに放っとくということが、性格上できないんですよ。だから、無理して来てもらったのは僕の方です
「(カッコいい……)せめて、何かお礼がしたいです……」
「それじゃ、また柔術できるようになったら、打撃教えて下さい」
笑顔でそう言うと、堀さんはバイクに跨って帰って行った。

せめてものお礼に、堀さんの著書の宣伝をしておきます。

諸々いたらない僕だけど、みなさんに助けられて生きている。
今思えば、「ケガしました!」ってことをSNSに書けば、いつも誰かが救いの手を差し伸べてくれていた。

試合直前に指を折った時は、大先輩が「ゴッドハンド」と言われる整体の先生を紹介してくれた。
なかなか予約の取れない先生だったけど、先輩が自分の予約してたコマを譲ってくれた。

別の試合直前に膝靱帯を損傷した時は、ライバル選手がいいスポーツ整形を紹介してくれた。
その大会で僕と当たる可能性が高い選手だったのに、その心の広さに感動した。
案の定大会で当たり、僕は負けた。
思えば、「人間力」の段階で、僕は負けていた。

また別の試合直前に腰を痛めた時は、接骨院経営の大学時代の友人が、わざわざウチまで来て丹念に丹念にほぐしてくれた。
その時も、「お礼なんかええから、〇〇や××も呼んで、またゆっくり呑もうや」と、わかりやすいお礼は拒否された。

とりあえず、僕は試合直前にケガし過ぎ。

僕の周りには、素晴らしい「giver」のみなさんがいて、僕はいつでも「taker」で。
もうそろそろ僕も「giver」になる番だ。
まず、「give」できる物を、今から探さねばならない。



















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