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ピーターラビットの新旧訳を読み比べてみたら

新旧のピーターラビットシリーズを読み比べては、ちょっとした違いを見つけては面白がっている。
同じ話とはいってもやはり時代に合わせた変化があるようだ。

石井桃子さんの旧訳がほとんどの場面で「です・でした」という調子なのに対して、川上未映子さんの新訳はキャラクターの視点で話しているような感情的な語りや体言止めがちょいちょい顔を出すのが面白い。
作者のビアトリクス・ポターさんから「こんな事があったんですって」と語り聞かせてもらう雰囲気だった旧訳に比べると、新訳はキャラクターとの距離がぐっと近く、全体的にアップテンポになったように思えた。

旧訳では「だ・だった」と硬い調子(時代がかった演出だったのかもしれない)の『グロースターの仕たて屋』が、新訳『グロスターの仕たて屋』では「です・でした」調になっているのも、これはこれで他の作品との統一感がある(ような気がする)。

今のところ一番衝撃だった変更は、一部のキャラクターの呼び方が変更になったことである。
刊行予定も含めた署名一覧を見ると、いかにも悪玉の親分という風情だった「ひげのサムエル」は「ひげねずみサミュエル」に、胡散臭い田舎紳士の「キツネどん」は「きつねのトッド」と、やけに可愛らしく改名していた。
まさかイメージアップのための戦略ではないだろうけど、知っている顔が別の名前で呼ばれているのは少しばかり妙な気がする。

ほかにも「チュウチュウおくさん」が「ねずみふじん」…は良いとして。
『ティギーおばさんのおはなし』のタイトルが『はりねずみティギー』になったのは良いのだろうか。
読者から見たティギー・ウィンクルさんが服を着たハリネズミだということは明らかだとしても、最終頁までは気付かないふりをするのが暗黙の了解だったように思うのだが…
(「おばさん」という呼び方がまずかったのかもしれない)

幸い彼らはシリーズ21冊(詩集2冊を入れると23冊)のうち1冊に出てくるだけなので、私のように物心ついた時には家に旧訳が待機していた人間にとっても違和感は最小限で済む。

たとえば、シリーズ第1巻『ピーターラビットのおはなし』に登場する兎の一族。

Once upon a time there were four little Rabbits, and their names were--
Flopsy, Mopsy, Cotton-tail, and Peter.

THE TALE OF PETER RABBIT

…旧訳と新訳で言い回しに多少の差があるので原文にしてみたが、多分ピーターラビットを知っている人のほとんどはこのくだりを知っているし「フロプシーとモプシーとカトンテールとピーター」という名前をセットで記憶していると思う。

左・石井訳/右・川上訳

彼らは以降の物語にも何かと登場の機会があるために、ここを変更されると旧訳の読者はだいぶ居心地の悪い思いをしただろうが、有難いことに新訳になってもピーターはペーターになったりはしていないし、姉妹のカトンテールもコットンテール(原作だとCotton-tail…綿尻尾ちゃんなのだ)ではない。

これから新訳で育つ人たちにとってはこちらがスタンダードになるはずなので、後日古書店で旧訳『ピーターラビット』シリーズを見つけた誰かが「なんだか古臭い変な名前だなあ」と思うこともあるのかもしれない。

それよりももっと後、さらに新しい新々訳が出るころには、ピーターはともかくカトンテールはコットンテールになる可能性もあるが、50年は後の話になりそうだ。
できることなら、新々訳の刊行にも立ち会ってみたいものである。


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