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「何のために生きているのだろう」 だなんて吹き飛びます


やりたい事もやり
欲しいものも手に入れて生きてきました

今は
欲しいと願ったものも
観たいと思った景色も
手に入った瞬間に
砂の粒になり
指の隙間からこぼれ落ち
手元には何もない
虚しさだけが残ります

もう願望を叶えることが怖くなりました

願望すらわかず
無気力状態になってしまったら
どんな心で生きて行けばよいのでしょうか



仏教には2つの欲があります

ひとつは割愛という欲
もう一つは志欲という欲です


割愛とはベーシックニーズと呼ばれる
生きるために欠かせない基本的な欲のことです
食欲、性欲、睡眠欲…etc

私達の感覚器官を満たしたいという欲
これは際限がないのです

もう充分あるのに
到達したのに
もっと先に
もっと上に
もっと沢山
もっともっと…

そこに苦しみすら生み出していくのです


たとえば
大好きなケーキを
ステーキを
毎日好きなだけ食べてみて下さい

必ず飽きてきます

もっと他のもの
もっと違った
もっと美味しいもの

を求めるでしょう


同じようなことが目に起き
鼻に起き耳に起き
身体に起きているのです

ただただ自分の感覚器官に
刺激をもたらすためだけに
生きていることが

本当につまらない

質の低いという事が
解ってしまったのではないでしょうか


割愛は
自分の感覚器官が本能的に求める欲です

志欲は
知識と関係します
智慧と関係します

志欲は
知識を増やし
智慧を育てないと
育たない欲です

何か自分以外の
生きとし生けるもののために
出来る事はないだろうか

これが見つかった人は
本当に毎日が
楽しいことでしょう


「自分は何のために生きているのだろう」
だなんて
吹き飛んでしまいます





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