「親ガチャ」論争について


この話題に関してはもしかしたら不快な気持ちになる人もいるかも知れませんが、一個人の感想程度に流してもらえればと思います。



まず「親ガチャ」という表現そのものがあまり良いものではないことは確かなのですが、言わんとすることはごもっともだという感覚ではあります。

例えば虐待を受けている子供からすれば.虐待のない家庭に対して羨ましいと言った感情が湧くのは自然なことだと思います。

ちなみに令和2年度の虐待による児童相談所の対応数は過去最多を記録しています。これに関してはコロナ禍による影響云々と言われていますが、そもそもなにかしらのストレスに晒された時に自分の子供に虐待するような潜在的な暴力性を持った大人がそれだけこの社会に存在していた.と言うことな訳です。

そしてそんな親の元に生まれてしまった不幸は自分の能力や努力が介入する余地のない不運としか表現できません。


社会で自身が成功者と言われる地位を獲得できるかどうかも又然りです。才能や努力によって自分のしたい事.成したい夢を叶えることが可能な世の中だと大半の人は信じていると思います。

しかしこの世の中をもう少しよく見てみると、運による要因.しかもどこの家庭に生まれるかと言う自分ではどうにもならない運の要素がかなり大きく関わってきます。

一流企業に就職してより良い生活を送りたいなら.良い大学に入り新卒と言うカードが必要になります。

良い大学に入るにはより良い教育が必要です。周りの人よりも良い教育を受けるにはお金がかかります。

この時点でお金持ちの家庭に生まれた子供と貧困な家庭の子供では差ができている訳で、生まれによってそもそもスタートラインが違います。

だけどこれはその子供個人の能力や努力には左右されず、完全に運次第なのです。でもそれは今に始まったことではなく昔から変わらず存在する不平等性な訳です。


ではなぜ今「親ガチャ」と言うワードが若年層の間で流行しているのか?これについては先ほど言った.才能や努力で夢を叶えることが可能な世の中だと大半の人が信じ込んでいると言うところにあるように感じています。

つまり逆に言うと夢や希望が叶わないのはソイツの努力が足りなかった.と言えるわけです。そして夢や希望が叶わなかった人は自分の努力が足りなかった結果を甘んじて受け入れ.自身はその程度の人間なのだと自分自身に責任を見いだします。

そして才能もあり努力もした成功者はそうでない人たちを見下す権利が与えられます。自分で勝ち得た結果だからです。


...でもそもそもこれは正しいでしょうか?


先ほど言ったように夢や希望を叶えたり成功者と言われる大半の人が.そこまでの道筋のどこかに自身の能力では介入できない運の要因の恩恵を受けている訳ですよね。

そしてたくさんの情報や世の中の真実に触れることが容易な現代社会を生きている若年層に、それらのことに気づいてる人が多かったりすると思います。

しかし相も変わらず上の世代の人達は.やれ努力が足りないだの忍耐力がないだのとあくまで現状は運に関わらず自身の招いた結果であるかのように言ってくる。

それに対する怒りみたいなものが「親ガチャ」という言葉を生み、流行させているのかな~と思いました。

人の親としてはそう言った表現が親を傷つけるなど様々な否定的な意見もあると思います。

僕自身も言い回しそのものはあまり適切ではないなあと感じています。

しかし、表現が悪いことと正しいかどうかは別問題で.僕は考え方自体は正しいと思うし.何とも言えない怒りみたいな切なさみたいな物が的確に表現できていて「上手いこと言うなあ」と思ったりしています。


以上です。

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