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失ったものは、戻ってこない

序章

それはまさに「一瞬」だった。

広大な競馬場に唯一存在するゴール板。2分近くあるレースののうち、その最後に命をかけて湊斗はスマホのカメラを起動して構える。
あの時、相棒を壊してなければとも思ったが、あの時はそれが最適解だったと心の中でつぶやく。それでも残る気持ちは罪悪感なのか、それとも・・・。

第4コーナーを回り馬群は直線へ。レースが行われている東京競馬場は525mに及ぶ長い直線であるため、まだまだ馬群を視界にとらえることはできないが、「一瞬」のためにスマホを構え続ける。倍率は、間違ってないか。誤ってフラッシュが出たらどうしよう。画面に映っているボタンは確認してあるはずなので間違いない。そもそもスマホのカメラの倍率なんて、相棒に比べたら全然なので、ここはあえて0.5倍とかの方が映えるのではないか?

そんなこと考えていたら残り200mのハロン棒を通過。レース場に流れる実況のアナウンサーの口調が早くなる。湊斗の視界に馬群が見える。自分が馬券を買った馬が激しい追い込みをかけ、先頭に追い付こうとしている。そんなことよりも、ターフを颯爽と走るサラブレットとジョッキーの一体感が凄い。それをカメラに収めたい。忘れかけていたカメラ熱が湊斗の中に沸々と湧き上がった。

ゴール板を駆け抜ける。周りからシャッター音が響く中で湊斗のスマホも盛大にシャッター音を響かせる。連写速度の差が顕著に分かるのはなんか面白い。撮り終えた写真を確認しようと思ったところで、隣で渉がうずくまっているのに気づく。「母父が・・・」、「そういえばこの馬同じコース勝ってたじゃん」とかなにかつぶやいているが湊斗には分からない。競馬も色々考え方があるんだなと思いながら写真を見る。

「やっぱりスマホはスマホだな。」
湊斗がつぶやく。

「なに言ってんだ?やっぱりカメラ忘れたこと後悔してるの?」
渉がいつの間にか立ち会がり湊斗のつぶやきに答えた。

「忘れたのは嘘。本当は自分でぶっ壊したんだよ。」
「は?それじゃあ壊したこと後悔してるの?」
「いや、一ミリも思ってないよ。」
「じゃあなんで今撮った写真全部消してるんだよ。いい写真じゃん。」
「・・・いい写真じゃないよ。それに写真の世界からは足を洗うことにしたんだ。もう思い出したくないから。」
「スマホ構えてたのにすごい矛盾だな。」
「とにかく、そういうことだから」
湊斗は持っていたトートバックにスマホを投げ捨てるかのように放り込む。こういうところが悪い癖だ。

時は少しさかのぼり数時間前。

湊斗の姿は、競馬場の最寄り駅にあった。外の空気を吸うのはいつ以来だろうか。そんなことを考えていると渉の姿が改札に見えたので合流する。

「久しぶり!見ないうちに太ったか?」
「言うなよ。結構気にしているんだから。」
渉のいきなりの問いかけに湊斗は笑いながら答える。最近は会社との連絡でしか話してなかったので、こんな砕けた会話が自然にできて安心する自分がいる。

駅から東京競馬場へ行く。フジビューウォークと呼ばれる道を歩く。フジビューウォークには、歴代の活躍馬やその年の日本ダービーの勝ち馬の写真がたくさん並んでいた。中には競馬初心者の湊斗でも知っている馬名もあり、競馬場に来たという気持ちを嫌でも感じさせる場所だった。競馬好きはこれを見ながらテンション上げるんだろうな。

「ちょっと待ってて」
渉が突然そう言うと、道で新聞を売っている人に話しかけ始めた。どうやら競馬新聞を買うらしい。

「悪い待たせた。はいこれ湊斗の分ね。」
「え?」
「見方は後で教えるから。あと金も俺のおごりで。ほら行くよ。」

渉に強引に競馬新聞を押しつけられながら入口に向かう。

入口で200円を払い入場する。入場してまず飛び込んだ景色に湊斗は思わず目を奪われた。巨大なスタンド。芝と砂の色のコントラストの目立つコース。すべてが想像以上に大きく、さっそく期待をいい意味で裏切ってくれたようだ。

渉に連れられてスタンドの方へ。大きいレースの時は席が埋まるみたいだが、今日はそこまでではないらしく空席も散見された。適当な場所を見つけ席の確保をして向かった先はパドックと呼ばれる場所だった。どうやら次のレースに出走する馬がレース前に歩く場所で、この時の歩様などを見て馬券の買い方を決める人がいるらしい。それより湊斗の目に映ったものは———。

一眼レフカメラだった。

スマホなどで撮っている人もいたが、中には大きなレンズを使って撮影している人もいた。それに湊斗は目を惹かれた。いろんなメーカーのカメラがところどころにあり、その1つ1つの種類も大体わかる。それと同時に思い出したくないことも一緒に脳内の記憶から引っ張りだされ、いち早く忘れたいと思った湊斗は慌てて渉に話しかけた。

「こんな近くで馬を見ることができるんだ。」
「それぞれの馬の調子を見るところだからな。見たから馬券が当たるとは限らんけど。」
「渉はどこを見て判断してる?」
「うーん。歩き方や胴体の部分かな。太ってたり、逆に細かったりするとレースでは不利な気がしてる。」
「なるほど。」

「ところで、湊斗はカメラ持ってきてないの?」
「う、うん。忘れてきちゃった。」
「なにやってんの。競馬場こそカメラが輝く場所だろ。」
「そうなんだけどね。」

とっさの嘘だった。相棒と自分の中では思っていたカメラは先日自分の手で壊した。壊れてしまって戻ってこない思い出と共に。

「忘れてしまったものはしょうがない。もう少し近く行く?近くならスマホでもそれなりの画質で撮れるよ。」
「やめとくわ。一番前は人で埋まっちゃってるしここから観察するよ。」

そう言ったはいいものの、競馬初心者の湊斗にはどれが良いのかなんてわからない。結局渉に教えてもらった競馬新聞の読み方を元に馬券を買ってみた。競馬新聞は新品みたいにキレイなままだった。

レースが終わった。消した写真と紙くずになった馬券を忘れ、2人はご飯を食べていた。結局湊斗の買った馬券は外れた。来て欲しい馬は来たのに買い目が見事に当たらなかった。勝ったらステーキなど食べたいものはあったが、負けたのでおとなしくコンビニで買ったパンを自席で食べた。

「それで?なんで壊したの?」
渉が食べながら聞いてくる。

「聞きたい?聞くと後悔するよ?」
湊斗が聞き返す。あまり人に話したくないし、話すことでもないからだ。

「うーん。でも話したそうな顔してるから聞く。」
渉にはそう見えるらしい。仕方なく湊斗は話始めた。

「実は・・・成美さんに振られて、忘れたくてカメラを壊したんだ。」
「なるほど。そんなことで。」
「そんなこと?いや、そんなことか。」
「いやごめんて。」
「いいよ、切り替えられていない俺も悪いし。」
湊斗はうつむきながらそう答えた。

「それで?カメラぶっ壊したほどなにがあった?」
渉の問いかけに湊斗は静かに話し始めた。次のレースの投票締め切りのアナウンスが場内に響いたが、2人はその場を動けなかった。


湊斗には成美という彼女がいた。湊斗が務めている会社の直属の先輩であり、同時に彼女でもあった。職場内で雑談をしていたら、偶然同じ趣味だということが分かり、そこから何回かデートを重ねて付き合うことになった。湊斗にとっては初めての彼女であった。

最初はきちんと歯車はあっていたが、徐々に狂いが生じた。
些細なことからケンカに発展。その後のことも上手く行かず、結局成美から別れ話を出され、2人はそのまま別れてしまうのであった。

問題はその後であった。結局別れようが仕事場では否が応でも顔を合わせないといけない。成美は特に何事もなく仕事の話をしてくるが、湊斗にとってはそれがとてつもなく苦痛であった。意識しなければいい話なのに、どうしても頭の片隅から抜けることが出来ない。途中から自分の気持ちが分からなくなった。なぜ意識してしまうのか。それは好意なのかさえも。

2人を結んだのはカメラだった。ある日、気持ちを忘れたいがためだけにカメラを壁に向かって投げた。カメラは見事に動かなくなった。ただのガラクタになったが、なぜか捨てることが出来ずに部屋の片隅に未だに置いてある。早く捨てればいいものを。

当然そのような精神状態で仕事に身に入るわけもなく、湊斗は体調を崩すことが多くなり、結果として今は休職している。成美さんには悪いので原因を話すわけにはいかなかったが、伝わっていたら申し訳ないなと思う。成美さんがどう思うかは知らないけど。


「そんなことがあったのか、悪いな聞いてしまって。」
全ての話を終えたときの渉の申し訳なさそうな顔をしばらく忘れることはないだろう。

「全然いいよ。話して俺も少しスッキリしたし。」
本当は心の中にモヤモヤが出てきて、お腹がズンと重くなっている。お昼ご飯はこれ以上食べられる自信がない。でもそんな気持ちをすべてどこかに吹き飛ばしたいから、湊斗は残っていた焼きそばパンを夢中で食べた。

そんな話をしているうちにレースはメインレースを迎えた。

メインレースなどの大きなレースについてはG1などの格式がついているものもあるが、今日のメインレースはそのような格式はないらしい。せっかく見るならある程度有名なレースを見たかったが、そのようなレースの日は混みすぎてレースをゆっくり見えないらしい。そのための今日なんだとか。

ただ、メインレースに変わりはないので、ターフの最前列はかなりの数のカメラマンが多かった。

またも競馬新聞の情報を元に馬券を購入し、自席でレースを見守る。渉は祈るようにしてレースを見守っているが、湊斗はもう勝つことを諦めていた。

正直もうレースへの興味は少し薄れていた。だから残り200mのハロン棒を過ぎたあたりでようやく自分が買った馬が来ていることに気付いた。スタンドからの声援が大きくなる。湊斗も思わず声が出る。

ゴール板を過ぎた瞬間、今日これまでには感じたことのない高揚感が広がった。いままでただの紙切れと思ったものが、換金できるものに変わったからだ。人気のない馬も馬券に絡んでいたので、配当もそれなりにつくだろう。

「そういうことだぞ」
突然渉がこんなことをしゃべりだしたので、湊斗は首を傾げた。
「なにが?」
「チャンスなんていくらでもあるし、どこにあるかもわからない。だから過去のことにとらわれすぎずに、前向いて頑張れ。競馬もそういっている。」
「競馬は喋らないだろ。」
「そこツッコミ入れるのかよ」

実際渉の言葉と馬券のおかげで少しは元気が出た。気持ちも少し軽くなり、競馬場に来てよかったと思う。
最終レースまでやって結果としては少しだけ勝った。最初にしては上々すぎる。これがビギナーズラックというやつか。

駅への帰り道。すでに来週の競馬情報をスマホで見ている渉を横目に、湊斗はつぶやく。
「競馬って面白いな。」
「それって勝ったからやろ。」
「まあそうなんだけどね。」
「ようこそギャンブラーの世界へ。」
「・・・うれしくない。」
「今度はどこ行くか。中山?それとも大井でも行く?」
「考えておく。」
「そっか、じゃあまたな。」
「おう。」
そう言い残し2人は駅で別れた。次があるかは分からない。

帰り道の中で湊斗は思う。
チャンスなんていくらでもあるとは思わないけど、いつまでも引きずるのも嫌だ。またリスタートすればいいじゃないか。

スマホを開く。今日撮った写真は全て消去したと思ったが、1枚だけ残っていた。いや、正確には残した。ゴールした瞬間、その躍動感が伝わる写真をどうしても捨てきれずに、湊斗はSNSにアップした。

「初めての競馬場でした。とても楽しかった!」という文面を添えて。

失ったものは、戻ってこない。
けれど、新しいものを見つけてまた歩き出すことはできる。

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