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いのちをいただく。

連休前の木曜日、早めに仕事を終えて最寄りの駅に到着、そのまま駅近くの昔ながらのご夫婦でやっている居酒屋兼定食屋さんへ。
それほど広くない店内は、お酒を楽しむグループやインバウンドのお客さんで8割ほど埋まってた。

ランチで食べた想定外に重めのクリームパスタがまだお腹に残っていて、あんまりお腹すいてなかったが、海鮮丼的なものであれば食べられそうだったので注文。

ほどなくして料理が届き、根菜たっぷりの豚汁からいただいていた。9割ほど食べ進んだところで、奥さんが近づいてきて、湯呑み茶碗を置いて言った。
「大丈夫だったら、食べてみてください。シロウオです。」


お茶碗の水の中で泳ぐシロウオ



ピチピチと元気に泳ぐシロウオをみながら、なんともいえない気持ちで定食の残りを食べ進めていく…
思えば生きているものをそのまま生きたままいただくという経験は、これまでにはなかったかもしれない。

スーパーに並んでいる肉も、誰かが残酷な処置をした結果、ということなのか、ということをはじめて実感する。

そして、以前海鮮丼にのってた光物の魚の上にアニサキスがくねくねしながらいるのをみたのを思い出し、このシロウオもなんだか似ているかも…なとどいう思いがよぎる。

そうこうしているうちに定食を食べおわり、いよいよだ。
食べないという選択肢もあったのかもしれない。でも、連休前の夜ご飯をひとりで食べに来たアラフォーをねぎらって出してくれた店主さんの気持ちを思うと、そうすることはできなかった。


箸で挟んで食べようにも、水から出すとピチピチ動いて茶碗の中に落ちてしまうのを何度も繰り返した結果、あぁこれはこの水と一緒に口の中に流し込むんで食べるものなんだろう、ということに気づく。

意を決していただきました。はじめはひとくち、2匹口の中に入って、ピチピチ動くのを咀嚼して飲み込み、意外と平気だったので、残りもいただきました。


食べ終えたあとは、からになった食器の前で手を合わせて、心の底からの「ごちそうさまでした。」をした。

わたしたちは日々いのちあるものをいただいて生きいるということを実感する、貴重な経験でした。

帰宅後調べてみると、シロウオは長崎で、春に向かう今の時期しか取れない魚のようで。


さむい日もあって、日々バタバタ過ごしているとあまり変化を感じることなく過ごしてしまいそうになりますが、着実に季節はうつりかわっているんですね〜

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